その日の気分で言ってることがコロコロ変わる。
また、正しいかどうかはどうでもよくただ八つ当たりしたいとか、感情を垂れ流してるだけなんだと気がついたのは大人になってからだった。
急にキレて掃除機でどつかれたり
土下座させて頭踏んだり
親同士の付き合いで自分の子供がバカにされたりしたときに、子供は悪くないのにのに自分の息子に八つ当たりするような人間だった。
むけようのない怒りをどこでもいいからぶつけたいんだろう。
サッカーで敵のゴールが入らないから自分チームのゴールに入れるみたいなめちゃくちゃなやつだった。
信用して話したことを出汁にして悪く言ってみたり、、、
ろくでもないやつをみてもあまりなんとも思わないのは母親をみてたからだろうとおもう。

はじめからだったからそういうもんなのか、とおもったがどうも、人としてその人と付き合っていけそうにない。高校生くらいから口を利かなくなった。何を話したところでどうせ怒鳴り合いになることがわかってたから。
そいつの感情の波に振り回されるくらいならはじめからなにをいわれても付き合わずに平坦でいる方がいい。
無理やりでも、話そうとしてきた。料理中に下から覗きこんできてじゃましてきたときはおもわずそのままフラパンでなぐりそうになったっけ。
このままではdvになるとわかったので完全に避けるようになった。
まあ、なったところで反省は全くないけど
おれにどうしろってんだ

たぶん家族とか学校とか、その世界しか見たことないとその世界がすべてだと思いこんでしまう人がいる。
実際はそんなことないんだけど、、
たとえばこの世界は最悪だとおもって自殺してしまうひとがいても仕方がない。その人にとっての世界は最悪なんだから。

なにがいいたいんだっけ?
ああ、、当たり前で苦しんでる人がいる、、けど、、
当たり前じゃないかもしれないんだ。
問題に対して考えるにしても問題提起が間違ってればお話にならないように。

母親を大事にできない場合もあるし、
親と仲良くしなきゃいけないなんてこともない。

当たり前をなくして自分の好きにやってみたらいい。
死ぬくらいなら。

金持ちになっても
借金まみれになっても
事業に失敗しても
恋人に振られても
結婚しても
仲間はずれにされても
幸せな家庭があっても
子供が死んでも
手足がなくなっても
どんなことになってもいいように最後は死という終わりが用意されている。

安心して生きなさい 僕等そう言われて生まれてきた。










なんて自分にいいきかせてるのかな



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