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淵できみを待つ

 対岸の岩が見えるだろ。
 あれは一枚岩だ。もろい岩だから雨風が削っていった。木の根が張って崩したところもある。川に浸っている部分は流れが削った。川底の流れは岩をえぐり、川底をも深く掘って淵を作ってしまった。
 だから水面は穏やかに見える。
 川遊びを楽しみたい者は、あそこまで泳ぎつけば、ぽかりと浮かんでゆったりと川の流れに乗れるんじゃないかと思うのでしょう。
 騙されてはいけない。
 水面のすぐ下の流れは淵に引き寄せられている。だから人は淵に引き込まれて溺れるのです。泳ぎが達者な者は自力で浮上して助かるかもしれません。助けてもらえる者もいるでしょう。だが溺れて死んでしまう者も、とうぜんいるのです。
 もしかしたら淵に沈んでそのままの者もいるかもしれない。
 誰も淵の底までは探しにいかないから、確かめようがありません。

「この女を淵から拾っておいでになりましたか」
「はい。いっしょに男がいましたが、息が絶え命も絶えておりました。けれどこの者、息は絶えておりますが命はまだありました。生き返ることはないでしょうが」
「ならばなぜ、この女を淵の底から連れてらっしゃったのかね、寿々さん」
「女がわたしを呼びました。お腹の子を救ってほしいと」
「女の声が志摩の海まで届いたと………寿々さんは、それに応えてここまで来たとおっしゃるか。深い海からこの山まで……」
「はい。参ずるのはたやすいことです。水のなかのことならば、応じることができることもあります。けれど応じられないことのほうが多いのですよ。それは願う者の徳なのか、運なのか……わたしが決められることではありません」
「そしてここに私がいた。寿命を授けられて生きながらえた者が」
「それこそがこの女の徳であり、運でありましょう」
「この女の願いには応じることができた、と。それにしてもこの女、妊娠しているようには見えませんが」
「子が宿ってまだふた月になりません。お腹の子は、手も足もまだ未分化……」
「ほう……」
 まもなく齢七十を迎えようとしている男は、寿々と呼んだ女と溺れた女を見た。どちらも若く美しいが、溺れた女は人形のようにただ白くうっすら透明ですらあった。
 寿々は問うように男を見た。
 男は明瞭に頷いた。
「私の命は寿々さんのものですよ。志摩の海で寿々さんが救けてくれた命です」
「あなたが生きながらえたのは、あなたの父上のお陰ですよ。父上が差しだした寿命をわたしが受けとり、あなたに移しただけのこと……」
「父は私に寿ぎの命をくれたのですね。父は海へ沈み、私を海上へ押し上げてくれた」
 男は涙ぐみ、幸せそうに笑い、大きく頷いた。
「寿々さん。おかげさまで、父を弔うこともできました。墓の世話まで力添えをいただきました。参る墓があるのは、私の生きる支えになりました。寿々さん……私の寿命を遣ってください。寿々さん……」
 伺うような男の眼にこたえて、寿々が微笑んだ。
「その子の成長を見たいのですね。そのようにいたしましょう」


 午前四時、夫とわたしは同時に目覚めた。
 昨夜はふたりともめずらしく十一時過ぎにいっしょに「おやすみなさい」だった。
 いつもわたしは日付が変わってから寝るし、夫は晩酌の酔いにまかせて九時とか十時とかに寝てしまう。
 ふだん、目覚めたことがないような早い朝なのに、すっきり起きられた。
 昨日までとは違う今日。心が安らいでいる。
 カーテンを開けると、夏至を一週間後に控えた六月の空は明るくて、わたしたちはさっそく歯を磨き、顔を洗い、身支度を整えた。
 いつもなら、出かける時間ぎりぎりまでパジャマのまま部屋をうろうろしているのに。
 たしかに今日は昨日までとは違う。
 ふたりして玄関ドアの前で正座していることを不思議だと思わなかった。
 わたしの心は晴れやかで、夫は安心した表情だった。

 前年八月十三日、妹夫婦は友人たちとキャンプに行き、川遊びをしていて行方不明になった。間もなく一年になろうとしているが、中林洋輔と恭子は消息は不明のままだ。
 友人たちは時間をつくりいくども探しに行ってくれた。
 行方不明から百か日が過ぎて冬の気配を感じはじめたころ、中林家のご家族と相談して、友人たちに捜索を終えてもらった。中林さんの家族もわたしの家族もふたりのことはあきらめていた。
「みなさん、ほんとうによく探してくださった。これからはご自分たちを責めたりせず、ときにはふたりとの楽しかったことを思い出してやってください。みなさんには前をむいて生きてほしい」
 中林さんとわたしたちは友人たちに頭を下げた。
 けれどわたしの心はいつも暗く、でもこのままではいけないとなんとか明るくふるまっていた。夫はそれを感じとって途方に暮れていた。

