国葬のバブル世代

政治の話は難しくてよくわからない。けれど避けて通るのも違う。というわけで、今日は政治というか世の中について思っていることを、ちょっと斜めの視点から書こうと思う。

今の世の中は、バブル世代というか、バブル期を生きた人間の決定で回っている。私はゆとり世代なので景気の良かった頃を体験していないが、話には聞いているから、なんとなく思う。みんな「いかに自分が利益を得るか」と考えて意思決定しているのではないか?と。
あの頃の羽振りがよくてなにをしても楽しかった感覚を取り戻したい、若い頃はこのやり方で成功したから今だってこのやり方でいけるはず、どんな手段であれ残業しまくればカネは手に入る。そういう思考が、雑な仕事、本質を省みない見掛け倒しの薄っぺらい政策に繋がっているように思う。

しかも悪いことに、下の世代が何を言っても、おそらく上の世代は論を覆さないだろう。まず数(人口)が多いから無理してでも通すだけ通しておけばいいのだ。多数決で負けることはまずない。
自分の利益にならないこともやらないだろう。自分が益を受けなければ、他の誰かが持って行くことになるのだ。バブルが弾けた後ではもう遅い。

少しずつバブル以前の人口も減ってきている(少子化を踏まえるとまだバブル以降世代の方がずっと少ないだろう)。考え方の違いが今の世の中の空気を澱ませているように思う。話し合いも、勉強も碌にせず、目先の目標に向かって雑に走っている。これは自戒の意味も込めて、そう思う。

故安倍元首相には敬意を表す。投票率が50%を切るような誰も見ていない分野で、文句だけが飛び交う中、長きに渡りその役目を立派に果たしてくれていたのだ。それがこんな結末になってしまって、率直に悲しい。ゆっくり休んでください。
そして、これからの世の中を将来世代に立派に引き継げるよう、引き続き自分にできることをしようと思う。おかしなことにはおかしいと、立派なことには立派だと声をあげる。価値観が違うからどんなことにも声があがるし、それが受け入れられるかどうかはわからないが、やるだけやってみる。批判のある国葬反対デモだとは思うが、私はその行動に一定の評価をしたい。声を上げるということができている分、政治に興味があってこの国のことを考えている証拠ではないか。やり方はイマイチだとは思うが、投票に行かない人よりはよっぽど意見がはいっきりしていていいと思う。

そして我々はまた前を向いて進んでいこう。国葬は終わったのだから。失敗していようが成功していようが、この国を支えている人たちのことをサポートしていきたい。

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