映画「アビゲイル・ハーム」 感想文

映画「アビゲイル・ハーム」の中に出てくるかつて天使だった男は、いまは無口な男だ。何を喋ればいいのかわからない。しゃべるべきことがあるのかどうかもわからない。どうしゃべるべきなのか、いまはしゃべるべきなのか、黙っているべきなのかもわからない。

話し方、受け取り方、全てがわからないのだ。例えば私達はこんなふうにしゃべることもできる。

えっ? なんだそれ、髪めっちゃ短いじゃん!
うん、思い切ってバッサリ切っちゃった!
えー、なんで? そんなに短くするつもりだったの?
うん、気分転換したかったんだ。それに、ショートヘアの方が楽だし。
でも、せっかく伸ばしてたのに… もったいない!
どうしたの? 新しい髪型、すごく似合ってると思うんだけど。
えー、本当に? でも、ロングヘアの方が絶対似合ってたと思うんだけど…
ありがとう! 昔からロングヘアの方が好きって言ってたよね。
うーん、でも… まあ、慣れれば似合ってると思うよ。
ありがとう! それに、髪型は気分で変えられるからね。またロングヘアに戻すこともあるかもしれない。
そうそう! どんな髪型でも似合うと思うよ。

コミュニケーションを取ることは関係の毛づくろいであって、互いの体を撫でるに等しい。

でも天使だった男は無口であるだけだ。駅で置き去りにされ不安になってしまう。場違いなところに来てしまったという思いがあるだけ。

それでも男とアビゲイルが川べりを歩くのは幸福な時間だ。カメラがぐるぐるとまわり、めまいを起こしそうになるが幸福によっているという感じがする。その行為はなにかの目的があるわけではなくただ二人で行う遊びだ。遊びは楽しいがゆえにやることであって、それ以外のものを持つものではない。めまいが酩酊感を表すように、まさに酔っているのだ。

アビゲイル・ハームは男を開放し、また一人に戻ってしまう。アビゲイル・ハームは孤独でなくなるために男を得た。孤独の苦痛から開放されるために行動した。でも天使だった男はやはりこの世界にいるべきではなかった。世界は残酷だった。そして彼女が開放するのは、善き人間でありたいという彼女の希望がそうさせるのだ。彼女は善き人間を選んだのだ。


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