コロナ 勝ち組と温故知新

事業活動を通して、いろいろな方々と接しています。
製造業を主としてお付き合いしているのですが、たくさんの方と
コミュニケーションをとっていると、様々な会社・方々がいらっしゃいます。

緊急事態宣言の時代に、これを機会により生産性や労働環境を改善しよう、従業員とその家族を感染から守り雇用を維持することが大事、あるいは、顧客やサプライヤーを守ろう、売上確保、という考え方をもって活動している素晴らしい会社がたくさんあります。

一方で、うちの会社はダメだ、みたいなお話を聞く機会もある一定数あります。あるいは、うちの会社は関係ない(とは言わないが、社会の変化を見ていないのではないか)とおもうような言動に接することもあります。以外と多いのでびっくりしています。

このような場合、よくよく確認する必要があるので、そのまま鵜呑みにはできないですが、このコロナの変化が起こっている時代に、今の時代、あるいはコロナの先にある将来を見据えた未来に、どうありたいと思っているのかな、と思う場合があります。ただ現状を守ろうと考えていないだろうか、と。

自分がいて、仕事があって、家族や社内含めた仕事の関係者周りの関係者の方々に支えられて、コロナという社会変化が起きた。
これらの関係性において、自分の力で変えられないのはコロナの社会変化。
変えられるのは、自分、仕事、周りの関係者との関わり方。そして全ては自分起点の個人。特に組織の要職を担っている人ならなおのこと。

私もそうですが、会社の要職を担っている人間は、自分以外にも影響力が大きいわけですから、周りも変え得る立場にあるわけです。

時代の変化に変化するものが強い、ダーウィンの進化論、ビジネスの世界でも当てはまる言葉です。
社会が、政治が、経済が、今大きく変わろうとしている、その時に、経済活動に従事している一人ひとりが、今の困難をサバイブしようとしたり、自分とその属する社会を善くしようと考えて行動することが次の時代に生き延びられることなのではないだろうか、と考えて行動しています。

私の祖先は武士で、島津藩で佐幕派で要職にあったが、明治維新の後、武士の時代が終わったことに適合できず、時代に取り残されてしまったのだと聞いています。明治新政府には人が足りなかったのですから、島津藩という大きな藩の要職を担っていた経験を活かすことはできたのだと思うのですが、島津藩に忠誠を誓ったからかなのかそれはやらなかったようです。武士の時代の価値観を大事にし、新しい時代は堕落したと嘆いていたのだと伝え聞いています。武士の価値観はその後新渡戸稲造等によって後世に伝えられているように、否定されているわけではありません。時代が変わっただけなのだという理解と対処を考えることが大事なのだろうなと思うわけです。
もしかしたら、当時は幕藩体制を基本にした政治統治に戻るのではないかと時代を読んでいたのかもしれません。当時、明治新政府の財政状態や人材の質と量から考えると、元の武士の時代に戻った可能性もあり、政治は綱渡りだったようですので、新政府は持たないだろうと予想していた可能性もあります。我々は歴史の結果を知っているので当たり前のようですが、当時からすると難しい判断だった可能性はあり得ます。言うは易し行うは難しかもしれません。

今、新しい生活様式で、コミュニケーションのデジタル化が急速に進んでいます。

コロナの今の時代については、コロナ前に戻ると思っている人、コロナ後のどんな感じになるのか様子を見るヒト、新しい生活様式を作る側のヒト、い様々なタイプの方がいらっしゃると思います。
しかし今回は、おそらくコロナ前に戻ると思っていたらとんでもないことになると思います。
なぜなら日本はじめ世界中の政府・公的機関・経済団体等の日本や世界の方向性を決めることができる組織の人たちが、コロナ前に戻そうと考えず、新しい社会を創ろうとドライブをかけているからであり、
労働組合も、職が失われることがない形での、働き方改革を踏まえたデジタル化に対しては、残業がなくなる・働き方の柔軟性による雇用拡大という観点において同じ方向性にあります。
更には、働き手の人たちも、ほとんどの人たちが痛勤ストレスのない在宅勤務をポジティブに受け止めています。
このように、世界中がよりデジタル化されたスマート社会を加速する機会ととらえているのです。明治維新が当時成功するかどうかよりも変化確率は圧倒的に高いと考えるべきと思います。

一方で、なんでも新しければよいのかというと、そのようなことでもないのではないかと思います。人と人とのコミュニケーションの本質は変わらないと思います。温故知新。むしろ、人と人とのコミュニケーション対面の量は減らざるを得ないけども、対面の質は今よりも高い高次元になっていく可能性がありますしそれができるヒトは貴重になっていくだろうと思います。
コミュニケーションのデジタル化試行錯誤のプロセスを経ることによって、何を温故するべきなのか、対象をはっきり見えてきます。「温故は新しい行動 知新 をするからこそ存在するのではないか」と思います。知新に向かった行動を変えないと、そもそも旧きを深く考える機会がない。実は、新しい行動を起こす行動自体が温故するのではないでしょうか?

是非皆さん、コロナ後の世界をより自分ゴトとして行動し、今ならコミュニケーションのデジタル化です。温故知新で、次の時代の勝ち組に身を置けるように準備しましょう。
そのために今やるべきことは、新しいチャレンジ試行錯誤を通して、重要としていることについて、整理をし、守るべきことは残し、新しきを取り入れるべきところは取り入れる「温故知新」を実行しましょう!

私も、温故知新、何は変わらないのか、何は変わるのか、しっかり日々観察しながら、関わる皆さまが勝ち組になるように、行動してまいりたいと思っています。


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