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認識デカ


おらがの やまにも


猫から学んだアロハの意味。


アロハは、非常に広義な愛の言葉である、ということが分かりました。

うちの黒猫ちゃんは非常に真面目な性格で、キリスト教による神たるものの認識や概念を享受しなくても、最初から信仰たる態度やその心を身に着けていたようです。


耶蘇たるものの究極は、絶対神の存在を語り継ぐことではありません。
自己認識における神聖なるものの存在を理解すること。
そして神となる存在を深く愛し、信心深く厚く厚く生きること。
その姿勢を身につけることが求められているのです。

しかし、この高次なる感覚が中々理解されずにいます。
とはいえ、何もしないのも良くない。
まずは形からでも入るべし、ということで「主たる神の存在を崇める」という行為そのものを習慣化し、少しでも神聖領域の感覚を掴むよう促されているのですね。

神の領域の侵入。
目的はこれです。


それはともかく、アロハに話を戻します。
マナという言葉も同じく、だいぶ広義の言葉でした。

やはり、ハワイは大雑把な認識でもほんわか楽しく生きる、という星の記憶の泉の水が、こんこんと湧き出ている地のようです。

いい意味での「なんくるないさー」が根底にあります。


優しく生きるには、受容の心と姿勢が必要。


どんなに面白い話があったとて、万人にその言葉の真意は届きません。

何か笑える話があったとして、それを聞いた大勢が爆笑したとしましょう。
しかし、話者の認識と聞き手の認識は必ずしも合致しません。

話を聞いて爆笑した人々は、面白い話の中から自分の経験と思い出を呼び起こし、そのうち自己精神宇宙の中での笑い事として受け取っているのです。


つまり、笑いを引き起こすトリガーは千差万別ということ。
それぞれ違う理由で笑っているのです。
同じように腹を抱えて笑っていたとしてもですよ。


しかして、そういった広い意味の言葉は次元調整を任意に行う程の小手先テクニックを駆使しないと生み出すことが出来ません。
全ての人に言葉を響かせるには、あらゆる意味にも取れるふわっとした言葉である必要があります。
これは非常に難しい。

しかし、あるにはあるんですよ。


これがオレンジチャクラ。
第二チャクラ エモーショナルの回転となります。


それは、必ずしも癒やしの言葉とは限りません。

アロハは癒やしが根底にあるようですが、響かぬ人には響かぬ。

かなり高次の認識を持っていないと、そもそもが理解されませんし。


定型文などでは決してない。
不定の形なき不思議なものです。

波動の軌跡。
それを追い続けること。
決して休まず、意識の持続を辿ること。

そういった訓練を行うことで、いつかは到達が可能に…なる筈なんですが、何故か9000億縁先の未来まで訊ねても
「誰もそこまで辿り着けないよ?」
と言われてしまいます。

むむ。
そうなのか…。


ともかく、タイトルの認識デカについてです。


どぞよろ。



おらがも こかげで



主語デカというネットスラングがあります。

これは、所謂決めつけの精神です。

「女ってさあ。愚痴しか言わないよねえ。全くしょーもねえ生き物だ」
とかいう感じの言葉です。

愚痴を滅多に吐かない女もいれば、口を開けば愚痴しか言わない男もいます。
多様性という言葉が大きく欠落した、残念な認識です。

主語デカなんてのは半分くらいネタで扱うものであり、もしくは誰かに失礼がないように自粛の意味で使うものですよね。

「主語デカになるが、日本人は総じて野菜という食べ物を軽視していると思う。だから、健康の話題が出る度に野菜を食べよう、とか言い出すのだろう。普段から意識していない証拠だ」
などですね。

こういった認識は、何も日本人に限りませんからね。

しかし西洋の食文化を見るに、肉中心と思わせて、おしゃれな野菜を好んでもりもり食べる人なども少なくないことから、ベジタリアンなる思想はかなり社会的地位が高い気もしますね。


