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公務員時代の自戒とこれからの役割

弘前れんが倉庫美術館の投稿で「山本さんは刀を置かない人だ」と言われたことについて書きましたが、今回はいま一度公務員時代、特に弘前市役所で勤務していたころの自分について、「自戒」の意味を込めて書いてみたいと思います。

県庁時代
私は、大学を卒業して運よく県庁に入ることができました。
入庁して3年間は、地元の土木事務所で道路や川などを工事するために必要な土地を買収する仕事をしました。その後は「本庁」と言われるところに異動し、制度改正などの堅い業務を経験した後に、新しい事業や改革を提案して自らそれを進めていく「企画屋さん」のような仕事を主にするようになっていきました。
県庁という歴史のある巨大な組織で、今までやったことのない事業や改革を進めていくのですから、それはもう色んな人とぶつかり、仕事上の喧嘩も幾度となく経験しました。
学生時代テニスばかりしていた私は、そのような仕事を「勝ち負け」の基準で考え、「最後まで気合でやりきるんだ」、「絶対に負けたくない」という気持ちで諸先輩方と対峙していたので、本当に「生意気」な態度をとっていたと思います。

市役所に異動して
葛西市長からお誘いを受けて市役所へ異動することとなります。私は「企画力」や「突破力」を期待されてのお誘いだと思っていました。
そして私は、「市長が進めたいことは何としても進めるんだ」、「絶対に失敗させてはならない」と考え、さらには「SP」のように「市長を守っていくんだ」という気持ちでお仕えしていました。現に先日ある方から、当時の私の第一印象を「市長のSPだと思った」と言われています。
当時の私には、県庁時代の副知事というロールモデルがあり、難しい問題はトップの判断の前に「交通整理」をして、トップに「ノー」は言わせない、組織には「汚れ役」が必要だと考えていました。
その結果として、市役所の仲間や諸先輩方、議員の方々、仕事でお付き合いのあった企業の方々などに対して「虚勢を張った傲慢な態度」で接してしまっていたと思います。

自戒とこれからの役割
若いころの「反骨精神」や「役割に徹する」という背景はあったとしても、他人を傷つけたり、不快な思いをさせてしまったことに関しては素直に反省をし、心からの謝罪をしたいと思っています。申し訳ありませんでした。
歳を重ね、さらに新型コロナウィルスの影響が広がる中で障がい者支援活動や子ども食堂でのボランティアを通じて、人と人との繋がりや想いを一つに協力をして取り組んでいくことの大切さを改めて学ばせていただきました。
この難局を乗り越えていくためには、色々な方々の英知や力を結集して取り組んでいくことが必要です。例えば地元サービス業が立ち直っていくための特効薬はないかもしれませんが、皆で話し合って一致協力して前に進んでいくことが大切です。

新型コロナウィルス後の社会は大きく変わろうとしています。
ふるさと弘前も社会の変化に対応し、さらには時代の一歩先を行くような取り組みを今から進めていくことが必要です。
そのためには若い人たちの柔軟な発想や突破力、女性や多様な方々の新しい価値観などで時代を切り拓いていくことが必要だと考えています。
そのような方々の「後押し」をしていくことが私の仕事だと思っています。私の通ってきた道を踏まえて、これからは意欲ある人たちの様々な挑戦を応援していきます。


人の気持ちを大切に、多様な考えを受け入れ、それぞれの価値観を認め合い高め合うような地域づくりを担っていくことが、過去の自戒を踏まえた「私の役割」だと今は心から考えています。

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