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「ムダ時間」に頼らない関係構築

※全文を公開している「投げ銭」スタイルの記事です※

「はい、聞こえています。じゃあよろしくお願いします。まずは全体構成なんですが……」

在宅でのリモートワークがごく当たり前となったいま、打ち合わせは「オンライン会議システムを通じて行うもの」になりました。

フリーランスで働く私も例に漏れません。

つい数か月前までは、新規のお客さまから問い合わせをいただくと「ご挨拶も兼ねて」を枕詞に、先方の事務所や喫茶店での対面ミーティングを予定することが常でした。

いまとなっては、その習慣は過去のものです。「新しい生活様式」をふまえ、新たな問い合わせにはオンライン会議のスケジュール調整で応じるようになりました。

移動や雑談といった「ムダ」が排除され、オンライン会議の画面で相手の顔が見えたらすぐ、本題に入ります。時間を浪費することなく仕事に注力できるのです。

そういえば私が使用しているサービス「ZOOM」では、「3名以上かつ40分以上」の会議を行う場合、有料アカウントに登録する必要があります。

つまり複数名の会議であったとしても、39分以内で終了させればお金がかかりません。こんな無料プランの制約を活かした「会議の効率化テクニック」も活用されている今日このごろです。

ムダ時間を愛する時代遅れの心

オフィスへの出勤、出先表に「NR」と書く口実にしかならないクライアント訪問、会議という名の雑談大会、「付き合い」の飲み会……。

コロナ禍でムダなイベントが排除され、オフィスワーカーの多くは効率よく仕事ができるようになりました。ウイルスがもたらした数少ないメリットでしょう。

しかしながら、この状況に喜べていない自分に気づいてしまいました。

どこか寂しいのです。

直接会うことで通じあえるもの、感じ取れるものがある! と思ってしまうのは、私が時代遅れのオッサンハートを持っていることの証かもしれません。

もはや死語となりつつある「飲みニケーション」も、それほど嫌いではありませんでした。あまりの長丁場はごめんですが、常識の範囲内なら「好き」といっても差し支えありません。呼ばれれば駆けつけていました。

そんな場に足を運んでいたからこそ、気軽に相談できて、いまでも懇意にしてくれる上司に出会えたのです。

以下、時代遅れのオッサンからのドヤ顔トークだと思ってサラッと読み流してください。

ムダ話をきっかけに心を開く

ムダだと一蹴される「会議の雑談」にも、私はどこか愛おしい気持ちを覚えていました。

たかだか「趣味は休日の料理なんだな」「お嬢さんと過ごす時間が好きなんだな」「ガンダムが好きなんだな」程度のものです。

議題にはなんの関係もなく、時間ばかり食うために「ムダ」なわけですが、そんな与太話からその人が大切にしているものが見え隠れすることが多々あります。

話題をなんとなくインプットしておき、次回以降の会議や別のどこかでその人に会ったときに話しかけると、心を開いてもらえることがありました。

すると仕事もスムーズになってくるのです。

ちょっとした軽口のノリで反対意見を遠慮なく言えたり、相手を助けたいという自然な動機で仕事を手伝えたり、逆に手一杯なときは断れるようにもなりました。

私自身は仕事に熱意のないダメリーマンだった自覚がありますが、この「心が通じ合う感覚」にはなんとも言えぬ悦びがあり、人間同士で、チームで働くおもしろさを感じたものです。

こうした経験から、サラリーマンを辞めてフリーランスになってからも、初回は直接お客さまに対面してお話を伺うようにしていました。

せっかくなら仲良くなりたい

冒頭のセリフは、コロナ騒動後に問い合わせてくださった新規のお客さまとのやりとりの第一声です。雑談なしでまっすぐ本題に入ってしまいました。

与件を共有し、次のステップに向けた役割分担をすませ、30~40分ほどでスムーズに打ち合わせが終えられたと思います。

画面を録画する許可もいただいていたので、もし聞き漏らしたことがあったとしてもビデオを観ればキャッチアップできる状況にありました。

とても効率のよい打ち合わせができた一方で、私の心には反省とも後悔ともつかない、なにかやり残したような気持ちが広がっていたのです。

最初に雑談をしたほうがよかったんじゃないか?

もっと和気あいあいとした打ち合わせになっていたら、お客さまが求めていることがさらに理解できたんじゃないか?

