見出し画像

霊界と神界の違い


神幽現三千世界


一応、このアカウントはスピリチュアルを専門としておりますので、記事全般を読む際には、神幽現の世界の認識を最低限頭に入れて頂く必要があります。

半分くらい宗教観が入っていますね。
一般の認識では、幽世かくりよつまり あの世は存在しないことになっており、私の執筆する事柄全てが常識外れの少しふわふわした内容に見えると思います。
まず、輪廻転生そのものがフィクションの扱いをされておりますのでね。

果たしてそれらの認識は、映画などに影響されたのか?
実際、輪廻転生の神秘を取り扱うチベット仏教色の強い映画などもありますし、そういったコンテンツを視聴した経験があるのも確かです。


映画を観たからとか言うのはないです。
基本、私は映画やドラマなどの娯楽コンテンツはあくまでも娯楽の域を出ないものとして見ています。

単純に、幼い頃から学んだ宗教観をそのまま引用しているだけです。
しかして、それについて誤りを咎められたことがないので、正解なのだな、ということで話を進めております。


私自身、実は霊媒そのものに根拠を見出すことに非常に苦労しました。

実際に霊障・霊動が目の前に起こっているのに、未だに半信半疑の念が発生するのです。

実感を持つことが難しい。
精神が乖離します。

しかし、私は強い意志を以て湧き出す疑念をアミで掬い取り、掴んだ想念を一つ一つ精査して検証し、「やっぱ或るんだよね」とあらゆる手を使って自分なりに立証させて脈性理論を築き上げてきました。

誰にも頼れない。
何も頼るものがない状態からの、孤独な戦いです。


そういった精神的な戦いの末に、死後の世界の解像度を徐々に上げていったのであります。


それ故、私は確信を持ってスピリチュアル情報を発信しており、また恥ずかしげもなく、ふわふわした事をひたすら知識として垂れ流し続けております。
それは、ひとえに突き動かされる衝動のままにキーボードを打っている、ただそれだけです。


一応
ka)「ノス。これ、アカシック・レコードに登録しといて。現界からは初めての情報っぽいから」
nos)「あいさー」
みたいなやり取りがあるので、全く無意味な行動であるという訳ではないですね。


今回は、世界次元についての違いを少々書き出してみますね。

この記事の情報も、「スマル初」「スマル発」というタグを付けられて、nosがアカシック・レコードに持っていく内容です。

つまり、Ψ8。

観察に観察を重ねた上で、導き出された中央値です。


どうぞよろしくおねがいします。



意識が世界の位置を決定付ける


まず、最初に自覚していなければならないのが
「精神の位置」です。

上記の2記事に、さらっと精神の位置について書き出しました。

ふざけた感じに書いていますが、このくらい噛み砕かないと身近に感じられないでしょう。
世界観の理解を深めるべく、例え話を交えて書く。
それが、nosさいころじー の姿勢です。


聖書にもありますよね。

ここからどう思うか?
何を感じるか?
イエスの話したい真意に少しでも近づくよう、手助けのツールとして喩えを引用する。

それが

プラスル マイナン です。
これも喩え話になります。

おうえんポケモン プラスル マイナン
例え話を聞いて、それが自分にプラスになるかマイナスになるかは分からない。
しかして、副次的に産出された5次元の世界(=例え話やこぼれ話、副産物)の補助がないと、精神は前に進めません。
しかしながら5次元コンテンツなるものは、総じて意識の根底には「応援」があるのです。

キュアエール!
癒やしたいという意識から、発生しているのです。

足し引きしながら、理解を深めていく。
その応援をしたいな…というのが、nosさいころじー なんですね。
心理学ってほどでもないですが、端っこくらいにはいるかな、と思っています。