 今朝はその鬱々が霧散していた。心に薄い霧さえかかっていなかった。
 チャイムが鳴った。
 陽が昇りはじめたのだと思った。
 ドアを開けると、二十代半ばぐらいの和服の女性が、胸に猫ほどの大きさの生成りの布でくるんだものを抱いて立っていた。
 白菫色の紗合わせの着物は、五階の廊下をわたる風を受け、女性のほんの小さい仕草にも紗が揺れて、地紋の青海波が動いているように、身頃から裾を凪いだ海のようにみせた。
 帯は灰桜色、そこにさまざまな淡い色でめでたい水引の結びを織りこんであった。地味といえば地味。けれど美しい配色だった。
 廊下を涼しい風が吹いていった。うしろでひとつに結わえた女性の長い髪が、風にふわりと浮いた。
 薄い雲が低くたなびく空はよく晴れ、まだ昇りきっていない朝陽が、遠くに近くにビルやマンションや民家にそそぎ、影をつくっていた。

 女性は「すず」と名のった。

「寿ぐ寿ぐと書いて、寿々と申します。その名乗りで言祝ぎを生業にしております」
 言祝ぎを生業とは……わたしには三河万歳しか思い浮かべられなかった。
「わが子として育ててほしいと、恭子さんからお預かりしてまいりました」
 寿々さんは抱いていた生成りの包みを、慎重にうやうやしくわたしたちに差しだした。包みが小さく動いた。
 寿々さんは、妹は生きてはいないとはっきり知らしめたのだ。
 わたしと夫が同時に両手を差しだした。夫はわたしと包みをいっしょに抱くようにしてわたしの腕をささえた。
 夫の左手が包みの端をそっとよけた。
 あかちゃん……閉じた瞼、やすらかな寝顔、舌先が少しだけのぞいる。
「昨日、生まれました。男の子です」
 わたしはぼろぼろ泣いて、夫はわたしと赤ちゃんを抱きながら震えていた。
 寿々さんは、事のいきさつを記憶としてわたしと夫の中へ注ぎこんだ。
 洋輔さんはもう生きてはいない。恭子も生きてはいない。
 けれどこの子は、妹夫婦の子。妹恭子の子なのだった。
「名まえは?」
「おふたりで名づけてくださいますように。お子が健やかに生きていくには戸籍もいりましょう。どうぞよしなにお願いいたします」
 深いお辞儀をして、寿々さんはわたしたちに背を向けた。
 わたしは去っていく寿々さんの姿がだんだん薄くなり、やがて風にとけるように消えていくのだろうと思いながら見送っていた。
 この世のものでも、あの世のものでもない、寿々さん……。
 けれど寿々さんはエレベーターの手前でもういちどお辞儀をして、すぐ横の階段を降りていった。 
「寿々さん、エレベーターを使わなかったね」と夫が言った。
 わたしは「そうだね」と返事をした。でも寿々さんは階段を一段か二段降りて、そこで姿を消したのだと思っていた。

 
 夫は「洋輔くんと恭子さんから一字ずつもらって、恭輔というのはどう?」と言った。
 わたしは首を振った。
「おとうさんはあなたで、おかあさんはわたし。この子はわたしたち子ども。シンプルで読みやすく健康そうな名まえを考えようよ」
 そうだね。夫はほっとしたように笑った。
 けれど出生証明書をどうしたらいいだろう。
 父根笹幸雄、母耀子、長男康太。
 区役所に出生証明書に母子健康手帳をそえて、無事出生届を提出した。
 見えない案内人が付き添ってくれているかのように、必要な書類はしかるべき人たちによってわたしの手元にそろってきたのだ。
 盆暮れに会うていどの両親や兄も、わたしたちに子ができたことをごく自然に祝ってくれた。

