【第39回】参政権とは何か? ―未成年者の人権に関連して― #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話
参政権の性質
一般的自由の制限とは違って、人権問題とされるようなケースでは、パターナリスティックな制約もより慎重であるべきと考えられます。その問題に入る前に、成年制度が予定されているとして挙げた参政権について触れておきたいと思います。
これまで、人権については、国家からの自由(freedom from state , freedom from government)という性質をもつのが自由権で、国家による自由(freedom through state, freedom through government)という性質をもつのが社会権と説明してきました。
選挙権をはじめとする参政権は、自由権のように自然状態というのがあって、それを確保するために国家を造ったのだという説明にはそぐいません。国家がない状態で選挙権などを考えることは難しいからです。ましてや、選挙権や被選挙権年齢を何歳にするか、ということを法律で決めることができるというのは、自由権ではありえないことです。表現の自由を享有できる人の範囲を法律で決めようとすれば、そんな法律は憲法違反だと誰もが思うことでしょう。
法律で範囲をきめることもできる権利だという部分だけ取り出してみると、生活保護を受けることができる対象者を法律で定める、という社会権と似ているようにも思われます。
国家に対する能動的な権利
しかし、国家を前提とする権利だとしても、資本主義の発展に伴って現代に至って求められるようになった人権というわけでもありません。ルソーは現代に置き換えると国民主権に力点を置いたと説明しましたが、すでに19世紀から、国家の活動に参加する、いわば国家に対して能動的に参加する権利というものは主張され、獲得されてきたものと言えます。
日本国憲法に定められている権利、厳密にいうと定められていると考えられている権利のうち、請願権や選挙権、憲法改正の国民投票に際しての表決権などがこれにあたります。
このうち、選挙権、被選挙権については、日本史でも、納税額に応じて与えられていたことや、普通選挙権運動があったこと、婦人参政権運動があったことなどは、皆さんご存じのことと思います。すでに触れましたが、アメリカでは、キング牧師たちの運動がある前までは、選挙権は白人のものとされていました。
改めて、人権というのは、獲得されてきた歴史があるのだ、ということを強調しておきたい一方で、参政権というのは、天賦人権思想とは違う種類の「人権」だ、ということはご理解いただけると思います。
国家からの自由や、国家による自由というキャッチフレーズ的に言うと、国家に対する自由、という別のカテゴリーの人権がある、ということです。
請願権
ところで、請願権についてですが、表現の自由が十分に確立していなかった時代には、とても重要な役割を担うことができたでしょう。
請願をしたことによって、不利益を受けないことが保障されていれば、田中正三(1841~1913)命がけの直訴などという事件(1901年)も起こらなかったはずですから。
請願権は、多くの人権宣言で規定されている半面、表現の自由の確立とともにその重要性を失ったと評価されています。
国会での請願の採択、不採択も、かなり形式的になってしまっているように感じられます。請願の採択は慣例によって、全会一致によるものとされていますので、採択される率はかなり低いものになっています。また、その採択・不採択を決めるのは、実質的にはそれぞれの委員会、総務委員会、厚生労働委員会、法務委員会などですが、委員会で実質的に議論されることはほとんどなく、理事会で決めたことについて、委員会、本会議で採決するだけになっています。憲法上の権利の行使に対して、もう少し扱いが工夫できないかなぁ、という印象です。