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波(2023.06.13)

朝、仕事へ出かける際、珍しく機嫌が良い妻が見送りに出てきて、玄関で踊っている。朝の子供向け番組「オハ! よ〜いどん」かなんかのダンスを上手にコピーして。

私はそんな微笑ましい、そして妻の愛らしい一面を見ながら、同時にそれがかりそめのものでしかない事に思い至って、悲しくなる。

妻は昨日ひょんなことから仕事が休みになった。急に舞い込んだ長い自由時間、妻は植物を買ってきて植えたり、いつもよりちょっと良い弁当を食べたりして、束の間の自由を満喫した。そしてそのおかげで未だに機嫌が良いのだった。

おそらく、私が仕事から帰ってきた時にはこの柔和な笑顔も、軽やかな笑い声も、全部消し飛んでしまって、眉間の深い皺や、地獄の底から吹き上がってくるような低い声に取って代わられていることだろう。

そして実際仕事から帰ってきた私を出迎えたのは、やはり不機嫌な妻だった。私はなるべくその逆鱗に触れないように注意深く行動するのだが、子供たちはそんな事はおかまいなしに、走る、叫ぶ、暴れるを繰り返す。妻はイラだちを隠さず子供たちを叱り散らす。耳をつんざくような怒号が家じゅうに響き渡る。

こうして気分の波に大きく左右される人を日常的に見る事で、私はようやく人間がそういう不確かな波に支配される存在である事を覚えた。見渡してみれば皆、多かれ少なかれ気分の波がある。そしてそれに加え、年を取るにつれ、体調の波にも支配される。私たちは荒れた海を漂う小舟がごとく、こういった自分の波、他人の波を上手に乗りこなして、生活や仕事を営まなければならない。タンカーや客船のような大きな船なら良いが、私のような笹船程度の船は他人の影響を受けやすいので、猶更慎重に帆を揚げ、オールを漕ぐ必要がある。

今になって思えば田舎の両親も、しょっちゅうビンタをしていた小学校の先生も、強そうにふるまっていたいじめっ子も、強面のヤンキーも、パワハラ上司も、みんなその時々で優しかったり怖かったり、臆病だった。あらゆる類の波に支配されていた。

私たちの社会はそうやってあらゆる波が作用しあって、影響しあってできている。空はどんよりと黒く、今にも雨が降りそうだ。荒れた海の波のまにまに、今にもひっくり返りそうなか弱い船が無数に漂っている。かと思えば、そんな波などものともせずに目的地へと突き進む巨大な船が時折波を引き裂いて水平線の向こうに消えていく。

いつかどこか、穏やかで優しい波が打ち寄せる小さな島にでも身を寄せることができれば良いなと思う。



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