 そして六年後、洋輔さんと恭子が行方不明になって七年たった。
 中林さんのご両親とわたしたち家族は中林洋輔と恭子の失踪届けを出した。


 板取川に沿って山の奥へ走っていくとおじいちゃんの家がある。名古屋から高速道路を使わないで行くと三時間ぐらいかかる。その先は福井県だと思う、たぶん。
 おじいちゃんの家は集落から離れている。そこで川魚、ウグイやヤマメ、アマゴにアユを釣って生活している。買いにくる人がいるから、道路脇に草を刈っただけの駐車場がある。二台か三台は停められる。
 川魚を獲る漁業権もちゃんと登録してある。
 魚が売れるほどに釣れた日は、駐車場の木に「魚あり〼」と木札が掛けてある。夏には、近くのキャンプ場の客が買いにくる。
 おじいちゃんの家に行くには、駐車場からおじいいちゃん自作の道を河岸まで下りなくちゃいけない。
 乾いたところがない道で狭い。いつも泥濘んでるし、二人並んでは歩けない。でもところどころ踏み石を置いてあるから、泥濘に足をとられるってことはない。
 道の両脇は雑草がはえほうだい。蚊がいっぱいいるし、ブヨもいるから虫除けスプレーは必須だ。片手に殺虫スプレーを持っていればもっといい。それでも完璧じゃない。なぜか必ず刺されてしまう。とくにブヨに刺されるとすごく痒いし腫れるし、膿むこともある。
 ぼくは夏休みにしか行ったことがないから、ほかの季節の様子は知らない。
 板取のおじいちゃんは親戚じゃない。かあさんととうさんが「お世話になった」人なんだ。だから祖父とは呼べない、おじいちゃんだ。
 でも、毎年八月のお盆のころに必ず行って、釣った魚を食わせてもらっている。残念だけどいつも日帰りだ。
 おじいちゃんの家は小屋といったほうがしっくりくる。
 おじいちゃんの小屋のあたりは岩が多く流れが速い。浮き輪を持っていっても川遊びをさせてもらえない。
「流されるから、やめておけ。流されたら泳ぎの達人でも追いつけない。助けられんぞ」
 岩に腰かけて川に足を入れているだけで、「上がってこい」と叱られる。

 今年はとうさんもかあさんも忙しくて、八月十三日に板取川へ行けなかった。
 来年ぼくは高校受験だ。今年の三年生たちの夏休みの計画を聞いていると、来年は板取へ行けそうもない。受験勉強のための夏休みになる。
 希望校があるなら努力しろ、とじいちゃんも言うんだ。
 だから今年はどうしても行っておきたい。
 縁起でもないと言われるかもしれないけど、おじいちゃんは年寄りだ。高齢者もいいとこだ。そういうこともある。
 今年は絶対に行かなければいけない。行っておけばよかったと後悔したくない。胸がすごく騒いだ。
 お盆が終わって、とうさんもかあさんも余裕ができた。
 そろそろ板取へ行こうかと計画をたてていたら、台風十三号が紀伊半島から尾張をかすめて岐阜を横断していった。
 大きい台風じゃなかったけど、台風が近づくまえから雨が降りつづいた。名古屋市内でも浸水被害がでていた。
 台風が上陸して強く風が吹いたり、ベランダのガラス戸を雨がなんども叩いていた。ふだんの雨ならベランダが濡れることがあっても、雨がガラス戸まで届くことはない。
 さすがに台風だ、と思った。
 雨は針のように鋭く風にのり、前の家の屋根を白っぽくみせる。けれど五階のうちのベランダにならんだ植木鉢が倒れたり転がったりするほどじゃなかった。

 小学三年生か四年生のとき、雨降りのあと板取川へいったことがある。
 あの時は家からバーベキューセットみたいなものを持っていった。おじいちゃんが駐車場で待っていた。
「流れが速くて、水が多すぎる。こっから先は降りんほうがいい」
 川へ降りてゆく細道の入り口は、縦横に枝を組んで麻紐で結わえた簡単な柵で閉鎖してあった。
 たしかにあの日は駐車場にいても川の音が大きく聞こえていた。川から溢れるほどの流れが岩に砕け、「来るな。帰れ」といっているようで、居心地が悪かった。
 あの日はおじいちゃんが釣った魚もなくて、名古屋から持っていった肉やウインナやイカ、それに野菜を焼いて食べた。
 曇っていたせいだったかもしれないけれど、川が駐車場まで覆ってくるんじゃないかと感じて、あのときは山も川も怖いと思った。

