これからの「東京脱出2020」について

まずは依然として続く新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた方々、またご遺族の皆様に謹んで哀悼の意を表すとともに、罹患されている方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、新型コロナウイルス感染拡大のため大変な状況の方も多いことと拝察いたしますが、ご自愛のほどお祈り申し上げます。

表題の「東京脱出2020」については今夏開催予定であった「東京オリンピック」の期間中、都市の混雑のなかから地方へ一時的に脱出し、移動を通して2020年以降のこれからの働き方や暮らし方について考えようという趣旨のもと立ち上げました。

しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響により東京オリンピックは「延期」に。
そして、「移動」それ自体が自分や他者の健康や生命、生活に対するリスクとなるなかで、「東京脱出2020」についてもどうあるべきか考えてきました。

東京オリンピック開催時の東京からの移動そのものが目的であったとしたら即中止を決断していたのかもしれませんが、プロジェクトの本来の目的は都市的な活動からの脱出・移動を通して、2020年より確実に変わってゆくであろうこれからの新しい暮らしについて考えていこうというものでした。
(こちらに多少細かく→ https://note.com/yamagishitatsuya/n/nbfd3fa1ca596 )

新型コロナウイルスによって時代が変わるのか、これから様々なことがドラスティックに変化していくうちの一つの事象として新型コロナウイルスがあるのかはわかりませんが、
いま皆さんが感じておられるように、これから人の暮らし方や社会が変わっていかざるを得ない状況にあることは確かだと思います。
そして私自身は、仮に変わった先の世界が自分にとって不都合があったとしても、変わった先の世界を見に行きたい、変わった先の未来について皆さんと一緒に考え、誰しもが暮らしやすい・生きやすいと感じられる社会にしていきたいという思いに変わりありませんでした。そのため、プロジェクトとしては進めていきたいと思いました。

ただ、「東京脱出2020」では東京から地方への物理的な移動を伴う同時多発キャラバンをメインの企画としていましたが、
新型コロナウイルスの発生により地域を跨いだ「移動」自体が、自己だけでなく他者の生命や健康を巻き込むリスクを抱えるものになりました。
新型コロナウイルスについては、いまだ自然発生的なものなのか人為的なものなのか発生源もわからず、空気感染の可能性も報道されるなど感染経路も定かではなく、後遺症の有無も、人や物の流れに乗っての変異の過程も依然はっきりしない未知のウイルス。
マスクを着用したり、アルコール消毒をしたり、3密を回避したりと各自感染予防対策に努めていますが、多くのことがまだ明らかにならず、また実効再生産数においても1以上で感染拡大のなか、都市部では1前後をずっと推移し続け収束の目途が立っていない中で、実際に移動することで感染する、あるいは誰かに感染させ重症化させるリスクがどれほどなのか、Go Toキャンペーンの是非などについても様々に議論されていることでしょう。

しかし、このプロジェクトとしては万が一でもこの未知のウイルスを自分たちを媒介に地域の誰かに感染させる可能性があるのだとしたら、
そして、地域の人たちを多少なりとも不安にさせるのだとしたら、
地域を跨いだ移動はすべきではない、と考えました。
  
少し話は逸れますが、そもそも「東京脱出2020」が生まれる流れとして「流動創生」というプロジェクトがあります。
これは、人の移動によって、社会やコミュニティにおける「固定化」による様々な弊害――ものの見方や考え方の凝り固まり、人や物への依存、「ここでしか生きられない」という閉塞感――を解くことを目指す活動です。
多拠点者や旅人が地域を訪れ、消費を目的とするのではなく、地域住民と同じ立ち位置で農作業や祭りなどに参加することで、地域の人々も訪れた人々も、新しい世界を知り、いままで見えていなかった様々な選択肢に気付く。
その活動で私たちが大事にしてきたのは、地域の人の気持ちに思いを馳せること。地域住民の皆さんの生活やその地域が営んできた歴史に対するリスペクトを忘れないということです。(そして地域側も訪れた旅人を尊重し「相互理解」する)
外来者がつかの間でも身を置くその地域は、その地域を守り続けきた地域の人々がいるから訪れることができて、安心して滞在や活動ができる。
だから来訪者が「楽しい」ければよいのではなくて、特定の個人だけ喜んでくれればよいのでもなくて、地域に住む人全体の気持ちに思いを馳せ、リスペクトしながら相対することを大事にしてきました。そしてその思いは「東京脱出2020」においても同じです。

新型コロナウイルス感染者が発生し続けている今、私たちが地域をまたいで移動することは高齢者の方をはじめ地域の方々を不安な気持ちにさせてしまう可能性がある。
そう判断し、物理的に移動するキャラバンは行わないこととしました。それが「東京脱出2020」なりの地域への考えです。

