私の住処はあの海辺の町にある
2023年、役場の職員に終止符を打った3カ月、そして4月からのYamamoto Marketとしての9カ月、今年も関わった全ての方へ、とってもお世話になりました。
今年は新たな船出となり、独立してどうなることかと不安も抱えながらのスタートでしたが、あたたかい方々に支えられ、無事に最初の一年を終えることができました。本当にありがとうございました。
夏には新しい土地への引っ越しも重なり、数カ月が経った今、ようやく「新しい人生を歩んでいるのだな」という実感と、慣れてきた暮らしのリズムや環境に落ち着きを感じています。
11月に主催のイベントを終えてからは、日常で感じる自身の言葉を日々紡いでいこうと決意しましたが、紡ごうとしてパソコンに向かえば向かうほど、紡いだその先にいる人の顔を思い浮かべ、書けなくなることがほとんどでした。小さな町ではあまりにも、日々の出来事をありのままに綴ろうとすると、誰かにつながってしまいそうで。悪口や批判を書いていなくても、私の紡いだ言葉がどう波及していくのだろうか・・・そんなことを考え考えしていたら、結局、前回の投稿から今日まで、1カ月ほどの時間がかかってしまい、今年も最終日となりました。
今年の年末年始は、役場で働いている頃にはできなかった「長期間の帰省」をしてやるぞと、意気込んで2週間ほど神奈川へ帰省をしています。結局、年末の帰省前に自宅で酔って転んで痛めた腰痛と親知らずの出現で歯痛に苛まれ、予定していたことも結局半分ほどになってしまっていますが・・・。久しぶりに帰ってきた地元で、今年一年を振り返り、思うことを書いてみたいと思います。
私の現在の拠点は、人口1万人ほどの四国の小さな海辺の町です。
今、私は文字を書く仕事、ライターを主な収入源にしています。この仕事は、この町に来た8年前には想像もしていなかったものでした。移住を決めた当初、「黒潮町に住んでみたい」という気持ちが先にきた私にとって、あの頃選んだ生きていくための道は、「この仕事がしたいから」というものではなく、「黒潮町で生きていくのなら役場の職員か」というものでした。生きるための「術」が役場職員という道でした。
でも、選択肢がそれだけというのは、寂しいなという気持ちもどこかに抱えていました。もっとたくさん仕事の選択肢があって、その中から自分が好きなものを選んで、「黒潮町に住むことができて、おまけにこの仕事で生きていけるなら楽しいだろうな」と、そんな思いを抱えながら移住してくることができたら、さらに幸せだったかもしれません。
(もちろん、今は役場の職員として働いたことが幸せで、私のここでの暮らしを豊かにしてくれたことに間違いありません。移住したいという方にも自信を持って役場職員という選択肢をおすすめできます。)
年の瀬が迫った12月、古巣である役場の職員さんを取材させていただきました。その中で、話を伺った役場時代の先輩からも同じような言葉を聞くことがありました。
直接その思いを聞くことができた時、なんだか救われたように感じました。もう辞めた後にでも、同じように感じる人がいたということに気づいたことももちろん嬉しかったですが、そういう人と同じ場で働いていたということが嬉しかったのかもしれません。もしかしたら、そういう思いを自身に向けてだけではなく「次にそうなる人」へも抱いているから嬉しかったのかもしれません。
あの頃、「黒潮町で暮らすなら、とりあえず役場職員しかないか」と仕事を選び、一生懸命にこの地に入り込もうと生きてきましたが、今、私は、個人での仕事を生業にして黒潮町で暮らしています。
誇れるほどのものではなく、とても調子が良いと言えるような稼ぎがある訳ではありませんが、この生き方を選択して、大好きな町で暮らし続けている。その事実があるということが嬉しいし、まずは、この2023年一年間の自分を褒めたいなと思います。そして、そういう選択肢をできる人が増えたら良いなと、密かに願っています。
