見出し画像

理不尽:聖書をめぐる旅 10/4

10/4(月)
本日は、夜に投稿します。
理不尽なことに、ダビデはどう対応したのでしょうか?
私たちは、理不尽にどう対応したらよいのでしょうか?
考えさせられました。

サムエル記下15章

13イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。 14ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう。」

→ダビデ王の元に来た人々の心を盗み取り、息子のアブサロムが勝手に王になったことを宣言した。民はについていっただけなのにアブサロムの味方になり、ダビデ王が必然的に追いやられることになった。側女10人を残して、ダビデはエルサレムを去った。
 今まで築いてきた都を追われる気持ちは、どんなでしょう。主は与え、主は取り去る。自分が大事にしていたものや人が他人に粗末に扱われる。この気持ちを一番感じているのは、神様ご自身かもしれません。
 

詩編22章

わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る。
9「主に頼んで救ってもらうがよい。
主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」
10わたしを母の胎から取り出し
その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
11母がわたしをみごもったときから
わたしはあなたにすがってきました。
母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。

→見えない主により頼むと周囲からは上のような理不尽な扱いを受けます。
それはイエス様が受けた罵倒を知れば想像できます。しかし、目を向けるべきは、母の胎にあるときから、神様は私たちの神様である恵みです。

わたしの魂は必ず命を得
31-32子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?