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エレミヤよ、何が見えるか?:聖書をめぐる旅 5/26

5/25(水)
 神様と同じようにエレミヤも、おいしそうないちじくとひどい状態のいちじくを見ます。しかし、その意味は私の想像したものと違っていました。神様の見方と人間の見方は異なるのだと改めて気づかされました。  

エレミヤ書24章

3その時、主が尋ねました。「エレミヤよ、何が見えるか。」「いちじくです。とてもおいしそうなものもありますし、ひどい状態のものもあります。」
4-5「良いいちじくとは、バビロンに移された人のことだ。わたしは彼らのためを思って、彼らを外国に送った。 6わたしは、彼らが行った先で丁重に扱われるようにし、またこの地に連れ戻す。彼らを助けこそすれ、傷つけることはしない。彼らを植えて、二度と引き抜かない。 7わたしに対して正しく応答する心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは大喜びで、わたしのもとに帰って来るからだ。

 見張りの話を思い出しました。神様は、ご自身と同じものを見る見張りをたてられます。エレミヤも、その役割をして、2つのいちじくを見ています。不思議だったのはおいしそうないちじくはバビロンに移された人、ひどい状態がエルサレムに残った人に当てはまることです。私は逆だと思っていました。しかし、神様の目から見たときに、罪の罰を受けた者においしいいちぢくの希望があり、現状のままで悔い改めをしない方が腐ったいちじくに見えるのだと思います。人間的に見れば、バビロンにひかれていった方が不幸のように思いますが、神様は表面だけでなく心の中を見られる方だと思いました。それが、改心にいたるならば表面上の苦痛も恵みに変えられるのかもしれません。神様は、見た目だけでは判断されない方です。アーメン!


エレミヤ書25章

15主は私に、こう語りました。「わたしの手から、わたしの憤りがなみなみとつがれているぶどう酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わす、すべての国々の人に飲ませなさい。 16彼らは飲んでふらつき、わたしが下す致命的打撃によって錯乱状態になる。」
26北方のすべての王を、一人一人訪ね、地上のすべての王国を巡りました。最後に、バビロンの王自身が、神の憤りを盛ったこの杯から飲みました。 27「あなたは彼らにこう言いなさい。『イスラエルの神である天の軍勢の主は言う。酔っ払って、嘔吐し、二度と立てなくなるまで、わたしの憤りを盛ったこの杯から飲め。おまえたちに恐ろしい戦争を送るからだ。』
28もし杯を受け取らないなら、こう言いなさい。『天の軍勢の主は、どうしてもこれを飲めと命じている。避けるわけにはいかない。 29すでに、自分の民さえ罰し始めているからだ。おまえたちだけ無罪放免になるわけがない。どんなにもがいても、刑罰を免れることはできない。わたしは地上の全住民に戦争を呼び寄せる。』


 杯を飲むことで思い出したのは、イエス様の弟子が天でイエス様の次に偉いのは誰かと残念な質問をしたとき、「わたしの杯を飲むことができるか?」とイエス様が問うたところです。この杯とは、このエレミヤが国々の王に飲ませた神様の憤りを持った杯に関連しているように思いました。

もう一つ 聖書で杯を検索していると出てきたのは、毎月私たちがあずかっている聖餐の杯のことです。こちらの杯は、キリストの血につながることを確認するための杯です。

イエス様は、神様の憤りの杯をキリストの血につながる杯に変換してくださった方でもあります。あらためて、聖書の意味とイエス様の言葉の奥深さを感じる箇所でした。

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