【第8回】近代立憲主義の特徴と時代背景 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話
国家からの自由
この当時に勝ち取られた人権というのは、身分制度や絶対王政を否定したという時代的な背景抜きには語ることができません。つまり、この時代に人権として主張されたのは、身分制を排した「平等」とともに、国家権力からの自由、「国家からの自由」という点に力点が置かれていました。天賦人権論からすれば、人間が人間であることに基づいて当然に有するのが人権で、それを国家権力によって侵害することは不当だ、ということになります。
憲法で、「自由権」として語られる人権、たとえば言論や出版、いかなる宗教を信じるか、信じないか、財産権や経済活動、さらには人身の自由が、国家権力によって侵害されることのない自由、もし侵害されたとするとそれを排除する自由が「人権」の重要な内容とされたのです。
政府を批判する言論や出版は厳しく弾圧された、あるいはプロテスタントに信仰の自由が認められていなかった、というのは、その背後に刑罰が控えていたのです。現代でも人権活動家が弾圧される、といったときにイメージされるのは、刑罰法規を背景に身柄を拘束されていく、という事件ではないでしょうか。
この時代に、ヨーロッパ諸国で広く読まれ、刑法の改革に大きな影響を与えたといわれているのが、ベッカリーア(1738~1794)の「犯罪と刑罰」という著書です。ベッカリーアは、社会契約論に基づいて、市民が各人の自由を必要最小限で供出したのが国家権力にほかならないので、その権力の一部である刑法は、市民生活の安全を維持するのに必要な最小限度にとどまるべきだ、と主張しました。そして、市民活動の自由を保障するために、何が犯罪であり、これにどういう刑罰が科されるかが、前もって明確に定められていなければならず、法が犯罪として規定した行為が行われたときは、いかなる身分の者であっても必ず処罰されなければならないとして、「罪刑法定主義」を主張して、恣意性・身分性を排斥しようとしたものです。
日本国憲法にも歴史的背景があることがよくわかる人権条項がある
「代表なければ課税なし」に似ていますが、「法律なければ刑罰なし」という罪刑法定主義は、人身の自由であるとか、刑事手続上の人権の1つの内容をなすものといえます。ところで、日本国憲法は、刑事手続上の人権について、憲法のほかの人権条項と比較するとやけに詳細な規定を設けています。
たとえば、現在の憲法学では最も重要な人権であると説かれている表現の自由に関しては、
という規定の仕方ですし、
学問の自由については、
ときわめて簡潔な規定ぶりです。ここで、わき道にそれますが、日本国憲法をよく思っていない人からは、「もともとマッカーサー草案がベースになっていて、翻訳調だ」という批判があります。でも、第23条については、古池や蛙飛び込む水の音とおなじ七五調で書かれている、とても日本的な表現だと感じられないでしょうか。
話は戻りますが、他の人権条項と比較すると、法律を専門的に学んだ人から見ても、「これって憲法に規定すること?」と思うくらい、詳細な規定になっているのが人身の自由や刑事手続上の人権です。実際、この条文の解釈や具体例について論じているのは、憲法の専門書よりも刑事訴訟法の専門書のほうがはるかに詳細であるように思われます。実際の規定を見てみましょう。
「『憲法は規律密度が低い』といっていたじゃないですかぁ!」と突っ込まれそうなくらい、詳細な規定のしかたです。表現の自由や学問の自由の規定の仕方からすると、「被疑者・被告人の刑事手続における権利はこれを保障する」くらいの規定の仕方にしておいて、詳細は法律、おおむね刑事訴訟法で規定する、ということのほうが、ほかの人権条項との比較からすると適切だったのではないかという疑問も浮かびます。いかにもアンバランスなくらい、規律密度が高くなっています。
しかしこのような詳細な規定を置いた、というところに、日本国憲法制定時に、歴史的な影響を多大に受けたことを見て取ることができます。戦争に負けて、天皇の大権から国民主権へ転換したとか、戦前の大いなる反省から戦争を放棄した、ということは多くの人が知っています。しかし人身の自由や刑事手続上の人権も、前の時代、すなわち大日本帝国憲法の時代を痛切に省み、それを否定しているのです。
特に第36条は、公務員による拷問及び残虐な刑罰を「絶対に」禁止するとしています。憲法に限らず、あらゆる法律を見ても、「絶対に禁止する」なんて規定の仕方をお目にかかることはまずありません。
ふつうは、条文で書いてあることも、例外の余地を認めるべき場合があることは往々にしてありますし、また、条文では「絶対に」とは書いていないけれども、そのように解釈すべきだ、ということは稀にあります。
たとえば、行政権による検閲は憲法によって絶対的に禁止されているのだ、と「解釈する」学説が有力です。つまり、憲法21条1項で表現の自由が認められている以上、司法権であれ、行政権であれ、表現行為の事前抑制は原則的に禁止されるはずで、にもかかわらず、第2項であえて検閲の禁止を規定しているということは、行政権による検閲は絶対的に禁止されていると解釈すべきなのだ、というのです。しかし、これは「絶対ダメ」と解釈すべきだ、というものであって、憲法21条2項に「絶対」という文言が書かれているわけではありません。
拷問は、自白させるために、古今東西を問わずに行われてきたことですが、人権の確立とともに廃止されてきました。日本でも、明治12年に太政官布告42号で拷問はとっくに廃止されたことになっていましたし、明治15年に制定された旧刑法以来、現在の刑法195条でも、拷問なんか行ったら特別公務員暴行陵虐罪というオドロオドロシイ名前の犯罪になります。にもかかわらず、戦前、刑法犯だけでなく、戦争に反対したり、体制に批判的な思想犯の弾圧のために拷問が行われていましたから、これに対して断固たる意志を表したのだ、と言われています。
また、日本国憲法を制定するに際して、人権や民主主義という観点からすると、いかに戦前の刑事手続が非人道的であったか、ということが理解されたのだと思います。だからこそ、戦前のようなことがあってはならないという痛烈な想いが、第36条をはじめとして第31条から第40条までの詳細な規定を設けたと考えられるのではないでしょうか。
今でも、被疑者が逮捕されると事件は一件落着のような風潮があります。そしてそれは、逮捕イコール犯罪者というレッテルを貼っているのではないでしょうか。また、犯罪が憎いからといって手続を軽んじようとか、有罪が確定する以前に社会的制裁を与えようという誘惑は常に人の心の中にあることも否定できません。
しかし、日本国憲法にも、あたかもそれ以前政府や社会の秩序を打倒した後に勝ち取ったような、一連の条項がある、ということは忘れてはならないことだと思います。時として事件報道などが過熱したとき、行き過ぎではないか、感じることがあります。そんな時、なぜ憲法でほかの人権規定と比べてこのような詳細な規定が置かれたのか、ということについて想い返す必要があるとおもいます。
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