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仕事が私を生かしてくれた。

大学時代、男子学生に何度もカフェに誘われて、乗り気じゃなかったのに断ることができず、仕方なく何度目かに、一緒に行ったことがありました。その時は、何とも言えない気まずい空気が流れていました。
私はノーと言えない性格なのです

その上、恥ずかしがり屋で、話し下手でした。一緒に行った男子学生からは、「さっきからずっと下を見ているから、髪留めしか見えてないんですけど」と言われた記憶があります。

恥ずかしくて人の眼を見て話せない女子でした。私は、見られていると言う意識がとても強かったんだと思います。自意識過剰だったのでしょう。

そんな私が選んだ職業がアナウンサーでした。

私は、自らリーダーシップをとって、率先して物事を進めるタイフではありません。人の意見や思いを大切にして、その思いを代弁してあげたい性格です。誰かの存在を後押しして、その人をクローズアップさせるのが得意なのです。

私はそんな自分の弱点も含めた個性が、もしかしたらメディアの仕事に向いていたのかも知れないと思っています

アナウンサーの仕事を始めて、7年目でした。
ニュースの中で地域に生きる人や行事、風土を紹介するコーナーを自ら企画し、担当出来る事になりました。

自分が前面に出てリポートするのではなく、取材対象が主役のコーナーで、紹介するものにスポットライトを当ててその魅力を存分に伝えるのです。

私の性格にぴったりの企画でした

人の懐にすっと入っていって、人生や家族、信念やふるさとへの思いなどを聞き出すのは、私にとって、とても魅力がある仕事でした。

その企画は好評で、三年間続けることが出来ました。訪ねた場所は県内180ケ所以上です。

私にとって忘れられない番組になったのは、その企画の一つのリポートが、系列局のアナウンサーのコンテストでグランプリを獲ったからです。地域の人たちに溶け込んだ温かい触れ合いが評価されました。

40年余り前なのに、今でも忘れられない取材です。

昔懐かしいアイスキャンディーを仲のいいご夫婦が一本一本、手作りしていました。アイスキャンデー作りが始まる麦秋の頃に、自転車に乗って、カランコロンと鐘を鳴らしながら、「アイスキャンディーいりませんか・・・、かど店のアイスキャンディー、安くて美味しいよー」と言って麦畑を走り抜けるシーンからスタートしました。

ここのアイスキャンディーは程よい甘さが人気なんですよね」と店先で作業をしてる女主おんなあるじに尋ねると「ほうよー、私らは、もっと甘いよねー」と、女主が隣にいたご主人に笑いかけました。そしてご夫婦は顔を見合わせて、照れることなく満面の笑みを浮かべたのです。

その素敵な笑顔とコメントを貰った時、私は何故かアナウンサーの仕事は私の天職かも知れないと思いました

普段は光が当たらない人たちに、一瞬でも輝きを与えることが出来きて、その人たちの人生から自分だけでなく、番組を見ている人たちにも温かい何かを感じとってもらえる、やっぱり私はこの仕事が好きだ」そう感じたのです。

取材の後、女主から店を継ぐことになったお嫁さんは「取材でうちのアイスキャンディーが皆さまに知られることになって、お婆ちゃんも私もあなたには足を向けて寝られません」と言ってくれました。

私はこの言葉を聞いて、アナウンサー冥利につきるなーと思いました

それから40年経った今年、その店の三代目になるお嫁さんから、数十本の手作りのアイスキャンディーが送られてきました。
その店は今も続いていて「アイスキャンディーの程よい甘さ」は親子三代に渡って、受け継がれているのです。

私はそのアイスキャンディーを食べながら、遠い昔の取材を思い出していました。浮かんできたのは熟年のご夫婦のあの素敵な笑顔です


「私は何て良い仕事に恵まれたんだろう、仕事が私を育ててくれた、やっぱりアナウンサーになって良かったな、きっとこの仕事は私の天職だったんだと思う」キャンディーのやさしい甘さが、リタイヤして2年の私の心を柔らかく包んでくれました。



最後までお読みいただいてありがとうございました。
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