見出し画像

「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すもの」ヤコブ2章3章~ちょびっと聖書  a little Bible


3/21(火)
<なぜ>
ヤコブ2章
・1わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。
 信仰を守ることと分け隔ての関係は?

・ 8しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。 9しかし、もし分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される。
 私たちは律法を守るために存在するのではなく、神の子とされた故に律法を行うことができる。神の子とされた故に、自分を愛するように隣人を愛することができます。それには、人の分け隔てはありません。

・17信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
 信仰も行いをもって、世に示すことができる。アブラハムも信じて旅立ったように。

ヤコブ3章
10同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。 11泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。
 舌を制することの難しさを語っていますが、何故同じ口からさんびとのろいが出てくるのでしょうか?これはあってはならないこととされていますが、それがあるのが人間の状態でもあります。それだけ人間の心が、ふらふらと状況にあわせてぐらつくものだということだと思います。このぐらつきは、主が共におられるときに、解消されるのかもしれません。


<気づき>

ヤコブ3章
・ 2わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
 神様は私たちが、過ちを犯しやすい存在として見てくださっている。それは、過ちから学ぶという過程を経て人間が自分で考え判断し行動できる存在としてつくられているのだと思いました。


<祈り>
天のお父様、今日から<なぜ>を先に考える手順に変えました。主は、私に思いを起こさせ実行する力を与えてくださっています。今日の聖書箇所は、舌を制することがあります。周りの状況が代わっても、私たちの内には聖霊様が折られます。どんな状況も主と共に歩むときに、道が開かれることを信じます。
私たちは、主にあって恵みの律法を行うことができることを感謝します。
今日も、この祈りをご覧になった方に主の平安がありますように。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

<関連資料>
主が味方:聖書をめぐる旅 8/2|荒野みちを|note
ヒーローの次の世代:聖書をめぐる旅8/3|荒野みちを|note
空しい人生の日々:聖書をめぐる旅 3/21|荒野みちを|note

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?