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ボランティアで価値観を変えたいなんていうクソみたいな価値観がカンボジアに行ったら本当に変わった話

大学3年生の時、カンボジアで日本語と英語を教えるっていうボランティアに参加した。けっこう知名度のあるNGOの団体のツアーだった。   何もやりたいことも得意なことも見つからなかったから国際NGOや青年海外協力隊なんかに参加するのもいいのかななんて思っていた。  人を助けたいとかいう思いより自分が必要とされたくて、面白そうなものが見たくて行った。

初めての海外で、そのためにパスポートを取ったし、日産の工場で夜な夜なアルバイトをし、1ヶ月で30万円稼いだ。  ばかで怖いもの知らずだったから、どうせ海外に行くなら日本じゃ体験できないような危険なところじゃないとか考えた。当時大学生の僕が考えられる一番危険なところに、価値観を変えるための旅行だった。

現地ではすごくワクワクすることが多かった。  シェムリアップ空港から軽く1時間はかかろうかという小さな村まで、ハイエースの中で揺れる砂道を進んでいく。  

ツアーに参加した人たちはみんないい人ばかりで、車内の雰囲気は初対面とは思えないほど和やかだった。  だいたいこれから2〜3週間を一緒に過ごすから自然と不安や期待の共有ができたし、村に着く頃にはタメ口で話せるくらいになっていた。

村に着いたのはもう夜だった。  ここでは時計もないし、家の他には光がないから正確には夜なのかどうなのかもわからない。  ただ暗かっただけかもしれない。  しかし程なくして夕食だと聞かされたのでやはり夜に違いなかった。  村での生活をすると決めた私たちの中で、携帯電話で時間を確認するような者は誰もいなかった。  

同じ村で生活する参加者もやはりいい人ばかりだった。  本当に小さな村で、おそらくツアーで来ている日本人を含めても住んでる人は100人に満たない。  歩けばすぐに知り合いに当たるという村の中で、僕ら参加者は4つの班に分かれた。  

班と言ってもホームステイする家が4つあり、どの家に滞在するか、というだけだったが。  1つの家には10人ほどが滞在し、最大で40人がいた。  村の人が眠りにつくのは21時30分頃。日本人は少し遅くて、みんなで少し話したりして、それでもみんな目的を持っていたからすぐに眠りについた。

朝は日の出とともに起きた。  村では家畜となるニワトリや豚や牛が鳴いて、アヒルが列をなして散歩する声が聞こえるからあまり寝てもいられない。  朝食を食べて学校へ行く準備をすると、同じ家に住むみんなと少し話した。  

みんなほとんどは大学生で、昨日は暗くてあまり顔も見えなかったけどはっきり顔を見て話すのは少し緊張した。

参加の目的はだいたい3つ。

・参加しないと単位がもらえず大学が卒業できない

・子どもが好きだから、教育に興味があるから

・なんとなく面白そうだから

どんな理由でもよくて、みんな目を輝かせていた。  単位が取れないと言ってる人も、わざわざカンボジアなんかに来なくても他の手段もあったはずだ。  必ず素敵なことが起こる確信が僕にはあった。 でもそこで僕の見た景色は想像と全然違った。  

学校までは徒歩3分ほど。  学校が見えてくると、とんでもない数の子どもたちが校庭に集まっていた。  

なんだこれ、とか思ってるうちに「遊んでー!」と集まってくる子どもたち。  朝授業が始まるまで遊んであげて、授業が終わったらまた次の授業まで遊ぶ。  お昼休みはほとんどの子が家に帰るけど、遠くて帰れない子とお勉強したりする。  午後の授業の合間もずっと遊んで、授業が終わるとみんなで夕陽を見に行く。  週に何回かアイス屋さんが校庭に来て、棒のアイスを売ってくれる。それが子どもたちの何よりの楽しみ。

ボランティアなんて図々しいとさえ思った。ここはすでに完成された世界があって、子どもたちは幸せに暮らしている。  僕らが1ヶ月で作ることができないほどの笑顔を1日であっという間に越えていく。  

