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"Subtitle"から考える、同じ立場で寄り添うということ

やけどしそうなほどのポジティブの
残酷さと冷たさに気づいたんだよ
きっと君に渡したいものは
もっとひんやり熱いもの

Subtitle / Official髭男dism

2022年に流行ったTVドラマ「サイレント」の主題歌であった、この曲。最近聞きなおして、あらためて歌詞が深いと思った。その中でも、上記の歌詞から考えたことを書いていこうと思う。

人が困っている時に助けるということは、人として基本的な行いである。しかし、助ける側の言動は、時として押し付けがましくなってしまうものだ。

たとえば、人にアドバイスをするということがある。困っている相手のことを思いやったつもりで助言しても、往々にして、大きなお世話のように受け取られてしまう。

そして相手に届いていないと思うと、ますます語気を強めたりしてしまう。そうやって相手の非を認めさせようと必死になったところで、納得させることはできない。むしろ、相手は非難されたことに対する恨みを募らせてしまう。

これに関しては、以下のような話がある。馬を水辺まで連れて行くことはできるが、馬が水を飲むかどうかはコントロールできない。あくまで水を飲むかどうかは、馬次第なのである。

それと同じように、人の心を無理やりこじ開けようとすると、かえって閉じていく。こちらから歩み寄ることはできるが、相手がそれにどう反応するかは、相手次第である。こういうことの例えには、北風と太陽の話が、よくあげられる。

河合隼雄さんと小川洋子さんの対談本、『生きるとは、自分の物語をつくること』の中に、小川さんのこのような発言がある。河合さんの本の中で印象深かった点だという。

京都の国立博物館の文化財を修繕する係の方が、例えば布の修理をする時に、後から新しい布を足す場合、その新しい布が古い布より強いと却って傷つけることになる。修繕するものとされるものの力関係に差があるといけないとおっしゃっているんです。

p.16 より

古びた弱い布を修理するには、補強する布が強すぎてはいけないのだという。これは、人を助けに行く人は強い人が多く、それが助けられる側にとっては辛い、ということの例え話である。

使命感に燃えて助けに行こうとするが、それは助けられる側にとっては、たまったものではない。河合さんのようなカウンセラーの仕事をするには、スッと相手と同じ力になる訓練が必要なのだそうだ。

またアリストテレスは、悲しい気持ちを解消させてくれるのは、喜劇ではなく悲劇であるという。むしろ悲劇を味わうことで、カタルシス(精神的浄化)が得られる。

このように、悲しみやネガティブな心に寄り添ってくれるのは、必ずしもポジティブな助言や、熱い励ましではない。同じような立場からの、さりげない支えなのである。

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