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イスラエルに神がいない?:聖書をめぐる旅 11/5

11/5(金) 
列王記が下に入りました。エリヤが元気に活躍しています。
また、詩編54篇では、見ることと支配することを思わされました。

列王記下1章
 
一方、主の御使いはティシュベ人エリヤにこう告げた。「立て、上って行ってサマリアの王の使者に会って言え。『あなたたちはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして出かけているが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。 それゆえ主はこう言われる。あなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」エリヤは出て行った。

→時代は、最悪の王アハブから次の王アハズヤに代わっています。彼は、サマリアで屋上の部屋の欄干から落ちて病気になります。
病気が治るか尋ねるために、使者にエクロンの神バアル・ゼベブのところに行くように命じます。そのときに、主の使いがエリヤに伝えた言葉です。
 私たちの神様は熱情の神様であることを思いました。
人が真の神でないものに頼ることを、神様は嫌います。
人間が作った像や、人間が作った建物、石や像に祈ったり、人生の大事なことを占いに尋ねること等など、真の神様がおられるのに、そこに尋ねないでむなしいモノに頼ることを嫌われます。
 エリヤは王に対して、この預言を伝えるために出ていきます。
この時期のエリヤはさらに神様の力にあふれているようです。アハズヤの部下が会いに行っても、50人隊全員が天からの火で焼かれるようなことが複数起こっています。

王はエリヤが告げた主の言葉どおりに死んで、ヨラムが彼に代わって王となった。


詩編54編

見よ、神はわたしを助けてくださる。 主はわたしの魂を支えてくださる。 わたしを陥れようとする者に災いを報い あなたのまことに従って 彼らを絶やしてください。
(詩編 54:6‭-‬7 新共同訳)
主は苦難から常に救い出してくださいます。 わたしの目が敵を支配しますように。
(詩編 54:9 新共同訳)

→見よ、聖書の中では、この言葉がところどころに出てきます。
見ることによって支配するという意味があるように思いました。
私たちには、肉の目と霊の目が与えられていて、
霊の目で見ることができます。
私を陥れようとする者に災いを、
敵が絶やされること、
主が苦難から、私を助け出してくださることを。
ただ、この詩でダビデが祈っていることは、ある意味人間らしい叫びだと思いました。

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