春が嫌いな100の理由

春が嫌いだった。
春はあけぼのと誰かが言ったらしいが、僕に言わせてみれば春は鬱の塊でしかない。
意気揚々と開かれる扉、希望を胸に駆け出していく人々、出会いと別れ。
もういいよ、とうんざりする自分。閉じるなよ、と揶揄する声。
扉は閉じている状態こそ通常だと思う。開けっ放しだと叱られるのだから。
簡単に開けるなよ。簡単に開けてたまるか。
いつでもそうやって固く閉ざしてきた。春は開こうとする。
塊になって押し寄せて図々しく居座ろうとする。
そんな光は憂鬱だろう。

春が嫌いだった。
春眠は暁を覚えないらしいが、気分が沈んで起き上がれなかっただけだとか。
夢と現実の間に挟まってしまって、脳が捻れている。そんな朝を何度も迎えて、段々とわからなくなっていく。わかっていたことなんてあっただろうか。ないな、そんなこと。
重力が昨日より強くなったわけでもあるまいし。血液が昨日より少なくなったわけでもあるまいし。早く起きてしまおう。今日を良い一日にしよう。
それは無理な話だった。良い一日なんて一度でもあっただろうか。

春が嫌いだった。
小さい頃、祖父母が毎年のように花見へ連れて行ってくれた。
それはとても素晴らしいことだけれど、花が咲く喜びより散ってしまう虚しさ、散った花など誰も目に止めない悲しさ、通り過ぎるだけの日々を誰も振り返らない。祝祭は甚だ空っぽに思える。風情は感じられなかった。

春が嫌いだった。
入学、進級、クラス替え、自己紹介、お友達。
それはとても素敵なことだけれど、緊張して乾いた口の中、喋ることを何度も反芻して備えて、順番が近づくたび鼓動が早くなる、誰も聞いちゃいないのに。
「私の名前は……」

春が嫌いだった。理由は腐る程あるけれど、ひとつだけ。
あの人の誕生日が春だったから。

残りの99個はこれを読んだ皆さんが考えてください。

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