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ミュージカル『ラグタイム』のための補助線


こんにちは!山野です!

9月9日に日生劇場で日本初演を迎えたミュージカル『ラグタイム』は順調に日程を進め、10月15日には名古屋の地にて大千穐楽を迎える予定です。


東京公演の楽日近くにこんな記事を書きましたが

その中で、「観劇の補助線になるような情報を書いてみるやつ」ってのを書いてみようというような話をしたので、今日はその「それ系のやつ」を書いてみようと思います。

ご興味ある方がいらっしゃいましたらお付き合いください。


それじゃあ、いってみよーーーー!




まず基礎情報のおさらい。

ミュージカル『ラグタイム』はリトルボーイの独白からはじまります。そこで紹介されるのは

・ファーザーがニューヨーク州ニューロシェル郊外の
 ブロードヴュー・アヴェニューの丘の上に家を建てたのが
 1902年のことだった

という情報です。

そこからしばらく経った時点から物語がはじまるので、このお話の時代設定はおおむね「20世紀初頭(1900年代の早いあたり)」ということになります。

ちなみに、「ウィー」というスタン・ハンセンみたいな掛け声とともに登場する美女イヴリン・ネズビットは実在の人物です。

彼女が著名な建築家スタンフォード・ホワイトにレイプされたのが1901年(当時イヴリンは16歳)。スタンフォードがイヴリンの夫ハリー・K・ソーに殺害されたのが1906年6月25日です。

また、ピアリー提督が探検隊を組織して北極圏を制覇した(とされている)のが1908ー1909年の探索時です。これにファーザーも同行したということですね。

物語の開始地点が何年のかを特定するのはそんなに重要なことではない、と僕は思います。

この作品は史実を巧みに織り込んだフィクションであって、出来事が起きたじっさいの時系列は前後しながら、けれどその事件や出来事の「20世紀初頭っぽさ」を最大限に活かす方法が取られているのです。


ちなみに!

ミュージカルの最後近くで語られるサラエボでのフランツ・フェルディナンド大公の暗殺が1914年6月28日、Uボートによるルシタニア号の沈没が1915年
5月7日です。第一次大戦へのアメリカの参戦は1917年、当時の大統領はウッドロー・ウィルソンです。




ラグタイムは、異人種間の交流がひとつの主題です。それは差別というかたちだったり、対話と融和というかたちだったりしますが、いずれにせよ人種が違う人々の邂逅が重要なモチーフになっています。

アメリカという国の人種的歴史を考える上でひとつのターニングポイントとして重要なのは1862年。1861年からアメリカは南北戦争に突入しますが、その途中でリンカーンが黒人奴隷の解放を命じる宣言を出します。

つまり、それ以前は黒人は労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷であり、白人の支配下にある階層的に下級の存在だったのです。

もちろん、奴隷解放宣言が出されてから速やかにアメリカにおける黒人の社会的地位が白人と同等になったということは一切ありません。しかしこの宣言があったからこそ、奴隷解放運動がさかんになっていったということは間違いないのです。

なお、コールハウスのモデルになっていると考えられる黒人作曲家のスコット・ジョプリンは奴隷解放宣言が出されてから5年後の1867年頃に生まれたと考えられています。ジョプリンの父親は元奴隷、母親は自由黒人(奴隷でない身分の黒人)でした。




19世紀末から20世紀初頭のアメリカは、「アメリカとしてのアイデンティティ」を模索する時代だったと考えられます。

第二次世界大戦後にアメリカは「世界の警察」としての地位を確固たるものにしますが、19世紀末のアメリカは世界のパワーバランスの中でまだまだ新興国として「生まれたてまだ100年ほどの国家」というイメージでした。アメリカの独立宣言は1776年です。

しかし、さまざまなテクノロジーが発展していくなかでアメリカが工業化を進め、産業的にも経済的にも世界での存在感を増していくなかで「アメリカとしてのアイデンティティ」を強く必要とする時代になっていったのが19世紀末から20世紀初頭と言えるでしょう。

