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本を出すのは生きることよりは簡単なんじゃないかと。

本を出したことがある。

今までに、全部で10冊くらい。

出版社からでも、自費出版でも何冊か本を出して思ったのは

本を出すことより大事なことがあるということ。

本は、人に影響を与えられる、自分の考えを世に出せるということでけっこう、「本を出すこと」を目標にする人は多いと思う。

でも、これだけ本というかメディアの多様性が認められる現代において、本って一体、何なのかと思う。

後世に残るということを考えれば、紙より石の方が盤石だし。そう思って私は2011年の震災の後にストーンサークルを建てたのだけど。

自分と夏目漱石を比べると、

やっぱり夏目漱石の方が面白いわけで。

漱石の面白さってやっぱり「私は今、本を、読んでる!」というゾクゾク感にある気がするんだドグね。

で、そういう本がたくさん、遺ればいいと思っているわけで。そうすると自分の本は漱石に比べたら消えてもいいとさえ思えるわけで。

そんな私が本を、しかも初っぱなから自伝を出せたというのは、ひとえに

生きていたからだと思うんだドグ。

生きることが、一番大事。

私は、大卒の板前で、その後に当時では珍しい女お笑い芸人を目指していて、ものすごく貧乏だったから

その貧乏と板前と出会った人たちが面白くて、本を出させてもらえたのだと思うんだドグ。

 とにかく、貧乏がすごかった。300円のカレーが食べられなかった。マクドナルドで頼む昼ごはんはいつも当時80円だったチーズバーガーと水だったドグ。(*´∀`*)
※「水を下さい」と言えばどこのファーストフードでも水ってもらえます☆

貧乏じゃない人にとっては、

貧乏って「なんかすごい」んだドグ。

だから今、これほど物を書く人が増えた世の中において、本を出すっていうのは、なんらかの凄さや珍しさ、新しさがあるか、よほどの文章力、小説を書く力があるからだと思うんだドグ。

それでね。

才能って結局は、続ける力だと思うんだドグよ。

続けられること自体が才能だから。普通、飽きるから。

早逝した詩人が素晴らしい詩を残していて、「彼らには才能が最初から備わっていた」と思うとしても、生きてる間に本にならない人もいたわけで。

その彼らが死んでから評価されたとするなら、

あなただって死んでから評価されるかもしれない。

とりあえず、死ぬまで自分の表現したいものを表現して生きてれば

いいんじゃなかろうか。

ドグ子が大好きなアメリカの、発禁処分を受けた作家・ヘンリー・ミラー(代表作は『南回帰線』『北回帰線』)は、

すっごい小説を書いて、巨星と呼ばれて、生々しい生と性に溢れていて、
面白くて、人間を描くのがものすごくうまくて、破綻していて。時々浮浪しながらも小説を書いていくのね。

そんで、水彩画を描いたらそれがまた、シャガールみたいな絵の数々で、こんなに自由な絵を描くのか……って不思議に思うほどの絵を、一年で200~300枚描いて、各地で個展を開いた。日本でも個展が開かれた。

若かりし頃の横尾忠則が、海外に住むミラーに会いに行ったのね。その頃のミラーは小説も、絵も描いていなかった。

それで、卓球を二人でやりながら、

「今何をやっているのですか?」と横尾忠則がミラーに聞くと、

「今はおまえと卓球をやっている」

と答えるの。

ミラーは、ただ己が心が動くままに、生きていたのね。


それこそ、蚤だらけのベッドで眠って。

END

毎日、楽しい楽しい言ってると、暗示にかかって本当に楽しくなるから!!あなたのサポートのおかげで、世界はしあわせになるドグ~~~!!