 今年は台風のあとだから、あの時のような川になっているのかもしれない。
 今日はとうさんも運転しながらしゃべらないし、かあさんは寝たふりをしている。
 かあさんはうとうとする時でも、心臓を下にして横向きになるのに、今日はシートベルトに捕まってしまったみたいないい姿勢のままなので、嘘寝だとわかる。
 けっきょくぼくは後部座席で寝てしまったらしい。眠気が抜けていかない。すっきり眼が醒めないくせに、寝直そうとしても寝られない。
 もぞもぞと動いてみた。シートベルトを外して、後部座席に寝転がる。
 左側は切り立った山壁で、右側は山が離れ木々のすきまに板取川が見える。
 たくさん降った雨が、川に集まってきている。
 通りすぎたキャンプ場も休業だったり、バーベキューだけ可と看板が出ていたりしている。
 浮き輪やビニール製のサメやスワンに乗って遊ぶ大人や子どもの姿を想像できないほど、川が人間を拒否している。
 橋を渡って、板取川が左側に見えるようになった。もう少し走ると到着だ。

 パトカーのランプが見える。三台……四台、それに黒っぽい四角いだけの大型車が一台。
 一台のパトカーがぼくたちが来たほうへ走っていった。サイレンは鳴らしていない。
 ぼくは最悪を予想した。その予想は当たっていると確信があった。
 今年はどうしても来なきゃいけないと強く思ったときに感じた、黒くてもやもやした感覚、それに似ている。予兆とか、予感とか、そんなものだ。
「とうさん、かあさん……」
 ふたりとも「うん……」と言ったきりだ。

 おじいちゃんの駐車場に一台分だけ駐車スペースがあった。とうさんはそこに車を停めた。
 パトカーは道路端に縦列で停まっていて、駐車場には黒い大型車が停まっている。
「康太、ちょっと車ん中で待っとれ」
 いつもならゴネるところだけど、ぼくはもう状況判断ができる年齢だ。うん、と返事をしておとなしくしている。ゲームもする気になれないし、音楽も聴きたくない。
 ぼくは震えながら泣いた。カチカチと奥歯が鳴っていた。
 車からでて、おじいちゃんのところへ、あの道を降りていきたいだけだ。
 おじいちゃん。
 警官とスーツを着たおじさんが二人、とうさんとかあさんに近づいて挨拶をしているようだった。とうさんとかあさんも頭をさげている。
 とうさんとかあさんが紙袋を警察に渡した。警官は神妙に受けとった。
 とうさんが手招きした。
 ぼくが涙をふきながら車を降りていくと、かあさんは眼を真っ赤にして泣いていた。
「おじいちゃんが亡くなったよ」
 とうさんの声は震えていた。ぼくは大泣きした。

 その日、ぼくたちは関市のホテルに泊まった。明日、おじいちゃんの火葬に立ち会うためだ。
「おじいちゃんは身寄りがないみたいなの。名まえは磯前清昭というんだって」
「ぼくたちは『おじいちゃん』と呼んでいて、名まえを知らずにいたってことに、今日気がついたんだ」
 とうさんはすまなさそうに言った。
「あのあたりの人じゃないの? あんなに川釣りがうまかったんだから」
「違うらしい。二十年ぐらい前にあの場所の持ち主の親父さまの戦友の子だとかで、小屋を建てて暮らすのを許したらしい。戦友の子と言っても、そのときの清昭さんは六五すぎの年齢だったらしいけど、地主の亡くなった親父さまの書き置きがあったらしい」
『磯前と名のる者が来たら、命の恩人だから、よくしてやってほしい』
「年齢的にも親父さまの命の恩人の子だと確信したんだって。温厚な人柄で誰に迷惑をかけるでもないし、まわりの人たちともうまくやってたそうだから、そのまま許されてきたんだろうね」