その流れの中で、大きな転換期となったのが1893年です。

この年にシカゴで「シカゴ万国博覧会」が開催されました。世界各地からさまざまな技術や展示が集結しましたが、そのなかでアメリカは自国の進んだ工業化技術をアピールする絶好の機会を得ました。

また、パビリオンのために建設されたすべての建物の外装は白一色に統一され、白人文明の誇りと栄華を象徴していたと考えられています。様々な展示で電気が多用され、それにより新時代に向けてのアメリカの技術力が誇示されました。

これは蛇足ですが、この「シカゴ万博」には全米中からさまざまなアーティストやミュージシャンも集まったといいます。会場の中のみならず、会場近くのパブやバーでも連日連夜いろいろな音楽の演奏が行われていました。

そこに、まだ生まれて新しい音楽ジャンルだった「ラグタイム」の演奏者も多く含まれていました。もちろんスコット・ジョプリンもこの時期のシカゴに滞在をして演奏をしたようです。


1893年のシカゴでは、万博だけでなく「アメリカ歴史学会」も開催されました。

それ以前の「アメリカ史」の認識は主に、ヨーロッパ由来の文化の延長線の上にアメリカがあるという理解でした。19世紀のアメリカの発展を先導してきたのは、コロンブスの西インド諸島発見を契機としてアメリカ大陸に入植してきたヨーロッパの白人たちです。

当然彼らの生活文化や歴史認識はヨーロッパ的なものに軸足をおいていました。

しかし、アメリカがイギリスから独立し西部を開拓し、アメリカ生まれアメリカ育ちの国民比率が増え、さらには工業化に合わせて国力も増していく中で、新たな「アメリカ独自のアメリカ史」の概念が希求されるようになっていきます。

そのタイミングで重要な役割を担ったのが1893年のアメリカ歴史学会で発表された「フロンティア学説」です。

これはフレデリック・J・ターナーが発表したもので、簡単に言えば、移民国家であるアメリカのアメリカ性(アメリカ固有のアイデンティティ)は、未開の地である西部の開拓、フロンティアの存在によって生み出されたという説です。

アメリカ人は西部を開拓していくなかでアメリカ性を獲得していったのだ。開拓の前線において東側の文明はつねに未開の土地と野蛮な社会(ネイティブアメリカン)と接触をし続け、このことがアメリカ人の性格に大きな影響を与えた。

こういった認識を「フロンティア学説」は19世紀末のアメリカ社会に提示しました。西に広がる自由な土地に進んでいくことがヨーロッパからの離脱と、アメリカ的な自由独立の成長を進めることを意味したのだ、という思想が、アメリカの「新しいアイデンティティ」の支柱として受け入れられます。

ただここでひとつ問題が浮上します。アメリカ西部の未開拓地も有限だということです。じじつ、ターナーがフロンティア学説を発表する3年前の1890年にはアメリカ国勢調査によって「アメリカのフロンティアは消滅した」と宣言されています。

アメリカのアイデンティはフロンティアにあるのに、すでにアメリカ国内のフロンティアが消滅しているとしたら、そこから先の「アメリカらしさ」は一体何によって担保されるのでしょうか。

アメリカ社会におけるフロンティア学説の受容は、それと同時に「アメリカらしいアイデンティティの消失の危機」を引き起こしました。

この危機から脱するために当時の上流階級の主要構成人種であるアメリカ白人男性たちは、アメリカ西部に変わる新たなフロンティアを探し始めます。それがアラスカ、カナダ、南極、そしてファーザーが向かう北極などです。

現在、雑誌の発行や自然ドキュメンタリー映像で有名なナショナル・ジオグラフィックという団体がありますが、この団体が設立されたのも1880年という19世紀末。ナショナル・ジオグラフィックがその経済規模や所属会員数を増やしていくのも20世紀初頭で、フロンティア学説発表後の時期と重なります。


アメリカの20世紀初頭、特に1920年代は「狂騒の時代」と呼ばれます。第一次世界大戦後の政治的混乱から抜け出し、戦時経済から平和時の経済へと移行したことで活況となったアメリカ市場は大量生産大量消費へと突入します。トーキー映画やジャズが流行し、さまざまな娯楽場に人が溢れます。