それはいいとして。


我々が現在、生を営む世界は現界です。
現世げんせとも現世うつしよとも言われています。

げんせはともかく、うつしよってどゆこと?となりますね。
それは、現界と同じく物質界に存在する霊界世界の写し鏡の結果、ということを意味します。

霊世れいせというのは存在しないんですね。
持続が続いているので、幽世かくりよ現世うつしよのように区切りが発生しない為と思われます。


仮に霊世なる概念が存在するとすれば、それは聖霊としてのエレメントなるものに該当すると思われます。

エレメントとは。


嵯峨野へに書きましたけど

京都は霊界おろしが大量に存在する地です。

仏界の入口
三十三間堂

かつての創世主の住居
10円玉に刻まれた平等院

エル・カンターレの一部
平安神宮

仁王君が処刑された地
八坂神社

地球で初めて龍が降り立った地
天龍寺

全ての学問を司る神が生まれた地の影
北野天満宮

霊界おろしの一例


霊界と呼ばれる地にある建物が現界で再現されることを、霊界おろしと言います。

エレメントは、霊界おろしのエネルギー及び雛型となる素粒子が凝固したものです。


仏界って幽界にあるって過去に言ってなかった?
霊界なの?
となりますけど、仏界は霊界と幽界の間にありますので、基準が曖昧なのです。

しかして、霊界おろしはいつの時代にも行われており、歴史的建造物だけを霊界おろしの結果である、とするものでもないですね。

奈良・京都は神道の発展の中枢ということで、特に重要とされる建物が3次元展開しましたが、霊界おろしは他にも大量にあります。

この記事に書いた、企業墓です。
企業も、本社の本社となるものが霊界に存在するのです。

イトーヨーカドーなどの食品類を扱う小売から、コニカミノルタなど精密機械を扱う工場まで様々。

UFOは未確認飛行物体ではなく、うまい・ふとい・おおきいのカップ焼きそばであると何度も発信しましたが、発売元の日清食品の大元の大元が霊界に存在することを意味します。
UFOは霊界でも人気ですね。
一平ちゃん夜店の焼きそばと接戦です。
東洋水産も霊界に存在します。

霊界に住む人間は総じて次元が高いですが、インスタント麺なども普通に食べます。
何故って、美味しいから。
それ以外に理由はないですよ。


他にも、幽界おろしなるものもあります。
Apple社などがそうです。
Macintoshは霊界に存在しないのです。
霊界の人は、トロン製を使用しています。

霊界を押しのけて、幽界のコンテンツが現世に降ろされるというケースもかなりありますね。

ちな、マクドナルドは霊界に本社があります。
ドムドムバーガーの本社は幽界です。

え、ケンタですか?
霊界ですよ。
ミスドは幽界、ダンキンドーナツは霊界です。
ダンキンドーナツという呼称ですが、中身はクリスピー・クリーム・ドーナッツです。


あの…モスバーガーは?
モスは霊界です。


基準はなんなの?
というと、現世におろしやすいかどうかです。

ミスドはダスキンが片手間に始めた事業です。
タカヒマラにおける「タージオン空間への発生」そのものが新しかったのです。

いいことあるよ ミスタードーナツ♪
が出来た頃には、霊界にはクリスピードーナツがすっかり一般に普及しており、ミスドが入る隙間がなかっただけです。
徐々にフランチャイズが霊界に進出するかもしれません。

私は、クリスピードーナツよりミスドの方が味が好みだと思っています。
何が良い悪いとかではないんですよ。

そして当然ですが、幽界・霊界に存在する食品は、現界のようにダイエットに成功していません。
つまり、お値段そのままに中身を減らすということは無いです。
金銭の感覚が、とにかく緩いため。
しかし金融そのものは存在する模様。

明治の板チョコは、一つ180gです。
今みたいに50gを切るようなことはないですね。
希望小売価格はここでは控えさせていただきます。

これは仕方ないことなのですよ。

不景気ですから。

それでも、企業努力でなんとか細かい計算に計算を重ねて単価計算で利益が見込めると判断し、一意奮闘して新しい金型を導入し、味もクオリティも落とすことなく工夫してなんとか企業を存続させること、そのものが次元の高さの現れですので、落胆することではありません。