要は、心の距離を近づけられなかったことが寂しかったのでしょう。

「お客さまや仕事仲間と”仲良しこよし”になる必要はない。友だちではないんだから」

サラリーマン時代、しばしばこんなセリフを聞くことがありました。こうした意見を持つ同僚や上司は多く、みんな優秀な人ばかりだったように思います。

でも私は、相手が誰であろうと基本的には仲良くなりたいのです。相手のことを好きになれば、その人の力になれるようにがんばるし、打ち合わせだって楽しみになるではありませんか。

甘い考えなのでしょう。だからポンコツ会社員だったのでしょう。

そんな私にとってコロナウイルスは「仲良くなる機会を奪う存在」でもあり、憎たらしく感じています。

ムダ時間は仲良くなるための効率化装置だった

よく話されていることですが、もう「コロナ前の生活に戻る」ことはありません。

世界中で起こった天変地異や革命だって、それが起こる前の日常は戻ってきませんでした。その出来事をふまえた未来しかありえません。今回も同じです。

だから私も頭を切り替えなければなりません。打ち合わせ中の雑談や、飲み会でのコミュニケーションを是とする「古い考え方」をアップデートしなければ!

そう決意しても、過去の日々に後ろ髪をひかれてしまうのはなぜなのでしょう。どうして私は人とムダ時間をともにすることで、心を通わせたがっているのでしょう。

たどり着いた答えは次のものでした。

「……面倒くさがりで短気だからだ」

私は人一倍、ズボラです。

洗い物をひとつでも減らしたいから料理は鍋ごとテーブルに。美容院に行った日の夜は髪を洗いたくない。落としたものは足で拾う……などなど、少しでも労力をかけずに生きたいと願っています。

そのうえ短気で、結果がすぐに出ないとイライラします。完結しているマンガやアニメを楽しむときは、結末が待ちきれなくてWikipediaを並行して読むのが常です。筋トレや瞑想などは、短期間で目に見える効果がなかったので習慣化できず挫折しました。

ムダ扱いされる数々のコミュニケーションタイムは、こんな人間にとってはむしろ「効率がよくてラクなもの」だったのです。

真面目な打ち合わせの時間だけで相対する間柄であれば、仕事でしっかり実力を見せつづけないと、相手に一目置いてもらうことはできません。「一発まぐれ」がなく、関係構築に時間がかかります。

一方、ムダ時間の代表でもある飲み会に行くと、「信頼」に匹敵する「身近さ」がすぐに手に入りました(もちろん、相手によりますが)。

その感覚を足がかりにして、飲み会に参加しなかった人よりも早く信頼を寄せてもらえた気がしています。少なくとも「私がなんという名前で、どういう人間なのか」は早く覚えてもらえました。

前者が「コツコツ経験値をためる」スタイルだとすれば、後者は「課金アイテムで一気に経験値を稼ぐ」スタイルでしょうか。面倒くさがりで短気な私にぴったりだったのです。

「関係構築を焦らない」がこれからの仕事術

過去を懐かしんでいても仕方ありません。自由に飲み会ができる日は遠い先のことでしょうし、形も変わっているはずです。コンビニ菓子を囲んでブレスト大会を行う日が再来するのかどうかだって、わかりません。

「直接会う」という課金アイテムが品切れとなったいま、私は「面倒くさがりで短気な自分」と戦う時期を迎えているのでしょう。

「いままで逃げ続けていた対人関係のトレーニングに向き合え!」と、憎きコロナウイルスに命じられている気がします。

そのトレーニングとは次のとおりです。

・「サッサと仲良くなろう」としない
・心を開いてもらえない感覚に怯まない
・地道にていねいにコミュニケーションを取る

そういえばこれ、学生時代に「ときめきメモリアル Girl's Side」で学んだことでした。

相手とどのくらい親密になれているか、ゲージが表示されないのが現実世界のつらいところです。つい不安になって焦ってしまうから、互いの温度感を確かめるため、直接会うことをよしとしていた側面もあります。

おいそれと人に会えなくなったアフターコロナのいま、不安に負けずに時間をかけてコミュニケーションを重ねることが、私の「これからの仕事術」です。

最後にごあいさつ

改めまして、やままあきです。

インディーズエッセイストを自称して、このnoteやブログ、ポッドキャスト、電子書籍等、いろいろな形でエッセイを発信しています。

よかったら下記情報もチェックいただけたら幸いです。今後ともよろしくお願い致します。

・ポッドキャスト:「喋りたいことやまやまです」 
・ブログ:「言いたいことやまやまです」
・電子書籍:『凡人の星になる』
・電子書籍:『喫茶アメリカンについて言いたいことやまやまです』

※以降に文章はありません。もし気に入っていただけたら「投げ銭」で応援していただけるとうれしいです!

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