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フィードバックから欧米とのビジネス文化の違いを考える

Constructive feedback is a response to someone's activity aimed at helping them become more effective.

訳:建設的なフィードバックとは、その人がより仕事に役立つ人材になることを目的とした、その人の活動に対する対応のことである。(Linked Inの記事から)

【解説】

アメリカで部下が何か業務上のミスをおかしたとします。
上司は、そんな部下に注意をするときに、気をつけなければならないことがあります。
それは、注意する個人に対して、独立した対等な人間として接しながら話し合うという姿勢を持つことです。つまり、部下の年齢や地位とは関係なく、同等な人間として話し合う姿勢が求められるのです。
具体的には、上司はミスのことには触れず、ミスと関係した業務について全般的にどのように思うか尋ねます。その上で、話し合いをする中でそのミスについての話題になったときに、まずその業務の中での部下の取り組みのよかったことを見つけ、必ずその功績を認めて誉めることを忘れてはなりません。
次に、問題の箇所について、お互いに話し合い、今後ミスを防ぐためにはどのようにすればよいかという点について、双方で合意をした上で打ち合わせを締めくくるのです。
もちろん、最後には部下を励ますことも心がけなければなりません。この話し合いは個室で行い、他の人の前で叱責をすることはタブーです。

さて合意を取り決めたあと、さらにその合意があるにもかかわらず、部下が同じミスをした場合、上司は次第に厳しいフィードバックを行います。その延長には半年、あるいは一年に一度の業績評価が控えていることをお互いに理解しながら、こうしたやりとりを繰り返してゆくのです。
このフィードバックのテクニックは、アメリカで部下をマネージしてゆく手順として、MBAなどでも取り上げられています。上司は部下の仕事のプロセスには口を出さず、結果をもって常にこうしたフィードバックを繰り返すことで、部下のキャリアアップにも、業務実績の向上にも寄与しなければならないのです。

例えば、アメリカで日本人の上司が現地の部下に向かって、「君は若いんだからしっかり頑張れよ。」と激励したことが、思わぬハレーションとなったケースがあります。激励された側が、自分が若いことと業績とは一切関係はないはずで、こうした発言は年齢に対する差別だというふうに解釈したからです。極めてデリケートで難しい問題です。文化の違いによる落とし穴とはまさにこのことで、結果としてその部下と上司の関係は劣化し、部下の離職につながりました。

ところが、このケースについて東南アジアや中国などのビジネス関係者に話したところ、彼らはむしろこのように言われると励まされているようで力がでてきますと答えてくれます。
実際、アジアで部下をマネージするときは、時には父親のような親身さをもって部下のプライバシーにも多少は触れながら、激励してゆくケースが多く見受けられるのです。これは、アメリカとアジアとの興味深いビジネス文化の違いといえましょう。
実は、アジアでアメリカ型のフィードバックを行えば、そのもってまわった言い方に、皮肉を言われているのではと誤解し、部下のモチベーションが下がってしまうケースが多いのです。
実際、あるアメリカ人のディレクターのケースでは、アメリカ型のフィードバックをインドネシアで行ったために、部下が退職してしまったことがありました。彼の場合は、優秀な若手社員が、価格を決定するときに顧客にインセンティブを与えすぎたことに注意をしたときにこの問題が発生しました。
アジアの人々からみると、アメリカ流のフィードバックを受けたとき、多くの人が「何かわるいことをした?」というふうに罪の意識を感じると述懐します。
そこでよくアドバイスするのが、アメリカ人、そしてヨーロッパでもプロテスタント系の人々の多くは、ビジネスと人の心とを分けて意識する伝統があり、ビジネス上のやりとりはキャッチボールのようなもので、そこに罪の意識や善の意識は働かないということです。勤勉であることは善であると思っていても、ビジネスでのやりとりは心のやり取りではなく、あくまでもキャッチボールに過ぎないのです。
それに対してアジアなど他の社会の多くは、心のやり取りとビジネスでのやり取りとの区別がつけられないのです。

これは、教会という大きな組織から自らを解き放って、神と自分とを直接結びつけたプロテスタント系の人々の特徴です。そこに住む人々に多様な宗教的背景はあるものの、アメリカでは最も古く新大陸に移住して文化の基盤を作ったアングロサクソン系のプロテスタントの人々の文化的影響と、彼らの作った社会への同化現象によって国が大きくなったのです。
キリスト教において、神と個人が直接結びつくことは、他者と自らとの関係にも距離が生まれ、独立独歩を尊ぶ個人主義的な発想をよしとするビジネス文化を生み出します。このビジネス文化が資本主義という発想の原点になったのです。
そうしたビジネス文化においては、組織において上下関係はあるにせよ、個人としては平等であるという発想を育みます。個人としては平等である以上、自らが納得のいかない事柄には、相手が上司であろうと個人として反論することに躊躇がありません。自分の行った結果への責任は自分に返ってくるだけで、他者や関係する組織へのグループとしての帰属意識に基づいて過ちをとらえることに、彼らは他の人々ほどにはこだわりません。平たく言えば、部下が過ちをおかしたときに、外に向かって「このたびは我々の不手際で皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫びします。」と表明しても、アメリカ社会で何のことか理解されないのです。

文化の違う人とのビジネス・コミュニケーションの成功の是非は、こうした見えない意識の違いを察知できるかにかかっています。
ということは、我々は英語さえできれば、海外の人とうまく仕事ができるはずだという、言い換えれば言語だけに頼る意識を変える必要があるのです。
言葉が通じるだけに、誤解がおきたら思わぬ深刻な対立につながるメカニズムが異文化環境にはあるということを、熟知しておくことが、グローバルな組織運営の中での必要十分条件であることをここに強調しておきましょう。

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