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【第19回】表現の自由の規制について(税関検査事件を題材に) #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

税関検査事件の提起したもの

検閲にあたるか否かが問題となり、最高裁まで争われたのは、税関検査事件と呼ばれるものです。この事件については、表現の自由をめぐるさまざまな論点が派生してきますので、この事件を手掛かりに、いくつかの論点について検討してみることにします。

この事件は、平たく言うと、外国で出版されている出版物を注文したところ、税関が「輸入禁制品」だとして、注文主への受け渡しを拒否したというものです。当時、関税定率法第21条第1項第3号は、「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を輸入禁制品としていました。現在の関税法第69条の11第7項に引き継がれています。

学説の多くは、この規定に基づいて国内への持ち込みを制限することは検閲にあたると考えています。しかし、最高裁は、当該表現物は、すでに外国において発表済みであるとか、輸入が禁止されるだけで、発表の機会が全面的に奪われるわけではないとか、税関検査でたまたま見つけたもので、思想内容を網羅的に審査して規制しようとすることは目的としていないなどを理由に、検閲ではないとしました。

どうも釈然としない、という気がします。実際、学説上すこぶる評判のわるい判例です。そして、検閲にあたらないとしても、事前抑制の原則的禁止の法理に触れるのではないか、と展開するのが論理的なのでしょうが、このテーマについてはまた改めて。

明確性の原則(漠然性のゆえに無効の法理)

この事件では、検閲にあたらないとしても、この規定は明確性を欠くのではないかということも争点となりました。

「法律なければ刑罰なし」という罪刑法定主義については、簡単に触れました。これは、憲法第31条が、「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定していることから憲法上も保障されていると解釈されています。

この、罪刑法定主義の内容として、刑罰法規は明確でなければならないことが挙げられます。いくら法律で書かれているとしても、どのような行為が対象となるのかが事前に予測可能でなければ、行動の自由が必要以上に制約されるだけでなく、恣意的な処罰が行われるかもしれないからです。もし、あまりにも不明確な規定であるとすると、憲法31条に違反するということになります。

どうやって判断するのか

最高裁は、「刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきか」は、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」による、としています(最大判昭50.9.10)。

これは一般論としてはあまり異論がないのですが、表現の自由を規制する場合には、さらに慎重にすべし、というのが表現の自由の優越的地位の理論から導かれます。

つまり、壊れやすく傷つきやすい表現の自由は、禁止される対象が明確でなければ、「萎縮的効果」つまり、本来保障されるべき表現も、萎縮して表現されなくなる恐れがあります。自分で自分の表現をいわば検閲してしまう、自己検閲が起こってしまうというわけです。多様な表現を確保するためには、その規制は必要最小限であるべきで、法律の定め方の明確性が厳格に問われなければならず、漠然不明確な法令は、原則として文面上違憲・無効とされなければならない、という理論が学説上主張されています。

一般論と、あてはめは合致しているか?

そこで、「風俗を害すべき書籍、図画」という規定はあいまいで、不明確な規定ではないか、ということが税関検査事件で争点となりました。最高裁の裁判官でも意見が分かれた問題です。多数意見は、これはわいせつ表現物に限ると読み取れるので、合憲であるという判断でしたが、4人の裁判官の反対意見がありました。この条項をわいせつ表現物に限ると読み取ることは、通常の判断能力を有する一般人にはムリ、というものです。

わいせつの表現物だから輸入を禁止していいかということも気になるところではありますが、わいせつ表現についてはまた改めて検討します。

この問題については、税関が、かつてフランスの記録映画である「夜と霧」をナチスの残虐行為を生々しく描いたのは「風俗」を害するという理由で阻止したり、ベトナム戦争のスチール写真を残虐だからという理由で搬入を許さなかったという残念な実績がありますから、法の規定はわいせつ表現物に限ると読み取れるのだ、という多数意見には無理があり、反対意見の方に説得力があるように思います。

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