僕はここへ何をしにきた?  授業は日本語と英語を現地の教科書をもとに創作でカリキュラムを作ってやった。  僕らが受けている英語や国語教育とはまったく違う、正解の分からない授業。  なんとなく慣れてきてはいるけど正しい言葉を話せる人がいないからレベルが上がらない。学年毎に違う内容の授業はしてるけど結局a.b.cがappleに変わっただけ。

僕らボランティアがいる意味は「より分かりやすく伝えたい」とか「仲良くなりたい」とかそういうこと。  「分かりやすく伝える」なんて全然まだそんな段階じゃない。子どもに興味を持ってもらうにはどうすればいんだっけ。好かれなくちゃしょうがない。  

子どもたちは遊んでもらうのが大好き。授業をしに来ているはずなのに、授業が終わることを心待ちにしている子どもたちの表情にどこかやり切れない。でも終業の挨拶を済ませた彼らが駆け寄ってきて、「せんせー!」って言うのはすごくかわいくて嬉しかった。

ボランティア?

なんて厚かましくて傲慢だったのか。  ここへ来て何が変わった?たしかに僕の価値観を変えるには十分だったかもしれない。  ここで必要とされたくて、ここに何か影響を与えたくて、来たんじゃないのか。  僕が来てからこの村に何か変化があったか。  何も出来てないじゃないか。  

ホームステイ先の家にはいつも美味しいご飯を作ってもらって、自分たちばかり安全な飲み水を飲んで、自分の持ってきたお金が盗まれないかばかり気にして、好かれることばかり考えて。 最後の2、3日はホームシックとかではなく、でも子どもたちと遊ぶこともできず、校庭の石階段に座り、ただトンレアップの青い空だけを見ていた。  

この時間を有意義に過ごさなきゃいけないことは分かっていた。  せっかく来て何をしているのか、と。  ちょうどその頃、日本では僕がカンボジア行きを決めた頃に『僕たちは世界を変えることができない』という本が人気を博し、映画化された頃だった。  その本を読んでから現地に行った。  

それなのに本の主人公たちと同じ状況になってしまったのだ。

僕はいくつかの壁にぶつかった。

・物資は十分なのか

よくある話だけど物資など十分なわけがない。ただこの村では被災したことで物資が必要なわけではなく、元々ない物資を持っていくということになるから、当然公平性が崩れる。それが原因で実際に争いが起きることがあった。

・継続的な支援について

この活動はツアーだから単発だ。その後もみんな個人的に再度参加したり、寄付したり、旅行で村を訪れたりしている。でも結局は一時的なものだ。話題を呼んで人が集まってくれるわけではないし、お金が集まるわけではない。

・ボランティアという存在について

ボランティアは仕事ではないし、やり方は人それぞれだ。みんなそれが分かってるからお互いに価値観のすり合わせはほとんどしない。たまに学生ならではの熱いやつがいて、教育とか支援についての議論をすることはあったけど、ボランティアである以上やれることは限られている。  

活動後にはNGOで駐在として働くことを考える人も多い。しかし外部から力が働けば働くほど、現地の人は自分の足で立てなくなる。一緒に立ち上がろうとする気持ちが必要なのだ。実際にそこに踏み切るかどうかはともかくとして、「また来てね」では終われない気持ちが心に残った。


帰国後に大学ではちやほやされた。「自分でお金を貯めてよく行ったな」とか「行動力がすごい」とかみんな褒めてくれた。カンボジアで会ったやつらと会うとみんな「こんな風に暮らしてていいのかな」と言っていた。  別にそれは不幸な訳ではなかったけど、その中で「私、カンボジアで働くことにした」という人がいると、負けたような気持ちになった。  

何を得たかとよく聞かれたが、僕には無力さを知ったとしか言いようがなかった。  東京の夏は10月だというのにまだ蒸し暑かった。  

ありがとうございます!先にお礼言っておきます!