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CANVASで考える『何者か?』


CANVAS VOL.2 メインビジュアル

昨年の9月だったか、知り合いのアーティストが企画してくれたバス旅へ参加した日。ヴィンテージなバスで刺激的な2日間、さまざまな発見の中、収穫として最も大きかったのは経験と人脈。


チーム名『 World One Blood』 

普通に生きていたら味わえない漫画のようなBBQと、今後も共に助け合えそうな仲間ができた。

ただ、大きなジレンマを抱えてた日でもあった。

長野、その先。

カメラマンとしての葛藤


酒を飲み、皆で歌い、美味しい食事を食べ、気に入った写真も生まれた。

振り向き際の、まりあさん。



しかし旅の中で、「本当にこれでいいのか?」という疑問が終始引っ掛かっていた。撮影する人生を選択した以上、活動で自分の表現をすること=『自らが楽しむこと』ではなく、『楽しんでいる人を撮影すること』でないかと感じた。私は楽しむ者ではなくカメラマンだ、と。

名も知ら土地での買い出し

ふと、酔いが覚めて我に帰る。
自身が皆楽しんだその時間は、カメラには残ってない。実際に、夜のBBQや2日目の写真をほとんど記録していないので、後悔は残る。

なので、この活動が将来の経験となる為に活かすには、イベント参加者ではなくカメラマンとして帯同しなければならない。

極端すぎる考えだ。間違いなく。普通にイベント参加者として、楽しんだ中でも私の作品の血肉となる学びがあるかもしれない。

しかし、カメラマンとして撮影できる時間を削って楽しんでしまった、という事実に深い罪悪感を覚えた。

自身がイベントで楽しむことをよりも、記録する行為に生きがいを感じ、かつ全ての動機になるような人間になれれば、何かを表現する者としてトップクラスになれるだろう。

そんな人は変態的で尖っていて、変わっていているだろうが、私が目指すべきなのはそんな人間だ。

まりあ & レン

そういう人間が、誰の手にも届かない場所へ足を運ぶのだろう。

このジレンマを抱え、心の底からイベントに入りきれなかった自分は、9ヶ月の時を経て、何か変わっただろうか。何者かになれたのだろうか。

カメラマンとして、映像クリエイターとして、アーティストとして、作る側、撮る側の人間になれたかもしれない。

車窓から花鳥風月を。

何かをしている時間は、何かをしていない時間。
全ての行動を正当化したくなる気持ちはあるが、『何かをしたことで失った時間と経験』にも目を向けて生きなければ。

将来、なりたい自分になるため、どう動くべきなのか?
私は何者なのか?
己に問い続けます。

ありがとうCANVAS。

それを気付かせてくれただけでも、最高の旅だった。


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