数日前に帰ってきた地元で思うことは、やっぱり私の住処は「あの海辺の町にある」ということです。
都内のイケてる本屋を巡りながら、久しぶりの友人との再会に心を躍らせながら、満員電車の中で他人と共に同じリズムで同じ方向に揺れる”あの時間”や、人混みの中をスッと歩き抜けていく”あの感覚”は、ちょっとワクワクするものがあります。魅力的な場所、便利さもたくさんあります。でも、ここにないものが、私が住んでいる町にはたくさんある。
家の中の暮らしのことで困ったことがあっても、業者に頼むことなく近所の人たちが助けてくれたり、近所の人が私の畑の野菜を世話してくれる。ちょっと離れた場所に行った時に大雨や台風が迫っているとニュースで聞くと、「大丈夫かな」と思い浮かべる人が家族や近所の人たち以外にたくさんいる。
こんな大したことのないモノゴトがどれだけ豊かなことかと感じます。
新しい道を選んで、今まで通り応援してくれる人、さらに応援してくれる人、そうではない人、いろんな人がいます。でも、総じて、身近にいる人たちがここまでサポートをしてくれることは、私の生まれ故郷では決してないことだと思います。だから、この町だったら、独立しても大丈夫かもしれない。そう思わせてもらえました。
そういう人が増えたら良いなと、押し付けがましいけれど、思います。そのために、「黒潮町で暮らしたい」「帰ってきたい」という人が「こんな生き方もあるんだな」と思ってもらえるように、2024年はもうひとつ、というよりももうプラス10くらいギアを上げて、私の生き方を静かにこの町で示していきたい、頑張らないとなと思っています。
少し大袈裟なものになりましたが、今日は年末なので。お許しください。
2023年、仕事も、プライベートも、お世話になったみなさん、ありがとうございました。そして、2024年もどうぞお付き合いください。
それでは、良いお年を。
Works of 2023 by Yamamoto Market
■黒潮町Web Magazine「うみべのくらし」執筆
・波を追ってたどり着いた「幸せすぎる」くらし(前編・後編)
-free hair様
・誠実に、真心込めて支えていく(前編・後編)
-山本建設(株)様
・責任を持って地域とまじわる(前編・後編)
-一般社団法人であいの里蜷川様
・All right, 行きましょう(前編・後編)
-幡多サーフ道場様
・うみべの縫製工場の過去と未来(前編・後編)
-(有)じぃんず工房大方様
・「34」の数字とともに日常へ寄り添い支えていく(前編・後編)
-黒潮町缶詰製作所様
・うみべの町職員 Vol.1 「いつも、頭にはふるさとの音、景色」
-黒潮町役場・喜多豊浩様
・うみべの町職員 Vol.2 「フィールドは変わっても。昔もこれからも、ここで」
-黒潮町役場・谷一洋様
■TURNS×四万十町 執筆
・きっかけはお試し滞在中の「気持ち良さ」!都会から移住した横田さんご家族の話
-四万十町地域おこし協力隊・横田さんご家族
・「いつかおらんくの町の酒と言われるように」復活した酒蔵で働くために移住した杜氏の話
-fumimoto brewery様
・師匠の技術を地域で、そして未来へ紡ぐ。鍛冶屋に弟子入りした移住夫婦の話
-土州勝秀鍛冶屋・菊池ご夫妻
・シュトーレンで表現する四万十の「あたたかな」四季
-カゴノオト様
・四万十の香りに魅せられて、今秋初の収穫へ 米好きが高じて米農家になった話
-米農家・髙取眞一様
・酒蔵へ飛び込み20 年。移住者の大先輩が話す四万十の魅力と酒蔵の未来
-無手無冠 番頭・福永太郎様
・200 年続く糀屋を未来へ紡ぐために。7 代目店主、生まれ育った地元へ
-井上糀店・井上雅恵様
・元協力隊が創る非日常空間「移動動物園」で子どもたちに思い出を
-四万十ふれあい動物村ブレーメン・野村一将様
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