話が脱線しまくりましたが、霊界おろしの最終地点が現界こと現世うつしよということで、まずはご理解頂きたくお願い申し上げます。


人類が神を見る日より

この図がとにかく重要です。
精神→物質 物質←精神 とかかり続け、往復を続けることで徐々に3次元として物質が実存するようになるのです。

例えば、コニカミノルタの創立者がカメラが好きで好きでたまらなくて、霊界で本社を立ち上げ、それに留まらず熱意がダダ漏れになると、徐々に三千世界全てにカメラへの熱い想いが響き渡るようになり、やがて次元を越えて現界の、いいタイミングの世、つまり時代こと現世にその姿が現れるのです。
例えカメラ市場商戦に押し負けてイマイチ奮わなくなったとしても、創立者の熱い想いがある限り、コニカミノルタは永遠です。

タキオン回転とは、そういった想念の現れを言います。


物質世界とは、現界だけには留まらない。
霊界、幽界、現界、全てを言います。

物質は物質。
しかし、その奥に潜む歴史や熱意や想いが凝縮化されたモノを見抜いてこその、5次元です。

空が埋まる時。
虚空蔵菩薩の「虚空の果て」
ワクビムスビを知る、その時に4次元が生まれます。


では三千世界とはなんなのか?というと。


推質の説明が入ってしまっていますが、この図のそのものが物質界です。

しまった。
垂質だと思っていたのに。
誤字かな?

しかし、これは霊界おろしでもあり、推進の力、推質とも言える姿なので、間違っちゃいないんですけどね。
ごめんなさい。


現界は、世界を支える三頭の象の後ろに点以下の状態で浮かんでいる、小さな空間を指します。

図に表すと、大体こんな感じです。

少し見づらいのは御愛嬌ってことで


上記の図と少し違いますね。
亀の上にゾウさん達が乗っているのではなく、実際はゾウさん達の背の上に亀が乗っています。

なんで亀がドダイトスなのよ?となりますが、図の巨大な亀の上に幽界があるからです。
その亀のモデルにドダイトスがぴったりだったので、画像をお借りしただけです。
フシギバナでもメガニウムでもジュカインでもジャローダでもブリガロンでもジュナイパーでもゴリランダーでもマスカーニャでもなく、ドダイトスが重要だったのですね。

物理限界の壁の、限界の字が間違っています。
物理現界となっていますね。

しかし、現界と幽界の境界線は、物理法則の切り替えスイッチでもあるので、その視点で見れば間違ってはいないです。
幽界から先は、現界の物理法則とはまるで違う、物理そのものの制約が失われた世界となっております。

重力が…三体問題が…といった疑問は、現界でしか通用しないです。



そして幽界の世界の端を、多くの人はフラットアースだと認識しているのです。

幽界と現界の認識をごちゃまぜにしている現れです。



我々は、ゾウさん達の後ろに発生する、突如として現れたり消えたりする申し訳程度にしか見えない小さな真空空間の中におります。


世界そのものがあまりにも小さすぎて、見つけるのが大変なレベルですよ。

そんな小さな世界の中で、ウロボロスの回転を肌で感じながらあーだこーだと議論しながら生きているのです。


俗に言う弥栄いやさかとは、ウロボロスの蛇の上に乗っている3頭の象の長子です。
一番上のお姉さん。
いやさか号。
世界の繁栄・反映の手助けをします。

私がパワーストーンは断然フローライト蛍石が最高だよ、と言ったのは、ウロボロス回転に合わせて生きるキョウダイ象の真ん中、風の蛍石号の加護を得られるからです。
実直に生きる補助をします。
風の蛍石号は、男の子です。

