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自分は何に属する者なのか?:聖書をめぐる旅 2/3

2/3(木)
エズラ記に入りました。冒頭主の声を聞いたキュロス王が、神殿をつくるために、主の民に属する者に呼び掛けています。詩編144編は、全宇宙を創られた方が私たち一人ひとりをも見てくださっているという感謝の詩です。 

エズラ記1章 

1ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
2「ペルシアの王キュロスはこう言う。
天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。 3あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。 4すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ。」

→エズラ記に入りました。
主は、異邦人であるペルシャ王キュロスを用いて、神殿の再建を呼び掛けています。
そこでは、主の民に属する者は誰でも、神殿を建てるためにエルサレムに上っていきなさい。周囲の人も、それを支援するように・・・ということでした。
 バビロン捕囚によって、都を失い離散したユダヤ人たちに、「主の民に属する者!」と呼びかけています。
自分は何に属する者なのか?
職場か?
学校か?
家族か?
何かの宗教か?
いや、主の民に属する者だ!と応答した人が各地から、エルサレムに集まってきます。
これは、20世紀になってユダヤ人たちがイスラエルの地に集まって、イスラエルという国ができあがった様子にも重なります。
キュロス王については、歴史上の人物が登場する約150年くらい前に既にイザヤ書にも預言されているそうで、神様の計画の偉大さを思わされます。
 この書のタイトルになっているエズラという人は、日本国語大辞典によると「紀元前五世紀のユダヤの律法学者。捕囚地バビロンに生まれ、ペルシア王クセルクセス二世のときに、故国エルサレムに帰る。律法的ユダヤ教の基礎を確立し、いっさいの異教主義を排した。」とあります。

詩編144編

3主よ、人間とは何ものなのでしょう
あなたがこれに親しまれるとは。
人の子とは何ものなのでしょう
あなたが思いやってくださるとは。
4人間は息にも似たもの
彼の日々は消え去る影。
12わたしたちの息子は皆
幼いときから大事に育てられた苗木。
娘は皆、宮殿の飾りにも似た
色とりどりの彫り物。
13わたしたちの倉は
さまざまな穀物で満たされている。
羊の群れは野に、幾千幾万を数え
14牛はすべて、肥えている。
わたしたちの都の広場には
破れも捕囚も叫び声もない。


神様に求めることはあっても、今の自分を喜ぶ機会は少ないかもしれません。
今日の、詩編は私たち人間が神様に愛されているとは
「なんてすばらしいことなのか!」を、うたっています。
誰かが自分のことを思いやってくれていることを知ると、
人は頑張れる存在です。
家族や学校の先生や、近くの大人にそんな方がいるといいですが、
全宇宙を創られた神様が、私のことを思いやってくれているとは
なんてありがたいことでしょう。
 そして感謝の次に、自分たちの息子や娘に向けられたビジョンを
詩の中で表現しています。
共におられる主に、今日も感謝しつつ前進したいと思います。

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