という訳で、主語にかかる意味の認識が大きすぎる、という意味の主語デカです。


タイトルの認識デカは、主語に限らず述語・装飾語・修飾語などに的を絞らず、意識そのものにかかる範囲が広いことを言う、という前提で話を進めていきます。


人間の精神の奥底には、大きく分けて三種類の認識がある、ということを突き止めました。

他にあるかもと探しましたが、どれも集合の条件を厳密には満たしていなかったので三種類とします。

あくまでも根底の認識であり、表に三種の認識部分が出てくるまで長い長い時間がかかります。

底から這い上がる心、そして実際に自分が考えたり思ったり持ちえている感覚とは、微妙に距離が空いているのです。
深層心理の根と言っても良いかもしれません。



ゴッド 神を求める領域
神たるものは、特に縛りはありません。
黒猫ちゃんの場合は、それがご飯でした。
ご飯の歓びを心の底から理解し、何かがあるとご飯を求めます。
歓びたる要素をはるかかなたの未来の先まで求め続ける部分。


ヘイト 厭だと感じる領域
人間は、基本我慢が出来ぬ生き物です。
なんらかの建前や智識がストッパーになっているだけで、実はいつでもNOを言いたいのです。
しかし、それだけでは幼児性が剥き出しになるばかりで、場合によっては自分の首をどんどん締めていくのも事実。
如何に理性を働かせることが出来るかの知恵比べの領域となります。
愛なんてものは所詮は後付です。
人間の心の根底には、慈愛などというものは存在しないのですよ。


ライト ハイ
本能の赴くままに歓びを追い求める心です。
自由が欲しい。
権利が欲しい。
愛が欲しい。
翼をください。
抑圧からの開放です。


このまんまです。
これは人間の欲求そのものを歌った歌なのです。

富とか名誉とか、本当はいらない。
しかし自由と権利の為に、どうしても必要になる。
この煩わしいものから開放されたい。
という願いの歌です。



これが本当に人間の奥底にあるものなのか?と訊かれれば
「信じられないかもしれませんが、そうです」
と答えます。


そして浅い認識の人は、その気になって
「そうだ、自由だ、開放だ」
などと蠢き始めます。

それは駄目なんだって、分からないかな!?
そうやって失敗を重ねていったの!
分かりますか?

理性的に生きるしかないんですよ。
いくら心の行動原理が神・嫌悪感・飛翔だと言っても、これらを本能であると認めて理性を働かせて上手いこと折り合いをつける、それが人間ってもんなんですよ。

それに反発する人間は、マジのマジで人間向いていないです。
猫以下の生き物ですよ。

黒猫ちゃんは、神の領域の扉を開けていますからね。
全ての猫がそうではないですけど、本能たる部分の理解に無意識とはいえ到達しています。

この三領域の到達すら出来ていない存在に、真の意味での自由や楽園が自分に訪れるとお考えですか?


