銃/中村文則

銃/ 中村文則著

ある日、橋の下で見つけた死体の側には銃が落ちていた。その美しさに惹きつけられた男は銃を持ち帰り、いつか自分がこの銃を使う日が来ることを確信する。


悪をしながら善もしようとしてる男が罪と罰のラスコーリニコフと重なった。(中村文則さんの掏摸を読んだ時も感じた)

最終的に救いがないのは、この作品がデビュー作で他の作品とは趣が違うからなのだと思った。


可能性を手に入れる

男が拳銃を手に入れることで高揚し、その高揚の理由が、”可能性を手に入れたこと”、拳銃を使い、誰かを殺すことも守ることもできる、自ら死ぬこともできるその可能性を手にしていることで高揚したってとこに共感した。初めてパソコンを買った時、全く使いこなせていないのに、自分には何でもできる、映像編集もクラウドワークも株もできる、エロ動画も自分の好きに見れるし、金を稼ぐこともできる、自分にその能力があるかどうかは問題ではなく、自分がそうできる可能性をパソコンを手にしたことで得たことに興奮していた時期を思い出した。


銃を撃つ快感

初めて銃を撃つ時、男が快感を得ている様がリアルに頭の中に浮かんできた。(p106)銃を撃とうとする自分と、それを止めようとする自分が同時に存在し、止めようとする存在に意識を向けるのが面倒になって最終的に行動に移す過程が、性行為やオナニーの果てる時の思考に似ているからだと思った。


中村文則のいやらしさ

過失を許してあげたコンビニ店員が、男の異常な行動を警察に証言することになるのは、中村文則さんらしい良い意味でのいやらしさを感じた。そう感じるのは自分が男に感情移入していて、法律を重んじるコンビニ店員側よりも、他人の過失を責めない優しく冷静な男の方が人間として正しく好意的だと感じているからだろう。


考えないこと

男が銃を手放すことは残りの人生を空虚に生きることに等しいと感じたところで、

『人間はやりたいことをやる為に生きている、というのをよく聞いたことがあったが、私は本当だと思った。...私の逃避の考えは、私自身の邪魔をした。私はそこで、考える必要を感じなくなった。突き詰めて考えていけば、何もできなくなる。何もできなければ、生きることに価値といものがあるのならば、それを失う。私はそう思い、具体的な、射撃の事柄に考えを進めることにした。』(p147)

自分の出生や行動に対して自問自答すること、考えることをやめることが男には幼い頃からの習慣になっていた。それは自分を捨てた親と自分がDNAというものにおいて繋がりがあること、その事実を考えないことで快適に生きていけると意識するようになったことが原因だった。自分にとって不都合なことは考えない、それを考えることは行動を止めてしまうから。その考え方が男の性質であり、物語の中で一貫して彼を行動させてきたものの一つだと感じた。


小さい時に家に火を放って家族を死なせてしまった女が大人になって犯してきた自分の罪を医者に対して独白していく。

過失だったのか故意だったのかわからなくなる、痛みなのか快楽なのかわからなくなる、悲しんでいるのか蔑んでいるのかわからなくなる、そういう瞬間がたくさんあった。

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