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【第64回】私人間効力 ―裁判例から― #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


私人間効力の問題に戻ります

かつてはあまり議論の盛んでなかった私人間効力について、最近では整理し切れないような議論がされている、ということからわき道にそれてしまいました。

最先端の議論について、さまざまな見解について紹介すると相当な時間がかかりますので、私人間効力に関しても、ドイツの理論を導入できないかという見解が有力だということだけ紹介しておきたいと思います。
ここでは、有名な判例の事案と、むしろ、判例分析とは違った視点を提示してこの問題のまとめとしたいと思います。

三菱樹脂事件とその後

私人間効力に関するリーディングケースである三菱樹脂事件は、会社に対する本採用が拒否されたのは、身上書に団体加入の有無や学生運動歴の記載をしていなかったことが理由で、思想・信条の自由を侵害するものだと争った原告の負け、というものでしたし、最近では、ブラック校則が問題とされるケースもありますが、私立学校の校則問題についても、この三菱樹脂事件最高裁判決を先例として、現在では違和感の残る判決なども出されています(最判昭49.7.19など)。

これに対して、男性55歳、女性50歳という男女別定年制を定めた就業規則について争われた日産自動車事件では、「……性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法14条1項、民法1条ノ2参照)」(当時の民法1条ノ2は現在の2条にあたります)としました(最判昭56.3.24)。男女の問題とは別に、定年年齢に時代を感じます。

また、入会権の資格が問題となった事件があります。都市部の方には、入会権という概念はなじみがないかもしれません。山林のある村などでは、村の裏山は、個人所有の土地ではなく、村人たちみんなの物、という慣習が代々続いてきて、今でもそれが慣習法として存続している地域があります。間伐なども共同管理で行いますし、キノコ狩りなども、ルールに基づいて行われます。この場合の裏山を入会地といい、入会地に対する権利が入会権です。この資格を原則として男の子孫に限定する会則を最高裁は、日本昔話の時代ならいざ知らず、とまでいってませんが、遅くともこの請求がなされた平成4年以降においては、「……性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効である」としました(最判平18.3.17)。

理論の限界を超えて

このように、男女の平等については、人権に重きを置いた結論を出しています。最高裁の間接適用説が全然ダメというわけではありませんが、振れ幅が大きいことは否めません。もっと明確な基準となる物差しを創ろうとして、憲法学者がさまざまな議論をしている、というのが現状です。

改めて三菱樹脂事件の判決を読むと、「……その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超える」と判断されれば、民法の一般条項などを使って最高裁は人権救済に乗り出すのだとも評価できます。

「社会的に許容する限度を超える」かどうかは世の中がどれだけ人権問題について理解が浸透しているかにもかかわります。男女別定年制や入会権の資格制限などは、いくら私的自治の原則といっても、たいがいの人が、「さすがにそれはダメでしょ」という判断をされるのではないでしょうか。そしてそのことが、最高裁に違法だという結論を導かせたのだと考えることもできます。

憲法の私人間効力に関しては、学術的な、理論的な深化、発展が進むことを望みます。ただ、理論の部分を超えて、人権問題についての世の中の理解というのもとても大事なものだということが言えると思います。人権問題、つまりマイノリティーの問題について理解が進んだことによって多数者、マジョリティーにとっても世の中の利便性が増した例は枚挙にいとまがありません。

憲法はただただ守るためにあるのではなく、その価値を人権論として創造して、それを社会に根付かせることができれば、世の中の幸福の絶対量を増大させることができるはずです。

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