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はじめに #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

以前、私が責任者を務めていた立憲民主党本部の憲法調査会で、高等教育の無償化についての考え方をまとめたことがありました。条約などを外務省からヒアリングし、「この辺りのラインでいいよね」と取りまとめを行った同じ日に、党の東京都連の会合で、高名な憲法学者が、ほぼ同じ内容の講演を行ったのです。「あれ、さっきの会合の内容、なんであの先生知っているの?」と不思議そうにしている同僚議員もいました。

専門的な課題については、ある程度共通の理解があれば、ほぼ同じ結論に至るのは、憲法でもほかの学問でも同じはずです。体に異変があって、レントゲンやCT、最近ではMRIなんかで診断して、極端に違う病名と診断されることはないはずです。ただ、治療方針として、手術にするか、薬で様子を見るか、という違いは出るかもしれません。憲法の問題についても、共通の理解があったとしても、結論について若干の見解の違いというものがあることは当然だと思います。

しかし、世の中の憲法についての議論を見ると、そもそも共通の理解に立っていないどころか、これまで研究者が積み上げてきたことをまったく参照せずに独自の見解を述べているように見える人々がいます。病気に対して自己流の治療をするのは自己責任ですが、他人にその見解を流布することは危険なことではないでしょうか。

このシリーズでもお話ししますが、憲法は、国民が権力行使を縛るものです。そうである以上は、憲法の内容について、いろんな意見がたたかわされるにしても、多くの人が基本的なラインについては共通の理解をしていることが望ましいと思います。

以前私は、公務員試験を受ける学生に憲法の講義をしていました。司法試験の受験生と違い、文学部で源氏物語をこよなく愛しているような学生さん相手にも教鞭をとっていました。昔とった杵柄で、高校の社会科の教科書くらいの知識、いや、教科書に載っていた用語をなんとなく覚えている、くらいのところからスタートできるように心がけてお話しすることにします。


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