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野に捨てられた、恵まれない子:聖書をめぐる旅 6/18

6/18(土)
 エルサレムが森のぶどうの木や、捨てられた女の子に例えられています。  

エゼキエル書15章

主は語ります。
「エルサレムの住民は森のぶどうの木のようなものだ。
火に投げ入れられる前も、投げ入れられたあとも、
まるきり役に立たない。
7わたしは敵のように、彼らの前に立ちはだかり、
彼らが一度は火から逃れても、
次には必ず火に追い込む。
その時、あなたがたは、
わたしが主であることを知る。
8彼らが偶像礼拝をやめないので、
わたしはこの地を荒れはてさせる。」
神である主は、そう語るのです。
 

 エルサレムの住民は森のぶどうの枝のように薪には役に立たないと語っています。ぶどうというと、イエス様のたとえ話に登場し、よい植物の印象がありますが、目的によって見方もかわるものだと思いました。ぶどうは実を実らせるのによい植物であり、実を実らせない枝が切り取られるのは、実のなる枝に栄養がいくように、ということのようです。偶像崇拝をやめないエルサレムを主は火にくべられると語っておられます。

エゼキエル書16章

3神である主は、エルサレムについてこう語ると。あなたはカナン人の地で興ったが、カナン人にまさるところは何もない。父はエモリ人、母はヘテ人だったのだ。 4あなたが生まれた時、だれも面倒を見てくれなかった。へその緒を切ってもらえず、裸のまま、産湯にも入れてもらえず、産声も上げられずに放置されていた。 5目をかける人も、かわいそうに思って世話をしてくれる人もいなかった。生まれたその日に野に捨てられ、死ぬばかりだった。望まれない子だったのだ。
6-7ところが、わたしが通りかかって、血まみれのあなたを見つけたのだ。『死んではいけない。野の草のようにたくましく、大きくなるのだ』と、わたしは言った。そして、そのとおりになった。あなたは背も高く、ほっそりとしなやかになり、玉のように美しい、うら若いおとめに育ち、乳房もふくらみ、髪も伸びた。だが裸のままだった。
15しかしあなたは、自分の美しさを鼻にかけ、それさえあれば、わたしなしでもやっていけると考えた。そして、やって来る男には、だれかれかまわず、娼婦のように身を任せた。その美しさは、それを求める男のものになり下がった。
17あなたはわたしが与えた宝石や金銀の装身具で男の像を造り、それを拝んだ。それこそ、わたしを裏切る姦淫だ。
20そして、わたしのために産んだ自分の息子や娘を、偶像の神々にいけにえとしてささげ、殺してしまった。自分が娼婦になるだけでは満足できなかったのか。 21ほんとうの神でもない偶像の祭壇で、わたしの子どもまで、いけにえとして焼き殺さなければならなかったのか。
24あなたは愛人たちのために売春宿を設け、道々に偶像の祭壇を建てた。 25そこで、飽きもせず、通りかかる男という男に身を任せた。 26さらに、好色なエジプト人たちに身を売り、同盟を結んだ。わたしの怒りは頂点に達した。
28あなたは、アッシリヤ人とも密通した。次から次へと新しい神々を見つけても、まだ満足できないようだ。アッシリヤ人と密通してもまだ飽き足りず、 29あの大商都バビロンの神々をも拝んだ。だが、それでもまだ満足しなかった。」
43だがまず、あなたが犯したすべての罪を徹底的に罰する。あなたは若いころに受けた恵みを忘れ、これらの悪を働いて、わたしを怒らせたからだ。」
主は言います。「あなたは悪を重ねるばかりか、感謝することも忘れている。
59-60神である主はこう語ります。「わたしは、あなたが約束を破ったので報復する。あなたは、わたしと結んだ神聖な契約を、いとも簡単に破ってしまった。だが、わたしは、あなたの若いころに結んだ契約を、これからも守る。わたしはあなたと永遠の契約を結んだのだ。

 エルサレムという都市が野に捨てられていた女性に例えられ、主によって助けられ成長したものの、自分の美しさを鼻にかけ他の男に身を任せたとあります。この章は、ホセア書で夫が妻を愛するのに妻がふしだらな生活をする描写と似ているように思いました。
神様がエルサレムを女性に例えるのは、神様がその名前を置く場所として特別に祝福した地であり、やがてイエス様が帰ってこられる場所がエルサレムという意味があるからだと思いました。
2つのものが1つになるということは、神様と人間、キリストとキリスト教会、神様とエルサレムなど、聖書の中では結婚に例えられ重要な意味があるように思いました。
悔い改めを経て、主は必ず回復の時を用意してくださいます。

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