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うつから躁うつへ、あと生活とか

 暑い。とにかく暑すぎる。住めば都とはいうものの、京都は住んだ方が地獄なのです。夏はジメジメと暑く、冬はやたらと寒い。住まずに都な京都に限らず、日本なんてだいたい具合が悪い。夏と冬は言わずもがな、春と秋も気温調整にてんてこまい。

 直近の冬、昨年12月に「季節性うつ病」と診断が出ました。人生で初めて抗うつ薬を飲みました。SSRIもSNRIも、名前は忘れたが服薬しました。今思うと、初期のプラシーボ以外に大した効果はありませんでした。頭痛と吐き気、性欲減退などの副作用の方が目立ったくらいです。

 3月に思い立ったかのように引っ越しを決め、住めども地獄の京都から、やはり京都に転居しました。距離にして3.8km。桂の穏やかな住宅街から、嵐山や松尾山の麓に拠点を変えます。もちろん気候の悩みになんの変化も起きません。松尾山と桂川に挟まれたおかげで、大量の虫という悩みが増えさえしました。虫を無視するスキルだけが高まっていく日々です。

 季節性のはずのうつなので、立春を目処に回復したと信じておりました。しかし、日照時間はぐんぐん長くなっているはずの立夏ごろに、うつエピソードがまた顔を見せました。落ち込みや不安、否定、卑下で内外ともに塗れ、ついには寝室だけが拠点となります。再度メンタルクリニックを受診すると、僕の診断は「双極性障害II型」に更新されました。薬は、非定型抗精神病薬のクエチアピンが処方されました。

 クエチアピンはとてもいい。まず吐き気や性欲減退はありません。口渇や眠くなる副作用があると言われているが、元来水をよく飲むし、入眠障害に悩まされていたので嬉しいくらいでした。と思ったのも束の間、慣れなのか再び入眠に難しさを得ています。三日天下。

 1,2週間前くらいに今回のうつエピソードは峠を越えたのか、こうして状態を記すことができております。いつくるかはわからない軽躁が来た時には、うつ時の精神的自傷や茫漠とした不安の記憶はすっかり忘れ去られてしまいます。どうやら、そのような傾向なようです。踏み込んで言い切ると、そのような障害らしいです。

 双極性障害とは、躁うつ病であると言って差し支えないそう。正式な病名が双極性障害であり、躁うつ病はいくらか古い呼び方だそうです。ただ、躁うつの方が知られています。その症状を簡単に述べると、激しく活動的な「躁」と、ひどく落ち込む「うつ」のエピソードが両方見られます。この2ヶ月ほどはうつ状態であり、件の引っ越しは躁エピソードに違いありません。

 もちろん誰しも気分の上下はあります。ただ躁うつに限っていうと、躁かうつが一定期間続く。山も谷も、わりかしランダムに訪れる。ひどいうつだったはずのあの人が、次の日には人が変わったように多弁になる。うつが目立つが、躁も同じかそれ以上に社会に適合しづらい。本人は躁を快調と捉えていて、発見が遅れる。ふつう10代や20代の発症が多く、だいたい100人に1人くらい分布しているとのことです。そして「完治」や「寛解」はほとんど存在しません。僕はどうやら死ぬまで抗精神病薬や気分安定薬を飲むことになるのだと知りました。

 うつエピソードにあって双極性障害の診断を得た僕は、今まで以上に当事者として熱を込めてそれについて調べました。躁ならばそんなことはしません。そして非常に初歩的なことに、当事者であるという強い実感に支えられて気付きます。「病気」ではなく、双極性「障害」なのです。

 そうして、診断が出た6月20日から今日までは、「障害受容」をいくらか進めるタイミングとなります。必然性があり、機会でもありました。

 適応障害やうつ病のような治療による寛解を目指すものとは違うようです。(適応障害はややこしい文字面ですね)躁うつに対する僕の理解では、身体障害や発達障害の方が親戚に思えます。障害とは、特性それ自体は身体や脳のダイバーシティであるが、現代社会でのやりくりにおいて「困り感」を抱えやすいがゆえの「障害」です。僕の躁うつも脳の多様性の一端に過ぎないらしい。ただ、社会生活の中で困り感を抱えやすく、他者にも与えやすいんです。そのため、困りを抱え過ぎたり与え過ぎたりしないような「調整」が必要となります。うまく付き合い方を編み出していくことができれば、困り感はごく小さいものとなり、その恵みの側面が光り輝くのかもしれない。これが、頭の中で進んで行った障害受容です。

 一方僕の心の中では釈然としない何かがありました。それは、僕の5年ほどに及ぶ個人事業と起業、経営で成してきた些細で重大な実績が、すべて躁エピソードに基づく虚構だったのではないかという疑念でした。多くの犠牲を払うことで、些細で重大な実績の積み木を重ねてきたのかもしれない。その積み木は、生まれるべきではなかった、存在すべきではなかったのではないか。そういう批判が、どんよりと残存しておりました。崩れゆく積み木は、刃物のように自身を切りつけもするし、鉄球と鎖のように自身を引っ張りもします。ただ積み続けてきたに過ぎないはずのものが、罪そのものかの如く振る舞い始めたのです。

 そう書いている今の僕は非常に軽いうつ状態にいます。なんなら軽躁の入り口に立っているように認識しています。つまり、上に書かれているような自傷は朧げな記憶を必死に記述しているに過ぎず、いくらか時間が経てばあぶくのように消えてしまうでしょう。これも躁うつの恐ろしさの1つです。何か、解離のようなことがしばしば起こります。それに僕は気付いてきませんでした。

 つまり、何かを辞めてしまいたい(例えば経営)とか、積み木を崩して白紙にしなければならないという強迫観念は今時点は立ち上がって来ません。自分に合った付き合い方というか、働き方、暮らし方、表現、突き詰めると生き方を練り直していく必要性で、頭も心もいっぱいなのが正直なところです。うつから躁うつへと診断と自認が変わりゆくなかで、生きるということをまるごと作り直すことが目下大切なようです。

 今回は現状と経過の報告(というか記述)までにして、種々の「どのように」という議論はそれぞれの関係者に相談し、調整させていただきたいと思っています。調整の過程で、頼り頼られる社会関係を築いていくことがファーストステップになるそうです。躁の自分はそういうことを面倒で野暮ったいものとしてきました。これからもしようとするでしょう。なぜならうつのことは全部「過ぎ去って殆ど覚えてへんし、もう起こるはずがないもんや!」と認識してしまうから。「あの辛さや困難さ、大変さ、迷惑は今回限りで終わった。だって僕は今こんなにも具合がよく、アイディアと活力に溢れているんやから!」と純度100%で信じてしまうから。

 躁とうつの波をいくらか小さくしてくれるのがお薬であり、生活習慣であり、社会関係なのだと思います。病める時も健やかなる時もそれらを大事にできるようになりたいです。あ、躁は客観的には健やかでないですが。


追伸  意外と長くなってしまったので、書く想定にあった躁うつに関する説明や、社長業とのすり合わせ、大切なセルフケア、相談したい配慮などは次に書く文章に譲ろうと思います。

追伸の追伸 2700文字を1時間たらずで一筆書きする軽躁の凄さは実感せざるを得ません。


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