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現金は重い?電子マネーは軽い?

私はほとんど現金を使わなくなりました。コンビニで100円の物を買うにもクレジットカードを使っています。イオンで買い物するのはWAONで払っています。そのほうがポイントがたまってお得だからです。WAONではらうとポイントが貯まる商品もいっぱいあります。

現金はよほどのことがない限り使いません。病院が現金しか受け付けてくれなくて、なんとかしてほしいと思います。

クレジットカードを使わない理由としてあげられていたのは、お金を使いすぎてしまわないためというのがありました。私自身が使っている感覚だと、お金を使いすぎるということはないです。変わらないと思います。お金を使いすぎるというのはたんなる錯誤なのでしょうか。

たんなる錯誤とは言い切れない部分があるのではないかと感じます。それは物質性ということかもしれません。お金というのは昔は金などの金属で流通していた時代がありました。いまも紙幣と硬貨の両方が流通していて、硬貨の方はアルミニュウムという金属でできているもののあります。触ってみるとたしかに金属の感じがします。1円ですから安っぽい玩具の硬貨みたいに感じます。でも確かにお金です。

物質でできています。少し離れて、日本のお金の価値の担保は何かといえば、日銀が担保していると考えれば日銀の資産が裏付けです。日銀の資産のほとんどは日本の国債です。日本政府の発行する借金の借用書みたいなものが資産です。日本政府の収入、つまり日本の国民からの税金が担保のおおもとです。徴税権があるから裏付けとなっています。

日銀は日銀券を発行しています。私はそれを使っています。私は紙切れをわたして、商品を受け取るわけです。紙切れが価値あるものとして感じられるのに高度な印刷技術が使われた紙という物質性は関係ある気がします。人間は手触りのない抽象的なものはわかりにくく、手触りのある具体的なものはわかりやすいです。

わかりやすさと本物という感じの間には関係がある気がします。ただ声が聞こえるだけのラジオよりも、顔が見えるユーチューブのほうが同じ内容をいっているにしても遥かに需要はあります。声でも声色のように物資性はありますが、顔には及びません。紙幣に肖像画が印刷されているのもそういう理由もあるかもしれません。

現金には弱いとはいえ物質性はあり、重さもあります。でも電子マネーはもはやカードに記録された数値という情報でしかなく重さはありません。世の中がバーチャルなより物質性を排除するように動いています。情報として処理するほうがエネルギーも少なく流通も簡単だからという合理的な理由もあるでしょう。

バーチャルが主流になるにつれて物質性がなくてもいいんだ、身体さえもなくてもいいんだという物語もありえます。身体という牢獄から人は自由になるべきだという論もありえます。身体があるから苦痛もある、同時に身体があるから快楽もあると言えるでしょう。

現金派と電子マネー派の間には物資性の問題があります。引き伸ばせば身体との関係とも言えるでしょう。身体を失った表象で満足できるかという問題かもれません。お金をはらうとはいま持っているものを失うという感じがするからかもしれません。電子マネーで決済するより、現金決済のほうが身体を失うという感じがより強く感じるからかもしれません。

長々と書いてきましたが、単に現金だと持っている分だけしか使えないという制約があるからというだけのことでしょ、というツッコミはなしでお願いします。


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