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新婦の父(第13号・2002年6月28日発行)

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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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------------------------------ 第13号・2002年 6月28日発行 ----
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☆今週は、山口“悟風”智のスピーチについて、書きます。
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★新婦の父

 「嫁に行く日が……。嫁に行く日が来なけりゃいい。男親ならだれでも……」

 でも、私は、そうは思っていませんでした。

 むしろ、ここ2、3年は「嫁に行く日が来るのだろうか」
と、思ったりしていました。

 私は今、今まで生きて来た中で、一番幸せです。


 97年6月8日。

 「人間は一生のうちに800万人の人にお世話になるんだ」
 そんな話を聞いたことがあります。

 娘の28年。取り巻いてくれた大勢のというよりは、無数の人たち。
 陰になり、ひなたになり、今日のこの日まで、はぐくんで下さった。
 本当に、感謝の気持ちでいっぱいであります。ありがとうございました。

 それから、自画自賛でありますが、
 泣いたり、笑ったり、けんかさえもしたり、迷ったり、苦しんだり……。
 こうして、この子を育てて来た私の妻。

 そして、そのツマミの私。
 私は、自分たちを、自分で褒めたいと思っております。


 ルンルンという名の雑種犬を十数年飼っていたことで、
 娘の生涯の最も大切な転換点、
 最も重要な転換点になったことを、
 私はうれしく思います。淳一君、よろしくお願いします。
 私は胸に、ルンルンの写真を持っています。きっと喜んでいると思います。

 最後になりましたが、
 地元の旭川や東川は言うに及びませんが、
 恵庭や千歳の方から来ていただいた方々、獣医の方々、
 私の娘がこれから直接お世話になります。
 厳しく、そして優しく、
 知人として、友人として、
 出来れば、仲間として、
 大切に可愛がってやっていただきたいな。
 そんな親の願いです。

 首尾整いませんが、
 新婦の親としてのお礼とお願いのごあいさつに
 かえさせていただきます。
 今日は、本当にありがとうございました。

(1997年6月8日、ホテル日航千歳での「鈴木淳一・山口二葉結婚祝賀会」で)


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☆来週から、通常の「学年通信」に戻ります。来週は、低学年トラック
 1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」より

山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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◆編集後記「千鳥足」◆

 今週紹介したのは、妹の結婚式での父のスピーチを、ビデオから起こしたものです。厳密には、悟風の「作品」といえるかどうかは、分かりません。

 しかし、父の死後、遺品を整理していたところ、このスピーチの下書きも見つかりました。かなり推敲を重ねた跡も見えました。それに、何よりも、私が聞いた父の話の中では、間違いなく、最高の出来でした。正直に言いまして、「さすが、お父さん。さすが、校長先生だったな」と、見直すほどのスピーチでした。

 2002年6月は、その結婚式からちょうど5年。そういった経緯を踏まえて、メールマガジンで公開しようと決めたのです。


 このスピーチ、「相当計算したな」と思います。特に、冒頭の部分です。

 「嫁に行く日が……」と言うと、ここで、父は言葉に詰まりました。芦屋雁之助さんの「娘よ」の有名な一節です。父が黙った瞬間に、披露宴に集まっていた人たちが、何人もプロンプターになり、「来なけりゃいい」と、ささやいてくれました。

 その言葉を受けて、父は、「嫁に行く日が来なけりゃいい。男親ならだれでも……」と続けました。

 ところが、こうなるのは、どうやら父の描いたシナリオ通りだったようです。聴衆をぐっと引き寄せておいて、「でも、私は、そうは思っていませんでした」「むしろ、ここ2、3年は『嫁に行く日が来るのだろうか』と、思ったりしていました」と、笑いをとったのです。

 そのうえで、体育の先生らしく、1992年のバルセロナ・オリンピックの競泳平泳ぎ金メダリスト、岩崎恭子さんの言葉につなげました。

 さらに、真面目そうな話をした後、今度は、結婚式の前年(96年)のアトランタ五輪で、マラソンの有森裕子さんが銅メダル獲得後に語った言葉を踏まえて、一言。ここまで来ると、会場に集まった人たちは、「次は何を言うのだろう」と、集中して聴いてくれるようになりました。

 今、読み返してみると、父が一番言いたかったのは、次の部分じゃないかと、私は思うのです。

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 ルンルンという名の雑種犬を十数年飼っていたことで、
 娘の生涯の最も大切な転換点、
 最も重要な転換点になったことを、
 私はうれしく思います。淳一君、よろしくお願いします。
 私は胸に、ルンルンの写真を持っています。きっと喜んでいると思います。
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 妹が、真っ黒い子犬を拾ってきたのは、1982年でした。妹は、まだ中学生でした。当時、両親は、あまり動物を飼いたいとは思っていなかったようです。というのは、私たち兄妹が幼いころから、我が家は、犬やウサギなどの動物をよく飼っており、その都度、事故や私たちのミスで動物たちを死なせてしまっていたからです。

 ところが、妹は、この黒い雑種犬だけは、放そうとしなかったそうです。(「そうです」というのは、私は当時、米国の高校に留学中で、このあたりの事情をよく知らないのです)

 妹に根負けして、両親はこの犬を飼うことを許し、犬は「ルンルン」と名づけられました。犬の世界では、かなりの美人(美犬?)だったらしく、毎年春になると、どこからともなくボーイフレンドがやって来て、ルンルンはたくさんの子どもたちに恵まれました。

 やがて、おばあちゃんになったルンルンは、病気になってしまいました。雑種犬ですから、「商品」としての価値はないに等しい犬だったでしょう。しかし、妹にしたら、十数年可愛がってきた子どものようなものです。ルンルンを近所の動物病院に連れて行き、治療を受けさせたのです。


 ここで、父のスピーチに戻りましょう。「娘の生涯の最も大切な転換点、最も重要な転換点になった」のは、まさにこの「時」でした。妹は、この動物病院の院長先生のご紹介で、後に夫となる獣医師と知り合いました。一方、ルンルンは、間もなくあの世に旅立って行きました。

 妹夫婦の結婚式の日、父は、ルンルンの写真を胸ポケットに入れていたといいます。ルンルンは、もうこの世にはいませんでしたが、ルンルンの記憶と、ルンルンが連れて来てくれた「縁」は、確かに、その会場内にありました。そして、今も私たちのそばで、生きています。
(発行者・山口一朗)

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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
        yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「北海道の地図 市町村名入り」PJさん作成。
旧「風連町」は「平成の大合併」で、名寄市の南半分のあたりになりました。この地図は「イラストAChttps://www.ac-illust.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。

■「おことわり」

 ☆このnoteで公開する内容は、2002年から発行したメールマガジン「おかあさんへの手紙」に載せたものがベースで、作品は、明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。(編集者・悟風のムスコ)


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