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刈り入れの時:聖書をめぐる旅 5/17

5/17(火)
 神様に選ばれた民でありながら、神様に背き続けたユダの人々に対して、神様は厳しいことを選択されます。エレミヤが涙の預言者と呼ばれる所以になる箇所もありましたが、それ以上に涙を流されているのは神様ご自身だと思わされました。  

エレミヤ書8章

5どうして、この民エルサレムは背く者となり
いつまでも背いているのか。
偽りに固執して
立ち帰ることを拒む。
11彼らは、おとめなるわが民の破滅を
手軽に治療して
平和がないのに「平和、平和」と言う。
13わたしは彼らを集めようとしたがと
主は言われる。
ぶどうの木にぶどうはなく
いちじくの木にいちじくはない。
葉はしおれ、わたしが与えたものは
彼らから失われていた。
20刈り入れの時は過ぎ、夏は終わった。
しかし、我々は救われなかった。
23わたしの頭が大水の源となり
わたしの目が涙の源となればよいのに。
そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう
娘なるわが民の倒れた者のために。

 今日のキーワードは「借り入れの時」です。
収穫とは、神様の救いの時という意味だったり、神様の裁きの時という意味だったりします。
ドキッとしたのは、刈入れの時が過ぎたのに、我々は救われなかったという言葉です。
花婿なるイエスキリストが来られたのに、油を用意していなかった乙女のようなことが起こっています。すなわち、神様の救いのタイミングの時に、救われずに残されるということです。
世の終わりには、携挙といってキリスト者が空中に挙げられてイエスキリストに出会うことが聖書に書かれています。
イエスキリストを信じている者が引き上げられるのに対して、この地上に残される人たちもいます。地上に残された人たちに待ち受けるのは7年間の大患難時代です。借り入れの時に、実を熟している者でありたいと思いました。

エレミヤ書9章

7彼らの舌は人を殺す矢
その口は欺いて語る。
隣人に平和を約束していても
その心の中では、陥れようとたくらんでいる。
10わたしはエルサレムを瓦礫の山
山犬の住みかとし
ユダの町々を荒廃させる。
そこに住む者はいなくなる。
11知恵ある人はこれを悟れ。
主の口が語られることを告げよ。
何故、この地は滅びたのか。
焼き払われて荒れ野となり
通り過ぎる人もいない。
12主は言われる。「それは、彼らに与えたわたしの教えを彼らが捨て、わたしの声に聞き従わず、それによって歩むことをしなかったからだ。」

 神様は、ご自分の神殿をおいたエルサレムの街を瓦礫の山、山犬の住みかとすると宣言されています。
自分が住んでいた家が、他の人のものになったり、壊されたりすると、なんとも言えない感情がこみ上げてきますが、それでも神様はあえて痛い道を歩まれます。神様を離れたユダの人たちを立ち返らせるためです。
神様の教えに背き、神様の声に従わないこと、すなわち自分の好きな道を歩むことに対する警告がここにあります。神様、今一度私にあなたの教えを思い出させ、あなたの御声を聞くことができるように、心の耳を開いてください。


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