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「The Last of Us Part II」の凄まじい物語体験について

こんにちは。山本渉です。

PS4のサバイバルアドベンチャーゲーム「The Last of Us Part II」をクリアしました。その感想について書こうと思います。プレイ時間は30時間ほど。



まず伝えたいのは


ネタバレを見ずにとにかくプレイしろ!!!!!!!!!!!!!


ってことだけです。


でも、そんなこと言われても、ねぇ……?  どう面白いのかわからないと、やる気にならないですよねぇ……。わかります。じゃあ説明していきます。以下、ネタバレを含みます。





このゲーム、やってて全然楽しくないです。最後の1時間はやめたくてやめたくてしょうがなかった。でも、コントローラーのボタンを押す指が止まりませんでした。

なぜ、楽しくないのか?  理由は1つです。

ある2人の争いを、2人それぞれの視点から描くゲームだからです。

エリー(主人公A)には敵を殺す理由がある。しかし、その敵はアビー(主人公B)の大切な人たちだ。

アビーにも敵を殺す理由がある。しかし、その敵はエリーの大切な人たちだ。


このゲーム、引き金を引くたびに、殺す相手のバックボーンを考えざるを得ないゲームなんです。


ぼくらは三国無双をプレイするとき、なぎ倒した歩兵の家族について想いを馳せたことはあるでしょうか?  「The Last of Us Part II」ではそういう葛藤をプレイヤーにもたらし続ける。しかし、生きるためには(クリアするためには)引き金を引き続けなければならない。

ターゲットとなる敵たちは、殺そうとすれば命乞いをする。仲間が死ねば、名前を叫んで動揺する。でも、殺さなければ自分が殺される。

これこそが、本物のサバイバルゲームだと思いました。

生き残るために自分以外のものたちを蔑ろにしているという業を背負い、実感できる、凄まじい体験をもたらすゲームなのだと。



わざわざ休日の時間を使って、そんな気持ちになりたいかどうか?  そんな気持ちを創り出すゲームはエンターテイメントなのか?  

ぼくの答えは圧倒的にイエスです。

もっともっと、「なったことがない感情」へ連れていってくれるエンターテイメントが生まれることを望んでいます!

それでは。

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