しかしその前段階となる1900〜1910年代では、アメリカは自身のアイデンティティを一度失いかけ、その結果「アメリカの外」へ「未開の地」を探すこととなるのです。

そこには、19世紀の古き良きアメリカへのノスタルジーもあったことでしょう。急速に工業化していく産業と、東欧やロシアからの移民で溢れる都市部のスラム化が、西部フロンティアの消滅の時期と重なります。

おおらかで平和だったアメリカをもう一度取り戻すために、未開の地への開拓を進めなければならない。そうすれば、何もかも昔どおりになる。昔と同じになると信じていた白人男性は、きっとたくさんいたのでしょう。

そしてまさに巨額の費用をかけて北極へ冒険に行くような人々が、そのような思想を持っていた層だったと推測されます。




アメリカはそもそもヨーロッパからの入植者たちがネイティブ・アメリカンの居住地を奪取しながら西へ西へと開拓していくことで出来上がった国です。そういった意味で言えば、アメリカに住むほとんどの人々が「移民」であるという言い方もできます。

アメリカ独立以前の植民地時代にアメリカへきたのは主に、イギリス、オランダ、フランス、スウェーデン、フランスなどの西欧・北欧をルーツにもつキリスト教プロテスタント信者たちでした。信仰の自由を求めて「新大陸」にやってきた人たちで、その後のアメリカという国の中核を担っていきます。彼らのような「白人・アングロ=サクソン・プロテスタント」を「WASP」と呼称することがあります。

このWASPに入らない白人として、アイルランド系の移民が挙げられます。彼らは1840年代に多くアメリカへと渡ってきました。その原因はアイルランドでの大規模な飢饉(ジャガイモ飢饉)で、貧困から逃れるためのアメリカ移住だったため、アメリカでも低賃金の労働に従事し、アメリカの都市の下層を構成しました。なお、アイルランド系の多くはカトリックを信仰していました。

(これは余談ですが、ミュージカル『ラグタイム』に登場する消防団員たちとその団長ウィリー・コンクリンはアイルランド系、警察官たちもアイルランド系と推測されます。マザーとファーザーの家に仕える藤咲みどりさん演じるメイドのキャスリーンが十字をきる仕草をするのは彼女がアイルランド系のカトリック信者だからです。)


19世紀末から20世紀にかけては移民の構成が変わります。

それまで北欧やアイルランドからの移民が多かったのが、東欧や南欧からの移民が増えてきます。ここにターテやエマ・ゴールドマンが含まれます。

主にイタリア、ポーランド、ロシアなどにルーツを持つ人々で、そのなかには多くのユダヤ人も含まれていました。

北欧やアイルランドからの移民と、南欧東欧からの移民では、アメリカに着いてからの行動がかなり変わります。

北欧やアイルランドからの移民(旧移民)は自らの自由になる土地を求めて西部への開墾に従事し、農村部を形成していきましたが、南欧東欧からの移民はむしろ東海岸の都市部に滞在し、都市労働者として生活をしていきました。

これに伴いアメリカの人口バランスは農村部中心の状態から、都市部中心の状態へと変化していきました。これは言い換えれば、アメリカという国の原風景が農村部から都市部に移動したということでもあります。

急激に人口が増加する都市部ではスラムが出現し、病気や暴力の蔓延、犯罪の急増、貧困層の肥大化、火事の多発などがおきました。

これにアメリカの中上流階級を構成するWASPの人々は否定的な感情を抱きます。

急速に進む都市化や工業化がこの悪い状況を引き起こしたのだという視点から、農村部での生活に還ることを主張する新聞記事や論文が多く書かれます。

また、都市部で流行するラグタイムやジャズなどの音楽を「堕落した音楽」とし、山間部や農村部で歌われる音楽を「アメリカのフォークソング」と捉えここに真の精神的豊かさを見出すような言論も登場します。

じっさいに、19世紀末から20世紀初頭にアメリカ西部・南部の農村地域や山岳地帯で歌われている歌を採集・採譜して出版・保存するといった活動も頻繁に行われました。

なお、アメリカ工業化の象徴といえるようなヘンリー・フォードは自身の資産をこのような「アメリカン・フォーク音楽」の調査収集活動へ寄付しています。フォードはむしろ都市部の「ジャズ」や「ラグタイム」に対して、批判的な記事を自身の会社の発行する新聞に掲載していたほどです。