最後に、末の妹のタオ号です。
道を意味するタオは、プラトンの洞窟論の洞窟こと魔境を脱するお手伝いの役割をします。
星ノ宮という別名があります。

ガネーシャなどは、この象の姿を霊視で垣間見て、
「象かな? 人間かな?」
と混乱された方が、絵に現したのだと思われます。

人間の心を持った象のきょうだいです。


これが、物質の全てです。

まるで精神世界のような、しかし精神は関与しない、感性を核として徐々に顕在化していった不動の状態。

完全なるトーラス循環を可能にするものです。

これに異を唱える者は、ウロボロスの外の世界へと行くことができます。
ウロボロスの外は、完全なる無の世界です。

しかして、そこでは霊魂は今までのように生活は出来ませんので、一部の者はブゥブゥと文句たれながら幽界にて籍を置いていますね。

一応、天女が
「世界創世キット、お使いになりますか? イチから宇宙を創生できますよ」
と、まとまったソーマとテンプレートと空間を渡してくれますが、これに挑戦して現代地球のような文明を築けた者は存在しません。
泣きながら、現物質界に帰ってきます。


かつて、世界をアトラスという巨人が支えていた。
アトラスは世界を支えることに飽きて、ヘラクレスをからかった。
「世界、担いでみない?」
ヘラクレスは了承し、アトラスは自由になった。
いつまで経っても帰還しないアトラスに腹を立てたヘラクレスは、ゼウスに言ってアトラスを罰するように言った。
それからアトラスは禁錮され、永遠に世界を担ぐこととなった。

…といった神話がありますが、三頭の象が生まれる前のお話ですね。
アトラスの軟弱さを憐れんだ象の神が、選手交代を自ら買って出たのです。

いやさか号、風の蛍石号、タオ号は、三頭で力を合わせて世界を支えます。


宇宙の歴史は、巻物の続き絵のように持続になって、神話として世界各地に点々と降ろされているのですね。

大昔の日本では、コマがない漫画みたいな御伽絵巻が一般に流行していました。
エジプト絵などもそうですね。

年代ジャンプして、つながっている、と。


そして神界はどこにあるのかというと、霊界より上にも存在しないです。
神界は、存在しない。


霊界は、幽界から切り離された天空の城ラピュタみたいな感じなのですが、広大にも程があるので、土地問題などは考慮しなくても大丈夫らしいですね。

そして、これは現界と同じスタンスにあります。
転生場所という意味で。

全ての霊魂は基本は幽界におりますが、500年の枷が存在し、これを過ぎると霊界か現界のどちらかに転生しなければならないという宿命を背負っています。

しかして、霊界へ行くのは難儀な上に、人によっては霊界は地獄そのものに感じることもあります。
ということで、現界へ転生する人多数。

霊界は働き者が行く場所なのです。
仕事大好き、仕事人間。
仕事が嫌いな人間は、霊界では生きていけません。
というか、肩身が狭すぎる上にアブダクションでグレイに連れ去られてしまいます。(=霊界での死)

幽界に強制連行されるだけですけどね。

UFOにキャトられる牛のおもちゃ、牧場発ですかねえ。
ひっくり返すと空気圧で牛の声みたいな音がする缶詰のおもちゃもありますが、その類似品かな。
一部の牧場では、牛など家畜をモチーフにした面白玩具を土産物として売っているところもありますね。



ともかく、アブダクションは現界ではなく霊界で起こる現象なんですね。

霊界には魔法も存在しますし、グレイなる存在も知らぬ内に湧いて出てきます。

一体どこから来るのか

グレイは精神世界の生き物です。

Q.どうやって物質界まで来るの?

A.精神世界の壁をファントム・インプリズンを起こして飛び越えてくるのです。


精神と物質の狭間

ここに書きましたが、精神宇宙への侵入、なる概念が存在するのです。

そういった認識は、現実の宇宙観と混在しがちです。


その辺の理解のために、精神の位置なる考え方を理解する必要があるのですね。

物質界・精神界の一望図。

物質界と精神界は常に表裏一体であり、時空のスリットの隙間からそれぞれの要素が零れ落ちて、世界を垣間見ることが出来ます。

誰もが皆、精神界のどこかに必ず”精神の位置”として意識を置いていることを意味します。
それがΨ5もしくはΨ6です。


私は久しく精神界の存在を知らずにおり、精神界の認識そのものを否定しておりました。
「物は物だろ。それ以上でも以下でもないよ。愛着その他を切り離せよ」
とかのたまっています。

ところが、noosologyの理解の為の漫画を組み立てたところ、グレイが私の元に現れたのです。
目の前にUFOが!というトンデモではなく、当然夢の中ですよ。
夢を介してでしか、グレイの姿は確認出来ませんので。

グレイ)「やあ。精神世界を案内してあげようか?」

kakao)「グレイ…? まじ?」

グレイ)「マジだよ。しかし、君は随分現実主義だね」


やっとのことで、精神世界への扉を開くことが出来ました。

にゃんだこれは〜!