また、物理的な移動をしないことについては、「移動」が地域の人を不安にさせたり、感染させるリスクを伴うと考えたから、だけではありません。
今までの世界が、あらゆることを「外」に求めることに偏り過ぎていたのではないかと思ったからです。
個人のアイデンティティや価値基準。自分が何者なのか。他者からの承認。世間体。何をもって幸福なのか。
組織や地域も同じです。
外から来た誰かがこの環境を変えてくれる、外から人を連れてこよう、外の人になんとかしてもらおう、外の人に決めてもらおう。
「外」の誰かが、「外」の何かが、私を私たちを承認してくれる、楽しくさせてくれる、幸せにしてくれる。

しかし、「外」への物理的な移動それ自体がリスクとなり、また、これ以上の経済的な成長を望めない社会において、自分や自分のアイデンティティ、価値基準や幸せが「『外』にある」状態でいることは果たして良いことなのだろうか。

さらに、気候変動によるとされる大雨災害が毎年のように発生し、南海トラフ地震などいつ再び大きな震災が起きるかもわからない環境に私たちは住んでいます。
また、企業が利益をあげたとしても国民一人ひとりの収入は上がらず、誰しもが所得や雇用など日常の暮らしに不安を抱えています。
そういった災害リスクや経済的な不安が誰しもの目の前に散らばっている状況のなかでは、何かがあったときに安心していられる、助け合えるご近所さんや地域自治組織がいる、家族や夫婦の時間を大事にしてつながりを育むなど「内」の関係が重要になるのではないか。

地域や組織においても、人口減少や人材不足を抱える今、外ばかりを見て「外部から人を連れてくる」「外部に人材を求める」のではなく、
内に目を向けて「内部を快適にする」「内部の人材を掘り起こす」「内部の人を信頼し任せる」ことが重要になるのではないか。

もちろん「外」に目を向けること、「外の世界」に触れることも大事なことです。しかし、「外の世界」というのは地域的、地理的なものだけではありません。
何が「外」かは人それぞれ、生まれ育った環境や今いる環境によって違うのです。
都市で生まれ育った人が地方を訪れ、あるいは地方で生まれ育った人が都市を訪れ、「外」の世界と邂逅し、感情や思考を揺り動かされたり、相互に理解を行い、自分自身に新しい価値観や暮らしの様式をアップデートしていくとともに、「外」の世界や人を尊重していけるように、
これまでの自分と違う暮らしをしてる人、自分と違う立場に触れることも、いまいる場所で出来る「外の世界」に触れること、「外部への旅」なのです。

また、遠い「外」の場所に関心を持って、「外」の問題を解決しようとすることも大事なことかもしれません。
しかし自分たちが暮らす場所の近くにも、今まで見てこなかった、見ようとしてこなかった様々な問題が溢れています。
余談ですがテレビドラマ「MIU404」を好きで見ていたのですが、「MIU404」のテーマもまた、私たちの日常のすぐ近くにあるはずの「404 not found」、見えない、無いことにされている様々な社会問題が各話のテーマともなっていました。
いま「外」に対する視線を、外に対するエネルギーや優しさを、いくらかでも「内」に対してかけることで、もしかしたら私たちの社会や個人の暮らしやすさ、働きやすさも変化するのかもしれません。

いまさまざまにリスクを抱える物理的な地理的な「外」への移動をせずとも、「内」にある「外」を知り、学び、新しい価値観をインストールし、成長していくことも可能なのではないか。
むしろいま地理的な物理的な移動ありきでいることは、楽観シナリオで2021年末とも言われる新型コロナウイルス感染収束のなかで、移動できるかできないのかを外部要因に委ねてしまうこととなり、長期に渡って不安定であり続けることになってしまうのかもしれません。

「外」から「内」へ。
以上の理由などから「東京脱出2020」は少なくとも現時点で物理的に地域への「移動」「脱出」はしません。
そして何をやるのかについては、いくつかこれからの時代のテーマがあるように思っています。それらについての皆様にご協力頂きながら様々な試み・実験を行い、出来れば皆様と一緒に私自身もAfter 2020の世界へ「旅」をして学びを深め、その学びを社会に対して少しでもシェアしていければと思っています。

ところで「東京脱出2020」という名前については、物理的な移動を想起させる「脱出」という言葉が合わないかもしれないし、もはやこれからのテーマのものについては2020年だけのものではないため「2020」と付けておくのも合わないかもしれないので、どこかの時点で名前を変えるかもしれません。
しかし、ネームの違和感自体が、新型コロナウイルス発生による社会の混乱、そして2020年の混乱から変化が始まったことを表しているようにも思い、とりあえずは今の名前のままでいこうと思います。

以上、大変長文となりましたが、まずは今は自分や自分の大事な人たちのために感染拡大予防に努めるとともに、明るい未来を迎えられるよう頑張っていきましょう。

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