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ただわたしだけが人の心を知っていて:聖書をめぐる旅 5/21

5/21(土)
 人の心を知っておられるのは神様だけであると書いています。神様ご自身が、人の心に語られることを喜んで受け入れたいと思いました。また、神様ご自身がわたしたちがかかわる人の心に、語ってくださるように祈りたいと思いました。
  
エレミヤ書16章

10これらを包み隠さずに話すと、彼らはこう聞き返すだろう。『どうして神は、こんなに恐ろしいことをするのか。こんなひどい目に会わせられる覚えはない。私たちが神に、いったいどんな罪を犯したというのか。』 11彼らに主の返事を知らせなさい。おまえたちの先祖がわたしを捨てたから、こんなことになったのだと。彼らはほかの神々を拝み、それに仕えた。わたしのおきてを守らなかった。
16「わたしは大ぜいの漁師を遣わして、わたしの憤りから逃れて深い所に隠れているおまえたちを、網で引き上げる。狩人を遣わして、森の中の鹿や、断崖の上に立つ野やぎを狩り出すように、おまえたちを低地へ追い立てる。さばきを逃れようと逃げ出しても、必ず見つけ出して罰する。
20神を作ることが人間にできるでしょうか。
人間の作る神々は本物の神ではありません。」

 申命記28章に祝福と呪いという箇所があります。申命記とはモーセがこの世を去る前に語ったことを記した書だと思います。彼が語ったのは、神様に聴き従うと祝福が、神様に聴き従わないと呪いがあるというシンプルなことです。なぜ、こんな禍がわたしを襲うのですか?神様は何をしているのですか?の前に、あなたは私の約束を忘れたのか?あなたが神様に聴き従わずに、神様を捨てたから呪いが襲っているのだと。

 新約聖書マタイ4:19には、イエス様が「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われるシーンが出てきます。漁師のたとえは、新約で使われているものと思っていましたが、すでにエレミヤ書の中でも漁師が遣わされることがかかれているのですね。エレミヤ書の記載は、栄光に輝く日のこととして、描かれていることから、新約の時代というのは、恵みの時代であることがわかります。また、私たちはあらためて人間をとる漁師としても導かれていることを受け取りました。


エレミヤ書17章

5主はこう告げます。
「いつかは死ぬ人間を頼りとし、
心が神から離れている者は、のろわれる。
10ただわたしだけが人の心を知っていて、
隅々まで探り、
一番奥に隠された動機までわかる。
そして、一人一人に
それぞれの生き方に応じた報いを与える。
14主よ。
私を健康にし、救ってくださるのは、神だけです。
ですから、ただ神だけをほめたたえます。
20すべての者にこう言いなさい。
ユダの王とその民、それにエルサレムの全住民よ、よく聞きなさい。 21-22主はこう言う。生き方に気をつけなさい。安息日は身も心もきよく過ごし、必要のない仕事をしてはならない。わたしはこの命令をおまえたちの先祖に伝えた。 23ところが彼らは聞かず、従おうともしなかった。強情を張り、注意深く教えを聞こうとしなかった。
24だが、おまえたちがわたしに従い、安息日に働くのをやめ、きよい特別な日とするなら、 25この国はいつまでも繁栄する。エルサレムの王座には、いつもダビデの子孫が座るようになる。いつの時代にも、はなやかに着飾った王や君主が車に揺られて大路を通る。

 神様だけが人間の心の隅々まで知っていてくださる方です。これは、ある意味恐ろしいことであり、ある意味有難いことです。今の私は、有難いことだと思っています。
 人間の心を知る方は、人間の心に語り掛けることもできる方だと思わされました。私たちは先の章で人間をとる漁師として召されているとするならば、私たちの使う網は目に見える網ではなく、人のこころをキャッチする網のように思います。それは、神と人間の仲介者であるイエス様をその方の心に、解き放つようなことかと思わされました。
私たちが語る言葉よりも、神様があなたご自身の心に語ってくださることを祈りたいと思います。この網は、地獄の底のような奥深いところからも、救い出してくださる方です。

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