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【第3回】法律への入口 その② #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

法は公法と私法に分類されることがある。だって、性質が違うから。

法律には、いろいろなものがありますが、その分類方法として公法と私法という分け方があります。 

比ゆ的に言うと、公法は公権力の行使にかかわるルールで、イメージとしては「国家と個人」の縦の関係です。刑法を例にすると、国家が個人に対して刑罰権を発動するときの要件について規定するものです。

私法は、私人間の権利義務に関するルールで、イメージとしては、対等な「私人と私人」の横の関係。民法を例にすると、借りたお金を期限までに返さないと、債務不履行として、利息をつけて返還しなければならない、というものです。

私法の世界では、当事者の意思が尊重されるのが原則です。最終的にはお金で解決できてしまう場合が多いことも理由の1つです。お金の貸し借りの例では、当事者双方が「なかったことにしよう」と合意することができるし、双方の合意で契約の内容を変更することもできます。これを私的自治の原則といいます。

これに対して、公法は公権力が発動する場合なので、当事者で勝手に内容を変えることができないのが原則です。例えば刑法で、窃盗や殺人を当事者の合意で「なかったことにしよう」というわけにはいかないのと大きな違いがあります。「ごめんで済んだら警察はいらない」というのは、公法関係の本質を実によく表現しているともいえます。

憲法は、言うまでもなく「公法」に属するわけですが、憲法が定める表現の自由や法の下の平等は私的自治の原則の下でいかようにもなしうると割り切れるか、という問題があります。憲法の私人間効力といわれる問題で、あらためて取り上げることができればと思います。

実体法と手続法・訴訟法という分類。法律で定めただけではその内容は実現できないから。

民法や刑法は実体法といわれることがあります。借りたものは返さなければならない、返さなければ債務不履行として損害賠償責任を負う、であるとか、人のものを盗んではならない、盗んだ場合には刑罰を受けなければならないなどを定めたものです。公法と私法という分類の時には、対極にある2つの法律ですが、この分類の時には同じ性質の法律ということになります。

つまり、どのような要件(債務不履行や窃盗罪)が満たされれば、どのような法律上の効果(損害賠償額いくら・懲役何年)が生じるのか、ということについて定めたものという意味で共通します。

これに対して、このような実体法の定めがどのようにして実現されるのか、裁判になった場合の手続を定めたものが手続法(訴訟法です)。民事訴訟法や刑事訴訟法が典型例です。

どこの裁判所に起訴(刑事裁判)したり訴えを提起(民事裁判)するか、裁判を始めるにはどのような要件が整っている必要があるか、などなど、まさに裁判に関する手続が定められているものです。

「立証責任」という言葉は日常用語でも使われることがありますが、挙証責任であるとか、証明責任というのが裁判では重要になることがあります。

一般に、原告、つまり裁判を提起した側が原則として立証責任を負います。民事事件で、「金を返せ」と訴えた場合には、訴えた側が「お金を貸したこと」について証明をする必要があり、被告が「そもそもお金なんて借りていない」ことについて証明する必要はありません。

刑事事件においては、「疑わしきは被告人の利益に」という言葉が有名です。

これは、立証責任という観点で考えるとある意味当然のことといえましょう。刑事事件の場合、検察官が原告なので、被告人が犯罪を犯したことを立証すべき立場にあります。

刑事ドラマでは時として「アリバイの証明」というセリフが出てきますが、被告人は「アリバイの主張」をすればよく、裁判官を納得させる程度の「証明」までは必要ないというべきでしょう。あくまでも被告人が犯罪を犯したことを証明するのは原告である検察官の役割です。

そして、「罪を犯した」という確信には至らず、疑わしい、というレベルであるということは、検察官が十分に立証責任を果たしていないことを意味します。この場合、裁判では原告の負け、刑事事件に関しては、無罪判決ということになります。

この原則が徹底されないと、被告人は罪を犯したから処罰されるのではなく、訴訟のやり方が下手だったから処罰されるということになってしまいます。これは法的正義に反するといえるのではないでしょうか。

ところで、憲法が裁判で問題になる場合、合憲か、違憲かという形で争われます。このような場合にどちらが合憲性・違憲性について証明すべきなのか、という問題が起こりえるのですが、人権の種類によって違うことがあり得るようです。このことは、また改めて検討したいと思います。

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