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小倉城下町さんぽ・鷗外さんの「小倉日記」⑭初めての視察・久留米、博多

七月四日。朝佐賀を發して久留米に至る。始て筑後川を望む。
三本松町鹽屋に投宿す。隣室客ありて、妓数人を招き、絃歌せしむ。喧噪甚し。此地客舍概皆然りといふ。
五日。(略)歩兵第四十八連隊營及衞戍病院を觀る。(略)籬邊林木の間多く洋式の蜂屋を排列し、蜜を採りて旁業となす。
六日。博多に至る。市に入りて石堂川の一板橋を渡るに、板上に薄葉鐵の帶の如きもの四條を被らしむ。蓋車軌なり。 挽夫も亦往來必ずこれに由る。 中嶋町松嶋屋に投宿す。 魚蔬鮮美。
九州に来てより後、是日始て日本料理の旨味舊に殊ならざるを覺えたり。
七日。午前歩兵第二十四連隊營及衞戍病院を看る。≫

久留米では初めて筑後川を眺め、泊まった宿「鹽屋」(塩屋)では隣の部屋の客が芸者を呼んでどんちゃん騒ぎをしていました。
この地の宿ではどこもこんな風らしいとあきれています。
ところで、久留米には水月堂堤匠庵の「塩屋の娘」というお菓子がありますが、名前の由来はこの旅館の名前「塩屋」。
塩屋には明治の初め、東京から出張に来た官吏や軍人がよく泊まっていました。塩屋には地元でも評判の美女が働いていましたので(娘さんとの説も)お客にすごく喜ばれたそうです。なかでも「おだいさん」という女性が人気で、東京に帰っても彼女のことを懐かしみ「塩屋の娘節」という歌にするほどでした。
この歌が東京の芸者さんの間で流行し、逆輸入的に久留米で歌われたことにちなんで銘菓「塩屋の娘」が作られたのだといいます。

銘菓 塩屋の娘

「おだいさん」が米糠と黒砂糖で洗顔していたので、おまんじゅうの味付けには黒砂糖が使われています。

翌5日、久留米の歩兵第四十八連隊營及衞戍病院を視察、蜂から蜜を採るのを見ました。
久留米も小倉と同様、「軍都」と呼ばれ、軍隊ととても縁の深い町です。
翌日は博多。中州の料亭の食べ物がよほどおいしかったのか、絶賛しています。
7日は、福岡の歩兵第二十四連隊營と衞戍病院を視察。第二十四連隊は、今の平和台競技場、大濠公園辺りにありました。
歩兵第二十四連隊は明治9年4月、小倉の歩兵第十四連隊の第三大隊を福岡城に移したのが始まりです。

福岡連隊の碑

秋月の乱、西南戦争などに出動、いったん小倉に引き揚げましたが、明治17年7月「歩兵第二十四連隊」が小倉の歩兵第十四連隊のもとに新設、19年6月、歩兵第二十四連隊本部が正式に福岡城に設置されました。

この視察のあと、鷗外さんは、9日未明、鞍手郡福丸の徴兵検査場を視察に行きました。
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