ambient tune 聴取の詩学IV

私の教え子、一昨年大学のギャラリーで開催した個展を私が記録した動画です)。

これまでの3本、この「聴取の詩学」シリーズのために音楽に画像を加えて新しく動画を作ったものを紹介してきました。
今回紹介する曲もそうするつもりだったんですが、
「そういえばこの曲、以前動画のBGMに使ったなあ」
と思い出し、引っぱり出してきました。

自分で言うのもなんですが、作品と音楽、なかなか良い感じにマッチしていると思います。心地よいです。
ただ、ちょっと音楽が暗いかな…と。あとほんのもう少し短調っぽさが曖昧になって、
浮遊感が出ると良いのではないか思うのですが、はてさてどうしたら良いのか。
モードとかホールトーンとか勉強すると良いのかも知れません。まあボチボチと。

人工物的な音楽じゃなくて自然現象的な音楽。
きちんと起承転結を計画して、フレーズなんかも何度も録り直し吟味していく曲作りもすることはします。
仮にそういうのを人工物的な音楽、とするなら、
紹介している「聴取の詩学」シリーズは自然現象みたいな音楽と言ってよいと思います。

私の研究室からは尾根の重なりを眺めることができます。
遠い尾根、近い尾根、濃淡の変化。
それぞれの尾根の持つそれぞれのアウトライン。
それらの重りが奏でるリズム、ハーモニー。
誰も、この風景に対して、
「ここんとこ良くないね。もう少しこうするともっと良くなるよ」
「表現の意図は何かね。コンセプトをもっとはっきりさせなくちゃ」
「○○の影響が強いね。もっと個性だそうよ」
なんて批評はしません。したところで誰も聴いていません。


気象が異なれば見える印象も全く異なったものになります。
時に印象派の絵画のよう、時に水墨画のよう…。
全然特別な風景じゃないです。でも美しいです。心地よいです。
私から出てくる造形も音楽もそのようなものであれと願っています。

「計画しない、時間をかけない、やりな直さない、反省しない。それが私の作品制作のポリシーです」
若い頃、ある作家さんがそう言っているのを聴きました。私はそれを聴いた瞬間、
「ああ、もし神様がいたとしたら、きっとそうやって世界を作ったんだ」と思いました。
そういう神様を信じているわけではありませんので、別の言い方をすると

自然はそのようにして在り、そのように変化しているのだ、

ということ。
その作家が純粋にそうしているかどうかは分かりませんが、
そのようにして生まれるものがある、というイメージは新鮮で、
願わくば私もそのようにものを生み出したいと思いました。

こうなると生まれてくるものは「もの」というよりも「現象」。

私の場合、造形作品ではなかなかそんなふうに作ることはできません。考えてばかりです。
まだ音楽のほうがそんなイメージで作ることができます。
自分の中にある「自然」から出てくるリズム、バランス感覚の発露、具現化としての音楽。

動画で紹介している彼女。お芋がそうですが、初期の形のはっきりしたものから、
だんだんと形象が曖昧なものに移り変わっていってます。
光や陰影、虚実の境界がふわっとしたもの。
「もの」から「現象へ」まさにそんな感じです。
そこに私の音楽との接点がある、だからいい具合に作品と音楽がマッチしている、
…とやや強引な今回の結論でした。

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