古き良きアメリカを象徴する役割を与えられたアメリカのフォーク音楽(のちにヒルビリーやカントリーなどと呼ばれるようになりますが)は、WASPたちが日常の中で歌っていた音楽とも言えます。

しかし都市部に流行した「ラグタイム」や「ジャズ」は、ユダヤ人などの新移民や元奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人の文化と紐づけられることになります。

じっさいに都市部に滞在した新移民としてのユダヤ人たちは、その芸術的な才能を自身の資本として、ニューヨークのマンハッタンに当時出現した音楽出版社の集まる一角で「エンターテイメント産業」を担う労働者として活躍をはじめます。

この、音楽出版社が集まるエリアを「ティン・パン・アレー」と呼びますが、どこを歩いても方々から一日中ピアノの鳴り響く音がする、まるで鍋を叩いているような感じだ、ということでこの名称が定着しました。

ティン・パン・アレーではシートミュージックと呼ばれる楽譜の出版が主力商品で、これを作るために「作曲家」「作詞家」「編曲家」「デモ演奏をするピアニスト」「楽譜を売るために顧客や劇場に訪問演奏をするピアニスト」などが雇われていました。

ここで働く人々の多くが、新移民で構成されていたといいます。

ティン・パン・アレーでキャリアを積んだ有名な作曲家に、「ショウボート」のジェローム・カーン、「ホワイトクリスマス」のアーヴィン・バーリン、「アイ・ガット・リズム」「サマータイム」のジョージ・ガーシュウィンなどがいます。彼らはいずれもユダヤ人です。

新移民がこういった分野で活躍し、重要な地位につけたのも音楽産業が新興産業だったことが要因だったと考えられます。古くからの産業はすでにWASPの成功者たちによって全てのポジションが占められていますが、新しい産業ではどの人種でも同時に参入をしますので、スタートラインが一緒です。

また、音楽産業にクリエイターとして参入するには元手となる資本が必要なかったということも重要でしょう。車を生産する工場を作るなら、土地や建物、生産するための道具や機械が必要となりますが、音楽産業であれば自分の発想だけで勝負することができます。

従来のクラシック音楽に根付く感覚ですと、作曲家ならば最低でもピアノを流暢に弾きこなす技術が必要ですが、ティン・パン・アレーではそれも必要ありませんでした。作曲家が口ずさんだメロディをピアノを弾いて楽譜に書き起こす専門のピアニストがいたからです。

映画業界も新興産業でしたので、ターテのような移民でもキャリアをスタートさせることができました。そもそもターテが劇中ではじめて行う商売は切り絵です。紙とハサミと自分の技術があればはじめられる大道芸からターテはアメリカでのキャリアをスタートします。

その技術を応用して、まるで絵が動くように見える絵本「ムービー・ブック」を作り、これをそれまでの切り絵よりも高い金額で販売することに成功しますが、このムービー・ブック作りも、自動車工場を作るような資本を必要としません。


新興産業は新移民にも成功のチャンスを与えましたが、しかしその業界が儲かることがわかってくると次々とWASPの資本が参入し、経営の立場などを独占していきます。

ここでも従来の階級が再生産されていくのです。




ミュージカル『ラグタイム』を読み解いていく上で重要になりそうな年号や出来事を、山野なりに書いてみました。

ごく一部の事象しか扱えていないのも理解していますが、作品の背景になっている時代の出来事が多岐にわたるため全てにはとてもじゃないけれど触れられません。

今回話題にした「フロンティア学説」「WASPと新移民」といったトピックは、山野がこの作品を読み解くときに指針としたものです。これが観劇されるみなさんにとっての補助線となればいいなと思ってこの記事を書きました。


さて、ここから先はさらに補助的なというか、「山野の考え」を書いていく段落です。

すべての人が読んで楽しいということではないと思うので限定公開というかたちをとります。あいすいませんが、よろしくお願いいたします。



この作品のテーマは、どこにあるのか、という話です。



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