見出し画像

ワールドカップの夜に

 2018年6月19日。ワールドカップで日本代表がコロンビアに勝利した夜、私はマンションを飛び出した。日本が勝った。しんじられない。テンションが上がった勢いで、携帯も財布も持たず、ポケットに僅かな小銭のみを入れてどこまで歩いていけるかためしてみた。杉並の青梅街道沿いをひたすら、目的もなく歩いた。市役所前の選挙ポスターには薄っぺらい笑顔の写真が並んでいる。嘘くさい。LINEのスタンプで押したような笑顔だ。

市役所を越えると、紫陽花の花がアーチのように連なりしずかに咲いている。すこし見惚れていた。すでに十キロほど歩いたような気がした。そして喉が乾いた。コンビニに入り、つめたい飲みものを買って一息つくと高校生の集団が、コンビニの駐車場で騒いでいた。

「あの審判のレッドカードの出し方、まじカッケー」

 思春期特有のキンキンとした声が駐車場に響く。わたしの心の奥はざらついていた。ちがう。あの時、一人でテレビを見ていた時は日本代表の勝利はわたしだけのものだった。しかし、こうして他の人間がワールドカップの話をしているのを目の当たりにすると、あの勝利はわたしだけのものではなくなってしまった。そんなのは、ただの錯覚だ。わたしのテンションは一気に炭酸の抜けたコーラみたいになった。

「…かえろ」

おもたい足をひきづりながら、来た道を引き返した。いっときのテンションに身を任せて、遠くまでいくものではない。家についたら「大迫、半端ないって」の画像をネットでさがそう。保存しとけば、いつかつかえそうだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?