超・超・物理の中の物理しか勝たんと思っている私が、精神世界という不可思議な世界観を認識した。
これらは紛れもない事実として、心の中に刻まれました。


まず、冥界に辿り着きます。

ここは精神世界の出口です。
冥界くぐりは、精神世界からの脱出ルートだったのですね。
精神世界で最も浅い場所です。

そして、冥界の更に行った先に鼎領域という世界があります。

かなえ

ここは、文殊菩薩が司る領域です。
三人寄れば文殊の知恵 というでしょう。
知恵を生み出す究極の次元です。

更にそれより深き場所に、精神世界の果てが存在します。
そこでは、四神が宇宙の軸を回転させています。
ちびくろサンボのトラバターかというくらい、グルグル、ずーっと回っています。

玄武 白虎 朱雀 青龍
そして黄龍

その更の最深部に、神界が存在します。

ここまで到達する人は、かなり霊格が高いですね。


精神界は、深部に行けば行くほど神格も霊格も高く、強大な存在となるようですね。


しかして、これはあくまでも精神の世界なので、肉体と認識はどうしても物質界に身を置かねばなりません。

心はどこまでも高くあったとしても、身を置く場所は幽界。

そして次元を上げると霊界に赴けますが、「素質アリ」と判断された者は精神界に強制連行され、幽界〜現界で活躍することを義務付けられます。

それが、輪廻転生を突き動かすものですね。


更に言うと、精神界の認識では人間という生き物は最底辺に位置することになります。

愚かで、くだらないことで悩み、時に他者の足を引っ張り、慾をかき、世界を滅ぼす種族であるとして、深部に行けば行くほど滅亡が望まれております。

過去にちょいちょい呟いているZの楽園なるものは、精神界の究極を意味します。

Z
最終にして最高を意味する記号。


仏界が幽界に存在するというのは、精神界にアクセスしやすいからですね。

幽界こと4の世界、4次元世界を中心に三千世界は回っているのですね。


そして、オルフェウスの竪琴。
これは物質界と精神界の境界の最上位に置かれています。

アポロンの息子、オルフェウスは竪琴の名人でした。
オルフェウスは美しい娘エウリュディケーと結ばれましたが、ある日エウリュディケーは毒蛇に足を噛まれて死んでしまいました。
オルフェウスは哀しみのあまり、冥界の王ハデスの元へ赴きました。
ハデスはエウリュディケーを生き返らせることは出来ない、と言いましたが妻のペルセポネー(デメテルの娘と言われています)が進言し、黄泉還りを許しました。
しかし、ハデスはオルフェウスに条件を出しました。
冥界から出るまでの間、オルフェウスは後に続くエウリュディケーを振り返ってはいけない、というものです。
二人は険しい岩壁を登り、あと少しというところでオルフェウスは後ろをふり返ってしまいます。
あっと思う間に、エウリュディケーは再び冥界の底へと引きずり込まれていきました。
オルフェウスは慌てて追いかけましたが、冥界の門は固く閉ざされ、二度と開くことはありませんでした。
哀しみに暮れたオルフェウスは、オリンポス山の頂上で竪琴をかき鳴らし、涙を流し続けます。
やがてオルフェウスは竪琴と共に空に召し上げられ、神話となったのでした。

