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男5人兄弟の真ん中(障がいのある息子をもつ親として学んだこと)

私には、子どもが5人いて、なぜか「男」ばかりです。
子どもの名前は、最後に「人(と)」をつけていて、長男「かんと」、次男「けいと」、三男「あつと」、四男「がくと」、最後の五男は「れんと」と名付けました。
 それぞれの頭文字を繋げると「か・け・あ・が・れ」となります。子ども達には、兄弟仲良くみんなで協力して成長していってほしいと願っています。
 五男それぞれ個性があって、その個性のぶつかり合いの中で日々賑やかな生活を送っていますが、今回は、男5人兄弟の真ん中、要となる三男のことを書き綴ってみたいと思います。

 三男「あつと」が産まれた日は、風雪が吹き荒れる冬の嵐のような日でした。産婦人科に停めた車の上に30センチを超える雪が一晩のうちに積もったことを覚えています。
 三男と会える瞬間を待って病院の廊下の椅子に腰かけていると、看護士の方が、先生から話があるので分娩室の中に来てくださいと呼びに来られました。
 部屋に入り、まずは妻に感謝の言葉をかけました。その後に三男と初対面となりますが、普通仰向けに寝てるのが、うつぶせに寝かされていて、腰のあたりには大きなガーゼのようなものがかけてありました。それをとると腰のあたりに赤く大きなコブのようなものがあって、先生の話によると先天性の背骨の病気とのこと。これから県病に緊急入院するから救急車を呼びます、お父さんは先に県病に行ってください、となりました。
 身を削って産んでくれた妻にかける言葉に少し迷いましたが、「あとは、俺に任せて!ゆっくり休んで!!」とだけ言い残して県病へ向かいました。
 県病では、新生児用の集中治療室であるNICUに緊急入院となり、長い検査の後に今後の治療方針の説明を受けました。
 「二分脊椎(脊椎髄膜瘤)」という病気で、感染症を起こすと危ないのですぐにコブを除いて、傷を閉じる手術が必要で、神経の状態によっては歩けないかも知れないと言われました。さっき産まれたばかりなのにすぐに手術とは・・・、息子はみんなのように走ったりできないのか・・・・と戸惑いましたが、緊急ですし、任せるほかに術もなく手術を承諾しました。
手術の前でミルクを飲むことができなかったので、細い棒の先の脱脂綿に少し甘い味をつけたものを私の腕の中で小さな体をいっぱい使って、チューチュー吸っていた三男の姿は今でも忘れられません。
 その後に、頭に髄液が溜まる水頭症という病気の対処のための手術を2度行い、最終的に退院し家にくるまで約半年以上かかりました。その間親身にお世話をしてくださった県病スタッフの皆さまには心から感謝しています。
 三男は結果として、歩行困難と排尿排便障がいが残り、その後は、障がい児となった三男のケアを中心に我が家の生活が回っていくこととなりました。
 特に排尿排便障がいは、大人が毎日ケアをする必要があるので、同居する両親の協力も受けながら日々を送ってきました。

 私は、障がい児の親となり、これまで身近ではなかったのですが、地域の福祉や医療に関して感心を抱くことになっていきます。
 また、同じ病気を持つ親御さんたちの会に参加させていただき、様々な経験や知識を共有させていただくことで、更に福祉や医療に関して深く調べるようにもなっていきました。
 このような経験や出会いがあったことが、現在の障がい者支援を行うNPOの代表としての活動に繋がっていきます。

 この後に神様のご加護もあり、2人の息子を持ち、両親、我々夫婦、そして5人の息子たちと賑やかな日常と時に大きなサプライズがある生活を送っています。
 特に、四男が産まれたその日に、今まで歩くことができなかった当時3歳の三男が始めて歩いたことは強烈に印象に残っています。
 四男が産まれ病院から戻った日の夜に、普段通り寝支度を済ませ、リラックスしながら妻に動画を撮って送る準備をしていた時です。
 三男がタンスにつかまって立ち上がり、携帯のカメラの方に歩いて進んできました。歩くことは難しいかなーと諦めかけていた頃の突然の出来事で、びっくりして動画を撮るのを忘れたくらいでした。
 弟が産まれたことを認識していたとは思えませんが、そのことが何か新しい力を与えて一歩踏み出す勇気と力をくれたんだと思っています。
 男が歩いている動画を撮り直し、入院中の妻に伝えて、一緒に泣いて喜んだことも鮮明に覚えています。

 三男は、医療関係者をはじめ、学校や児童放課後デーの施設の方々など多くの皆さまのお世話になりながら、今は小学校4年生となりました。
 今では自分でできることもかなり増えてきて、この年末には、排便まですべて自分でできるようにするための大きな手術を行うこととなっています。

 今私は、障がい者支援の仕事をさせていただいて、障がい者が社会の一員として誰かにお役に立てる形で自立していく道を模索しています。
 三男と同じ病気の女の子が健康にいい料理などを提供するカフェの開設を進めています。
 彼女には、障がい者の新しい道を切り開いたロールモデルになってほしいと思って、私なりに最大限の支援をさせてもらっています。

 三男のおかげでこれまで体験したことのないことに触れ、また沢山のことを知ることでできました。また、色んなことを親切に教えてくださった方々には心から感謝をしています。
 障がいがある人もない人も多様な人たちが支え合って生きていける「共生社会」が実現できたらと心から思っています。
 そのために今後も色んな方々のお力をお借りしながら勉強し、行動していきます。
 地域の未来を担う多様な子ども達には、私の願いのように、手を携え共に多くの困難を乗り越え、将来に向かって「かけあがって」ほしいものです。

 山本家では、今朝も真ん中の三男を中心に朝からYouTubeのチャンネル争いで賑やかです。私はこれからもこのような何気ない日常を大切にして過ごしていきたいと思います。

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