『優先度』あるいは『優先順位』という言葉の裏で縛られた価値観について

筆者は魚が好きだから、魚とご飯を最後に残してトマトやナスや豆などの野菜から食べていくが、気分によって魚を最初に食べて野菜を最後に食べることもある。人それぞれ好きな食べ方があって良いと思う。

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突然質問をするが、このような会話を耳にしたことは無いだろうか?

●大学のキャンパスで
(学生がサークルの誘いを断る時)「今は他に優先しないといけない事があって、すみません」
(恋愛の噂話で)「彼女にとって最も優先順位が高い男はA君だろうね~」

●ビジネスシーンで
「優先順位を決めてから取り組もう」
「このタスクは今は優先度を下げよう」
(他人の仕事を注意する時)「〇〇君のやっていること、優先度間違ってない?」

昔も今も優先度(または優先順位。以降、優先度に統一する*)という言葉がよく使われ続けていると思うが、
最近使われ方に疑問を感じたのでnoteに書き留めておく。何に疑問を持ったかというと、あたかも優先度が高い人や作業が優先度が低いそれよりも重要であるという前提で使われているように感じるからである(ちなみにこの使われ方は言葉の意味としては間違っていないが、これから説明する大きな問題を孕んでいる)。

A, B, Cと並んでいる人または作業
優先度をA=高, B=中, C=低と定める
AはCよりも優先度が高いので、AはCよりも重要である

上のように考えられていないだろうか?つまり、物事の優先度を定めることによってそれらの重要度も定めるという事だ。何が問題かというと、優先度高はマストだから先にやらないといけない、優先度低は優先度高よりも先にやってはいけない、むしろ忙しかったらやらなくていいという枠組みに縛られることである。本当に重要度が高いものから先に来るのか?例えば一日の中で朝一番に取り掛かる仕事や活動が最も重要で、夕方から夜にかけてやる活動の方が重要度が低いのか?朝一番に出会う人が最も重要で、仕事が終わる前や寝る前に出会う人がとるに足らないのか?そうとも言えないというのが筆者の見解である。夕方に重要な依頼のメールがお客様から来ることもあるだろうし、大事な人と一日が終わる直前にコミュニケーションを取る人もいるだろう。そもそも重要かどうかという観点からそれぞれの活動を時系列を順に並べて行動計画を立てること自体が不毛だと感じ始めた今日この頃である。特に仕事のチームや家族などのグループで何かの優先度をつけるとなると、複数あるA, B, Cそれぞれの優先度付けが一致しないと、その後の行動に足並みが揃わないだろうし、力づくで揃えたとしても納得しない誰かが出てくるだろう。そうなると、優先度についてディスカッションをすること自体がグループ全体に疲弊をもたらすようになる。なので、優先度をそれぞれの重要性を抜きにして並べる以下の方法を提案する。

Dをやりたい(あるいはDと会って話がしたい)
Dをするには、Cをしないといけない(あるいはDに会うためには、Cを準備しないといけない)。
Cをするには、Bをしないといけない(あるいはCを準備するには、Bと会わないといけない)。
Bをするためには、Aをしないといけない(Bと会うためには、Aに行かないといけない)。
よって、優先度はA>B>C>Dである

上のように優先度を決めるやり方に、重要度という観点は無い(あえて言うならば、AもBもCもDを達成するために重要だ)。
これだとDが重要であるということさえ一致したらA, B, Cの順列はDにいかに早く辿り着けるか?やどちらから行った方が安全にDに辿り着けるか?など合理的なディスカッションができると思う。逆にいうと上記のように順列をつけられない物事について、あえて重要度という観点でそれぞれの項目に優先度を振り分けて、それらを優先度順に辿ることが必ずしも良いとは思わない。それぞれの人や活動がどれだけ重要なのかを相対的に整理することは自己分析や他己分析には意味があるかもしれないが、行動の順序を重要度という観点で並べようとすることは個人としても必ずしもそれが最適な行動指針とは限らないし、集団として優先度を揃えて行動の順番を固定しようとすることはロボットを作ろうとするのと同じではないかとさえ感じる。

 今まで述べてきた内容と無理やり論理的に結びつけようという意図は無いが、着想は以下の聖句から与えられたので引用しここまで読んで頂いたことに感謝の意を表して筆をおきたい。読んで頂きありがとうございます。

 「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい。」
 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
 イエスは彼らをじっと見ていわれた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」  そこで、イエスは彼らに言われた。まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二部族をさばくのです。  また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠の命を受け継ぎます。  ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。 (マタイによる福音書19:23-30, 新改訳聖書(第3版, 2003年))
しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私との一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」 (マタイによる福音書20:13-16, 新改訳聖書(第3版, 2003年))

*優先順位と優先度の使われ方を全く違うものとして扱う記事もあるが、Wikipediaによるとどちらも英語ではpriorityという一語で説明されるので、今回は一語に括って本文を書いた。

■仕事を効率化する2つの考え方https://backlog.com/ja/blog/what-is-the-difference-between-priority-and-the-order-of-priority/
■優先順位
https://ja.wikipedia.org/wiki/優先順位

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(写真:Bridges For Peace主催「Call to Zionツアー2019年」参加時にガリラヤ湖のほとりで撮影したKING DAVID号)

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