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「誰かとおしゃべりしたい」という本音 ~ 「誰か」って誰のこと?

"おしゃべり"。それは(大抵の場合は)出費がかからず、お手軽にできるストレス発散の手段でしょう。(※会話自体がストレスになる、という方は除きます)

「極度の人間嫌い」という方でない限り、「誰かとおしゃべりしたい!」という欲求を抱いたことは、誰にもあることでしょうし、その頻度もかなり多いことでしょう。

"おしゃべり"を成立させること自体は、簡単です。自分以外の誰かと、音声による言語的なコミュニケーションを取れば良いのです。2021年3月現在、世界を席巻している感染症の影響で、他者との物理的距離に制約を課されている状況下であっても、インターネットを利用して音声コミュニケーションを取ることは可能です。

簡単に成立させることのできる"おしゃべり"。しかしながら、「誰かとしゃべりたい」とは言うものの、"誰か"とは本当に"誰でも良い"のでしょうか?

傍に"誰か"は居るはずのに"孤独"

「お話したいのなら、会社の人と話せば良いじゃない? テレワークしていても、ネットワークでつながっていて、ボイスチャットで接触できるでしょうに」

これは、"おしゃべり"がしたくてたまらなくなったワタシに対して、ワタシ自身の理性が訴えかけてきた提案です。

これに対してワタシは、即座に「ノー」を付きつけました。「ワタシが話したい相手は、"彼ら"じゃない」。

「じゃあ、"誰"なら良いんだよ?」という疑問に答える前に、ワタシは理由を突き詰めます。「何故、会社の人はダメなのだろうか?」

「アイツらは、ワタシの話したいことを理解してくれないので、会話が成立しないor会話の質が低い」…それがワタシの答えでした。そしてワタシは、「話せる相手が居ないなぁ…孤独だなぁ」と苦悩するワケです。

接触できる人は、傍にいる。…まぁ、ワタシはテレワークに従事しているので、物理的距離はかなり離れているのですが、すぐにボイスチャットを開始できるぐらいの"身近"には他者が居るワケです。

だけど、この他者は"誰か"にはカウントされていないワケです。つまり、どれだけ会社の人が居ても、"誰か"は"0"のまま。ワタシの思考は"孤独"と判断してしまいます。

…此は如何に??

"誰か"として認識される条件:"共通点"

"会社の人"が"誰か"にカウントされない理由。それは"共通点"がないからです。

「いやいや、"同じ会社"って組織で一緒に働いてるんだから、共通しているところはあるでしょ?」という意見はあります。

確かに、"会社の人"がおしゃべりしたい"誰か"である…という方もいると思います。

しかしながら、ワタシのように"金銭を得るために会社に所属している"という人種からすると、"同じ組織に所属している"と言う以外の点で、上司や同僚、先輩や部下との間に共通事項を見い出せないことが多いです。

ワタシのように本業(※ここでは、生活費を稼いでいる仕事を指します)とはまったく別個に、創作活動に勤しんでいる方は、特にそう感じるのではないでしょうか。

「本当は、大好きな創作活動で金銭を得て生活を成立させたい。だけど、現実的には生活が成立するほど金銭を得られることは稀だ。仕方ないから、別の手段で金銭を得よう」

創作活動者においては、上記のような理由で会社に所属し、労働に従事している方が多いのではないでしょうか。

そうなると、創作活動者が会社に見出すメリットは"金銭の供給"だけになります。会社の繁栄のため…みたいな目的に殉じるつもりなど、毛頭ないのです。

これは創作活動者以外にも当てはまる話でしょう。例えば、スポーツ観戦に熱中している方なら、応援しているチームに対して人生を燃やしたいのが第一義となり、会社とはやはり、生活費を成立させる金銭を取得するための目的に過ぎなくなります。

ただ、創作活動者がその他の趣味保有者と違うのは、少数派だということです。ワタシ個人の経験で申し訳ないのですが、職場の人間でワタシと同じように「物語を作る」とか「物語を演じる」ということに人生の第一義を見出している方は居りませんでした。そういう方に「こういうお話を考えたんだ!」とか「あのお話はココがダメだったけど、ココは良かったよね!」とか「あの話のこの部分は、こんな風に解釈できると思うんだ!」みたいな会話は全く成立しません。彼らには全く興味がないからです。

会話をしても、共通点が少ないため、"おしゃべり"から得られる満足感がない…。"おしゃべり"が成立しても、しゃべりたいことは語れず、不完全燃焼で終わってしまう…。そして、一抹の寂しさを感じ、"孤独"を噛み締める。

…話が大きくなり、かつ、脱線気味になりましたが。つまり"おしゃべりしたい誰か"とは、"同じ興味を抱いており、その興味の話題で会話が成立する人間"なのです。ただ音声によるコミュニケーションが成り立つだけでは、欲求は満足しません。

