"Subtitle"から考える、同じ立場で寄り添うということ
2022年に流行ったTVドラマ「サイレント」の主題歌であった、この曲。最近聞きなおして、あらためて歌詞が深いと思った。その中でも、上記の歌詞から考えたことを書いていこうと思う。
人が困っている時に助けるということは、人として基本的な行いである。しかし、助ける側の言動は、時として押し付けがましくなってしまうものだ。
たとえば、人にアドバイスをするということがある。困っている相手のことを思いやったつもりで助言しても、往々にして、大きなお世話のように受け取られてしまう。
そして相手に届いていないと思うと、ますます語気を強めたりしてしまう。そうやって相手の非を認めさせようと必死になったところで、納得させることはできない。むしろ、相手は非難されたことに対する恨みを募らせてしまう。
これに関しては、以下のような話がある。馬を水辺まで連れて行くことはできるが、馬が水を飲むかどうかはコントロールできない。あくまで水を飲むかどうかは、馬次第なのである。
それと同じように、人の心を無理やりこじ開けようとすると、かえって閉じていく。こちらから歩み寄ることはできるが、相手がそれにどう反応するかは、相手次第である。こういうことの例えには、北風と太陽の話が、よくあげられる。
河合隼雄さんと小川洋子さんの対談本、『生きるとは、自分の物語をつくること』の中に、小川さんのこのような発言がある。河合さんの本の中で印象深かった点だという。
古びた弱い布を修理するには、補強する布が強すぎてはいけないのだという。これは、人を助けに行く人は強い人が多く、それが助けられる側にとっては辛い、ということの例え話である。
使命感に燃えて助けに行こうとするが、それは助けられる側にとっては、たまったものではない。河合さんのようなカウンセラーの仕事をするには、スッと相手と同じ力になる訓練が必要なのだそうだ。
またアリストテレスは、悲しい気持ちを解消させてくれるのは、喜劇ではなく悲劇であるという。むしろ悲劇を味わうことで、カタルシス(精神的浄化)が得られる。
このように、悲しみやネガティブな心に寄り添ってくれるのは、必ずしもポジティブな助言や、熱い励ましではない。同じような立場からの、さりげない支えなのである。
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