人間をやるのが下手

新約聖書に出てくる有名な話に、四人の人が病気の友人をイエスのもとに連れて行くという話がある。あまりの人だかりでイエスのいる家の中に入ることができなかった彼らは、屋根の上に登ってそこに大きな穴を開け、穴からイエスのいる家の中まで病人を吊り下ろしたという。

なんかこう、もっとうまくできなかったのかな、と思う。

四人が全力で呼びかけたらそこにいた人たちはどうにか通り道を作ってくれはしなかっただろうか。たとえ通れなかったとしても、「イエスを呼んでくれ!」と必死で叫んだらあるいはイエスの方から外に出てきてくれたのではなかっただろうか。いや、というかそもそも、動けない病人を抱えて家の屋根に登ることの方が他のどんな選択肢よりもよっぽど大変そうに思える。子供の頃は遊びでたまに屋根に登ったりしたけれど、屋根に登るのは一人であってもなかなかの労力が必要だった。
四人ともみんな、なんとかして病気の友達を助けたくて、とにかく必死で、周りが見えなくなっていて、挙句になんともトンチンカンな、「よし!じゃあ屋根登って穴開けてそっから降ろそう!」という結論に至ってしまったのだ。「いやいやそうはならんやろ、、」と読みながら思わずツッコミを入れたくなってしまう。せっせと屋根に登っている途中で誰かが「…やっぱこれ普通に入った方が早かったんじゃね?」とか言っていたかもなどと想像するとなかなかに笑える。
個人的にこの話がとても好きなのは、こういうドタバタ感、というか、必死すぎてなんかおかしなことになってしまっている感じがどうしようもなく人間っぽいからである。


どうにも上手いこと生きれないなぁ、と自分に呆れることがよくある。対人関係においては特に。例えば、「昨日はお休みをいただきありがとうございました!」と爽やかに挨拶するあの人。そこにはなんの躊躇いもなくて、とても好印象で。それに比べて自分は、「無口な自分が突然自分からそんなことを言ったら変に思われるかな、そもそも『お休みをいただいた』っていうのもなんかな、一応当然の権利ではあるわけだし、、けど不在を埋めてもらったのだからそのお礼をするのは大切ではあるか。言って悪いことはないよな、うん、、言おう。あの人も言ってたし、言うべきだな。どのタイミングで言おうかな、まずはおはようございますだよな、その流れでそのまま言うのが一番自然か、、。あ、、電話しながら入ってきちゃったじゃん、どうしよ電話終わったら言おうかな、あーでもこれそのまま朝礼始まりそうな雰囲気だ。あーあ完全にタイミング失った。はい休み明けでお礼の一言も言えない嫌なやつだと思われた、はいもう最悪。」とこんな感じで余計なことを色々と気にしすぎてしまって、他の人たちみたいになんかうまくできない、ということがよくある。「この場面ではどう振る舞うのが正解なんだろう」という思考の癖が抜けなくてそればかりに捉われてしまって、なんとなく生き辛い。

なんで自分はこんなに生きるのが下手なんだろう、とため息をつくときによく思い出すのが又吉直樹著の『人間』だ。物語の終盤に主人公が行き着いた一つの答えに自分も救われた気がして、読んでいて嬉しい気持ちになったのをよく覚えている。

「自分は人間が拙い。だけど、それでもいい。」

『人間』又吉直樹

この言葉は人間のチグハグなところ、回りくどくて面倒くさくて、ややこしいところを全部肯定してくれている。というか、人間を上手くやれないのが、人間なのだと思う。みんなどこかしら真っ当じゃなくて歪で、上手く噛み合わなくて矛盾だらけの生き物、それが人間。それでこそ人間。それでいい。

前述した新約聖書の物語でも、必死に考え抜いた末に人様の家の屋根をぶっ壊してしまった四人の愚かなその行動をイエスは「立派な信仰だ」と受け取った。明らかに見当違いだし、迷惑極まりない彼らの行動をイエスは善い行いとして認めたのだ。何を持って彼らの行動をよしとしたのか、正直よく分からない。それが友を助けるための行為だったからなのか、イエスを求める純粋な強い思いが表れた行動だったからなのか、そこは読み手の解釈次第だろう。
何を持ってイエスが彼らの愚かな行動を信仰として認めたのか、そこは重要ではない。いや、とても重要なのだけれどひとまずそれは置いておいて。何よりも、彼らのそのなんとも人間くさい滑稽な有様を、イエスが嘲笑したり、頭ごなしに責めたりしなかったことがとても大切なことで、とてもありがたく思えることなのだ。そうやって上手く生きられなくて空回りしてしまっている彼らのことを、僕のことを、むしろ微笑みながら温かい目で見てくれているイエスの表情が自分には思い浮かぶ。それが嬉しい。イエスは上手に生きられなくてドタバタしている自分を、愛おしく想ってくれている。

だから、大丈夫だと思える。無条件に肯定してくれる圧倒的な愛があるから、このままの拙い自分でいいと思えるのだ。


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