「会社」は思ったほど「社会」の役には立っていない

"会社"に所属することは"社会"に参加して貢献すること…なんて、世間では認識されているように思います。

しかしながら、こうして考えて見るに、"社会"を"コミュニケーションが成り立つ関係性の集合体"と定義し、"社会の良さ"を"どれだけ好ましいコミュニケーションが成立しやすいか"と定義すると、"会社"ってさほど"社会"の役には立っていないように思えます。

"会社"と"社会"、漢字の前後をひっくり返しただけの言葉なのに、不思議なものです(笑)。

同時に、これは当然のこととも言えます。

多くの人々における"会社"に所属する動機は"金銭を得る"ことでしょう。残念ながら、世の中の社長さんたちが理想としているような"会社の理念に共感した"というケースは、本当に稀です。

新卒の学生などは、教育課程の影響で"会社の理念に共感する"ということを大事にしていたりしますが、1年も経てばそんな考えたは曇り切って、自分の業務内容と提供される金銭を天秤にかけていることでしょう。

従業員が会社という組織の根幹である"理念"に共感していない以上、"おしゃべり"で楽しめる"共通点"は"金銭"ぐらいのものです。しかしながら、この話題は色々と繊細な要素(報酬の多寡による優劣意識の発生、など)を含むため、話題には上りにくいです。せいぜい、「給与が上がれば良いなぁ」ぐらいでしょうか。こうなると、"おしゃべり"を楽しむ"共通点"は皆無になります。

こうして会社の人は、"おしゃべり"したい"誰か"から除外されます。

これは全員が全員に当てはまるワケではありません。非常に仲が良く、和気あいあいと"おしゃべり"を楽しんでいる方々も居ると思います。彼らの場合は、スポーツ観戦など、多くの人々が楽しんでいる(と、見込まれる)趣味により"共通点"を見出したため、"おしゃべり"に興じることが出来るワケです。

しかし、この"おしゃべり"の形成要因には"会社"の因子は寄与していないため、会社の存在はやはり"社会"の役には立っていないことになります。

趣味の少数派であるワタシの挑戦

この記事は、「娯楽が制約されている世の中、せめておしゃべりで楽しみたいんだけど、なかなか機会がないんだよなぁ…」と嘆いたワタシの"恨み節"を含んだ分析、です。

でも、このまま終わっては「はぁ、そうですか、仕方ないですね」で終わってしまいます。それではあまりに虚無な記事です。

そこで、"劇作家"という"興味の少数派"であるワタシが、どうやって"おしゃべり"の機会を獲得していくか、その挑戦について記そうと思います。

ズバリ、「"劇"という共通点を持つ同好者を集めて、お話する機会を作ろう!」という、ありきたりなものです。

ありきたりなのですが、過去の経験から困難を伴うことも身に沁みています。

ワタシはV劇作家として、VTuberさんやフリー声優さんをはじめとした演者の皆様と関わってきました。その中で一度、所属条件がかなり緩いコミュニティをDiscordサーバー上に構築して、運営したことがあるのですが…これがなかなかのクセものでした。(※Discordはテキストチャットとボイスチャットによるコミュニケーションを図るためのサービスです。詳しくはご検索ください)

メンバーの皆さんはサーバーに"参加"はしてくれるんですけど、"活動"がなかなか活性化しないんですよね…。特に、サーバー設立者以外のメンバーによる自発活動って、なかなか見受けられません。

メンバーによる設立者への遠慮もあるのかも知れませんが、「自由にやってね♪」と言い置いても、なかなか動かないのが現状なんです。

もしかすると、メンバーと設立者の間には関係性が出来ても、他のメンバー間には関係性が構築されていないので、「自発活動したとしても、果たして他の人が動いてくれるだろうか?」という危惧が生じている…という可能性もありそうです。

ともかく、設立者が"企画"しないことには、コミュニティが動かないので…。

"企画"をすることにしました!

今は幸いにも、良質な劇台本を自作せずとも入手しやすく、かつ配信も可能なサービスが登場しています。こちらを利用すれば、毎度多数の脚本を用意する負担は減りそうです。

これを利用して"企画"を回すことで、"おしゃべり"の機会を増やそうかと思っています。

…こうしてみると、ワタシって結構な寂しがり屋ですね(笑)。

その苦言を敢えて引き受けた上で、企画をしっかり回して行き、"おしゃべり"を楽しんで行こうと思います。

願わくば、ワタシだけでなく、参加してくださる方々も"おしゃべり"を楽しめるのなら…! 至極幸いなことです!

"おしゃべり"は自分だけが楽しむものではないですからね!

終わりに

"自ら企画を立てて、他の人を楽しみに巻き込む"という結論に達したワケですが。つまるところ、"おしゃべり"を成立させるには、自分だけの利害を考慮するのではなく、参加くださる"相手"の利害も考えてあげる必要があります。

幸せになるなら相手も…というワケですね。

ワタシのように"おしゃべり"を楽しみたくても実行できずに困っている方は、自分の楽しみがおしゃべりの相手の利益につながるような要素を考えた上で、仕組みを作っていかがでしょうか。

仕組みを作るのは大変なことですけども、一緒に頑張ってみましょう!

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