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大谷栄一先生著『日蓮主義とは何だったのか -現代日本の思想水脈』、読了。

大谷先生の四半世紀以上にわたる研究の成果が凝縮した、重厚な(668ページ!)大著。

(以下個人的感想です。敬称略)

日蓮主義というと、軍国主義に迎合した宗教というイメージがありますが、そんな浅い理解では、なぜ極右テロリズムから左の平和主義まで極めて広範な人々の心を捉え魅了したのかを説明できません。

本書は、日蓮主義の創始者である田中智学、本多日生から、彼らに師事した第二世代の石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎(葦木啓夏の曽祖父)、そしてニ・二六事件などを起こした第三世代の人たちの人生を辿りつつ、日蓮主義がどう生まれ、展開していったかが、明治中期から戦後にかけての近代日本史の流れとともに、膨大な資料を紐解きながら生き生きと詳述されています。

日蓮主義が面白いのは、従来の宗教が、現世が苦しくても阿弥陀仏に縋れば死後に救われると説いたのに対して、日蓮主義が、「現実の日本」と「あるべき日本」を対比して、あるべき日本(国体)になるために現実の社会を変革していく、という点にあるのだなと感じました。

だからこそ、社会の様々な課題に問題意識を持ち、それを変革していこうとする人たちの心をとらえ、思想的支柱になっていたのだと思います。

そのあるべき日本の姿を巡って、天皇や国体の捉え方によって、右から左まで様々な人が自分の思想の裏付けとして独自に日蓮主義を発展させていった結果、これほど広範な人たちに支持された。

個人的には、苦しむ衆生を救うための釈尊の教えが、弟子たちによって経典としてまとめられ、その中の法華経をベースに、アクティビスト日蓮が社会変革の理論として発展させ、それを田中智学が国体思想と結合して体系化し、本多日生が広げ、石原莞爾は東亜の思想に、妹尾義郎は仏教社会主義の思想に展開していったダイナミックな歴史の流れが非常に興味深かったです。

一方で、彼らは世界平和のために崇高な願いを持っていたにも関わらず、侵略戦争を合理化するために日蓮主義が利用され、理想と現実が乖離していったことの無念や、思想というものが人々の狂気を生み出しかねない怖さも感じました。

現代において、人々を幸せにし、平和な世界を創ることにつながる「思想」とは、果たしてどんなものだろうか?

改めて考えてみたいと思います。

日蓮主義が分かりやすかったのは、国民の大半そして天皇が日蓮宗に帰依し、日蓮宗が国教になり、あるべき日本が天皇を中心として全世界をまとめていく、というストーリーにあったのだとも思いますが、流石にそれは無茶だろうと思うけど、当時の人たちの多くはそれを信じていたんだよね。

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