何のために、キリストは厳しい戒律を敷き、イスラームのアッラーは信仰に集中せよ、と厳しく言っていると。

全ては、三領域の理解と到達のためです。

本物の自由と権利と愛を得るため。

これに尽きます。


それは、今すぐに得られるものではないんですけどね。


とにかく少しくらい我慢しなさい、ということです。
今日明日で出た安易な結果なんて、長持ちしねえぞ。



おらがに よくにた


言葉だけのやりとりなど、所詮は7%も真意が伝わりません。

しかし、一回だけでは7%でも、やり取りを10回も続けたらどうでしょう。

7%以上の解像度の上昇も可能かもしれません。


という訳で、私は占い鑑定などは最低でも霊視に半年以上はかかります。
映像の力を借りたとて、やはり完全には伝えきれない上に理解にも限界があって。

一見いちげんで全てを悟りきることなど不可能です。


こういっちゃ難ですが、私は国語は得意なんですよ。
読解力が高い方なんです。
分析もかなり精度が高いと、自負してます。
一応ね。

それでも、言葉を伝えるのに大変な時間がかかります。

相互理解にも。

また、一回のエンカウントで読むことが出来る領域も限度があります。

「今日はここまで。また今度」

として、カタカムナのミクマリ領域の境界線まで辿り着いた時はふいに足を止めます。

これ以上は害になると知っているからです。


そうして、何回もミクマリ領域に足を踏み入れ、認識としての奥行きというフィルターを幾重にも積み重ねていく必要があります。
やがて徐々に心のカタチが浮き上がってくるのが視えるようになるのですね。


認識デカの概念も、発見までかなり時間がかかりました。

一朝一夕で得られる内容ではないです。
反発もされますし。

この内容を、よく知らない人が見たら嘲笑うことでしょう。

そんなに人間、単純なわけがないよね、と。


だから、人間は傷付け合うことしか出来なくなるのです。

相互理解の道なんて、遠過ぎるでしょう。


まあ、私はもう理解をしてもらおうとかいう次元はとうに抜けていますが。


一応、ここに書き留めておこ。
あとはしらん。
ということで。

何言われても関係ないからね。
しかし、誤解する人が増えるのは良い気分しないなあ。

すまぬな、変なことを言って。

というのを、何回も何十回も繰り返してきました。


やだやだ。
白隠禅師の5次元の話、全然笑えないんだわな。




おらがもゆきあそびに


誤解を招きやすい認識デカの言葉、会話。


黒猫ちゃんの
「GO HA NN !」
という叫びも、心の奥底を理解していないと、ただの食いしん坊にしか見えませんからね。


猫は基本、食べることが大好きで、時に卑しさ全開で悪行に出ることがあります。
鰹節の袋なんて、その辺に放置出来ませんね。


それは勿論分かった上で、黒猫ちゃんは神の領域の底の部分に到達していた、というお話です。

高次っぽい感じがしますが、マジで高次です。

そう易易と「あー、あの感じねえ」なんて言えませんて。


超ウルトラスーパー真面目なんですよ。
真面目も真面目。

ふざけて、誰かを茶化すことしか能がないような人間が溢れかえる中で、こういった真面目認識を振りかざすとイジメの標的にされやすいです。


真面目な認識を小馬鹿にする人は
「なに本気になっちゃってんの?」
みたいなことを平気で言ってきます。


これは、負けることを恐れる心からです。

うんと質の悪い、濁ったオレンジチャクラの部分。

オレンジチャクラは、人を癒やしたり傷付けたりの落差が激しい、難しい領域なのですよ。


故に、次元調整が出来るとあまり傷つかずに済みます。
高かったり低かったり。
その場に合わせた仮面ペルソナを多く持つことも重要。

私の本心はここにはないが、演じているだけ、みたいな認識ですね。
しかし、しっかりと自分を見失うこともない。

そうでないと、心は簡単に壊れます。
いつの間にかヒビだらけになって、一気に弾け飛びます。
それが、心なるものです。


つーても、やっぱり無理なので、私は今緩やかにネット断ちをしています。

ツイッターや、その他避難所は目の毒です。
あそこにいると、心がどんどん壊れていく気がします。

だから、思い切って辞めました。

清々していますよ。


SNSでもリアルでも、多少の歓びの要素が見つけられるのであれば兎も角、いつ見ても心がすり減るような気持ちになったら逃げを考えるべきですね。

リアルは逃げが難しいですが、SNSは逃げられます。
執着さえ断ち切れば可能ですから。


ネット上の、人が多い場所にもはや楽園はないかも知れない。

現在は取り敢えずでnoteさんにスペースを借りており、引っ越す予定もないですけどね。


人とふれあいを続けるのは、難しいですねえ。

時空を切り離したくなる気持ちも分かるわあ。


なんてね。


精神界への侵入のきっかけとなる認識を書いた記事でした。


それでは。

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