この神話が元になっております。
オルフェウスの竪琴は、物質と精神の境界、また冥界と物質界を繋ぐ特異点となっています。


これらはあくまでも概念ですので、実際に竪琴が存在するわけではありません。
これも、例え話の一つです。



常世をどう受け止めるか



位置の認識を持つことが重要です。

ここに書いた、魔法族かマグルかの違いですね。

テラかセレスか。
人間の発生点は、この2つに分かれます。

それを基として、ここで量子力学で有名な二重スリット問題の答えが出てきます。

どう視えるか。
そして視えた世界をどう認識するか。

精神世界と物質世界の狭間から視える宇宙認識を、どのように受け止めるか。


セレスは、幽界の人間の視点。
テラは、現界・霊界の人間の視点。


多くの人は幽界からメッセージを受け取っているようですね。
もしくは、精神界の神界とアクセスしていると言えましょう。

霊界は、ほぼ現界ですからね。
「霊界の奴らは…」
とか言っている人は、神界からのメッセージに強く影響されています。

何度か言ってますけど、霊界は常に薄ぼんやりとした面白みに欠ける地ですので、そこからメッセージとなると、やはりどこか薄ぼんやりとすることでしょう。

凡庸にも程があり、誰も彼も仕事仕事で争うことを知りません。



それはともかくとして。


そうなると、精神の位置の基準となる場所を指す言葉が自然に浮かび上がっていきます。

それが常世とこよです。

或る人は、これを現世だと言います。
自分たちが肉体を持って生きる場所であると。
また或る人は、これを死後の世界であると言います。
あの世、つまり肉体古いヒューマノイド・ボディを捨て去った地であると。


この認識が、セレスかテラかの境界線です。


幽界至上主義者であるか、現界・霊界至上主義者であるか。


幽界主義者は、セレスです。
フラットアースの記憶を持つ人のこと。
幽界の常識を魂レベルで覚えており、それを現世に当て嵌める人です。

現界主義者は、テラです。
地球は丸くて、物理は物理、という人。


それは、どっちが悪いとかではないです。

そう思うならそうなんですよ。

現界に生きている時間というのは本当に一瞬みたいなもので、霊魂の多くは幽界で過ごす時間の方が遥かに長い。
幽界の記憶をずっと持ち続けていたとて、何の疑問もありません。

ただ、それを他者に押し付けるのはどうかな?というお話です。

攻撃性の現れです。
攻撃性のみ前面に押し出すことしかしない人は、霊格がどんどん下がっていきます。
神界に赴いたとて、エデンを追放されるように神界でも追放されてしまうでしょう。


やはり神たるもの、自己の内宇宙をひたすら磨き上げ、極めることが求められるようです。

それが、常世とこよですね。

自己のミクロコスモス。
Ψ2 です。
セレスかテラかは問いません。

ただただ、自己を高めること。
それだけが極みへの道です。



ナンバーワンにならなくてもいい
元々特別なオンリーワン


と言いますが、オンリーワンの中のナンバーワンになること。
それが、神格を示す素質ですね。



ワンワン、ワンワンとなんだよ〜。
天人の王王わんわんは、非常に数が少ないです。
殆ど雑用係の娘娘にゃんにゃんばかり。

それは神格高き人、天竜人ではないですが、そういった人物が極端に存在しないからです。

天竜人は悪ではないですね。
天竜人の祖となった人物こそ、王王の素質を持っていた、と。

それはいいですけど、とにかくイチバン!
イチバンにならないと駄目です。

ダジャレじゃないですけど。


それは、ワンネスへの理解に到達した者、と言えます。

本当にダジャレじゃないですけど、理屈抜きでこれを理解すると、真のナンバーワン王者となれるわけですね。




長く、そしてとりとめがない内容になりましたが、霊界と神界の違いをご理解頂けたでしょうか。


霊界は、物理限界が緩くなった現界。
神界は精神界の極み。


そして、神霊的に…という表現が出てきますが、これは霊界・幽界の常識というだけでなく、スピリチュアル的にという言葉を和語で直訳した言葉であると受け取ってください。

神霊界スピリチュアルで言うと…等等。


紛らわしいですね。
本当にすみません。

この違いをご理解頂ければ幸いにございます。

それでは、さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?