 ホテルでレンタルした喪服を着て、ぼくはおじいちゃんの顔を見てお別れすることができた。いつものように笑っているような顔だった。


 新学期が始まって最初の土曜日、とうさんとぼくとで板取川へ行った。途中、関市のホテルへかあさんを迎えに行った。かあさんは昨日なにかの手続きがあって関市に泊まった。
 かあさんは大きいカバンといっしょにホテルのフロントで待っていた。
「なに、それ」
「これはね、かあさんの妹と妹のご主人の遺骨なの。昨日市役所で受けとってきたの」
 かあさんはカバンを開けてなかを見せてくれた。白い布で包まれたものが二つ入っていた。
「ふたりは十五年前に板取川へ川遊びに行って行方不明になったのね。ずっと見つからなかったけど、おじいちゃんが亡くなったときの台風で、遺骨がみつかったの」
「淵の深い場所に沈んでいたのが、台風の雨で増水して、淵の流れを変えたんじゃないかと警察ではそう見ているみたいだ」
「かあさんね、妹たちが行方不明になったときに、妹たちが住んでた家の後片付けをしながら、恭子と洋輔さんのなにかが見つかったときのために、DNA鑑定が必要になるんじゃないかと思って、髪の毛のついたブラシとか歯ブラシをきちんと保管しておいたんだ」 
「かあさんの妹さんは中林恭子っていうんだよ。ご主人は洋輔さんだ」
「ふうん……、おじいちゃんの近くで見つかったの?」
「そうなんだ」
「おじいちゃんのお陰なのかな」
「そうだよ。そうだと思う」とうさんが言った。
「おじいちゃんが淵に沈んでいたふたりを見守っていてくれていたんだね。康太のことも見守ってくれてたしね」
 うん。ぼくは大きく頷いた。

 おじいちゃんの小屋の駐車場は雑草がはえはじめていて、ススキが伸びていた。
 川へ降りていく細道は崩れてしまっていた。
 来年には雑草が元気よく繁って、駐車場も川へ降りる細道もなくなっているだろう。
 車から降りて川を見おろし、おじいちゃんの小屋のあったほうを見て、手を合わせた。
 崩れた細道を女の人が上がってきた。
 ぼくより少し背が高く、ほっそりして、長い髪をひとつに結んでいて、きれいだなと思える人だった。白くて薄い布の上着に、水色と緑色の中間のような色のふんわりしたズボンをはいていて、ぼくは思わず足を見てしまった。宙に浮いているかもしれない、もしかしたら幽霊のように足が見えないんじゃないかと思った。
 足はあった。裸足にサンダルのような靴を履いていた。
 その人は僕を見て微笑んだ。ぼくがなにを考えていたのかお見通しだと思った。ぼくはうつむいた。
 とうさんとかあさんはその人に丁寧にお辞儀をした。
「大きくなりましたね」
「寿々さん。康太です」
 ぼくは肩をすくめながら会釈した。心がもぞもぞした。
「康太さん、清昭さんはご自分の寿命をあなたに移してくださったのです。息絶えた恭子さんを八ヵ月生きながらせ、あなたをこの世に誕生させたのです。清昭さんは白寿まで生きられたのですが、ご本人も康太さんを孫のように思い、成長を見とどけられたいま、満足されたのでしょう」
 ほら、と寿々さんが指差した。そこは岩がそびえ立つ川の対岸で、鬱蒼とした木々が川へと枝を伸ばしていた。
「あの岩の下がえぐれて、深い淵になっているところです。洋輔さんと恭子さんは、毎年あなたがたが遊びに来るのを待っていました」
 初めて聞くことだった。けれどずっとそのことを知っていたような気がする。ずっと昔に死んじゃったとうさんとかあさん。おじいちゃん。いま、ぼくの両側にいるとうさんとかあさん。みんながぼくのことを思ってくれている。ぽろぽろと涙がでてきた。
 寿々さんの話はそのままぼくの記憶になった。その記憶に対して反発も抵抗も疑いもぼくのなかに育つことはないと、ぼくはわかっていた。
 寿々さんは白い封筒をかあさんに差しだした。
「これは磯前さんの父上のお墓があるお寺の場所です。お世話かけますが、清昭さんのお骨を預けていただけるようでしたら、こちらへ埋葬してくださいませんか」
 かあさんは寿々さんから封筒を受けとり、「承知しました」と頭をさげた。

 正しく、佳き人生を生きてください。

 寿々さんはそうぼくに囁いて、細道を降りていく。
 寿々さんについていこうとしたぼくを、とうさんとかあさんが止めた。
「あの道はいま、寿々さんだけが通ることができる道なんだよ」
 うん。
 ぼくは頷いた。
 寿々さんが指差した淵の水面は、今日はとても静かに流れている。
 ヒグラシとツクツクボーシが鳴いている。昼間なのに秋の虫も鳴いていた。


『寿々さんはこれから龍宮へ戻られますかな』
『龍宮ではありませんよ。志摩の海へ、海深くの宮へ帰るのですよ。龍宮などと……』
『入江のあたりに住む者たちは、入江の海深くに女たちが住む龍宮があると話しておりました』
『まあ……ふふ……、ならばそのままお伽話にしておきましょう』 
 

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