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「潮曇りの峰」 旬杯ストーリー【C】承

「潮曇りの峰」
    旬杯ストーリー【C】承 リレー小説応募作品

 キミがシンガポールへと旅立ったあの日。
 陸から遠く離れた小島に、珍しく大きな船がやってきた。
 そしてボートが下ろされる。
 白い小さな小さなボードに、キミは母親と共に乗り込んだ。
 まるで木の葉のように揺られながら、碧く彼方まで続く海原に吸い込まれていくようだった。
 澄み切った空には大きな雲。
 キミの影を、一瞬でも見逃すまいと視線を逸らさなかった。
 穏やかな波間にボートが隠れ始めた頃、船に着いたのだとわかった。

「ねえ、飛行機に乗るんだよね ───」
 砂浜で最後に聞いた。
「うん。ちょっと怖いな ───」
 別れ際、キミはボクの手を取った。

 月日は流れ、東京に出て仕事を始めた。
 島に残っている友達は、ほとんどいなくなった。
 それぞれの空を見て、歩き始めたのだ。
 大学でデータサイエンスを学んだ後、宇宙開発に関わる研究をしながら新しい通信環境を構築しようとしている。
 すでに人工衛星から世界中に通信網を広げることができた。
 島から出て行った友達とも、スマホで繋がっている。

 でも、キミは見つからなかった。
 
 積乱雲よりも高い所から見下ろせば、見つかるんじゃないかと思ったけれど。
 会えないから、探そうとする。
 大人になったボクは、キミの面影を幻だと思うようになっていた。
 赤外線観測機で、宇宙の彼方にある現象を今日も追いかけている。
 世界中の研究者とやり取りしながら、新しい惑星を見つけて共有していく。
 ボクの惑星を見つけたい。
 空にいれば、キミの目に届く日が来るかもしれない。

 一日の終わりに、必ずすることがある。
 地上を観測する衛星データから、シンガポールを探索するのだ。
 一人の人間を探すことなど到底不可能だけれど、見ないわけにはいかなかった。

 仕事を終えて、缶ビールを開ける。
 表面のエンボスは、人工衛星の強度を増すために開発された技術である。
 何をしても仕事と結びつくのが嫌になった。
 乾いた喉に染み込む炭酸の刺激が心地いい。
 ため息交じりに夜景を見下ろした。
 30階建てのタワーマンションからは、地上が絵のように見える。
 暖かさを感じるのは、灯の数だけ人間の営みがあるからである。
 今年こそはお盆に帰省して、何人かの友達と再会できるだろうか。
 カサカサになった肌に、思い出が潤いをもたらしてくれる。
 無味乾燥な数字の羅列を一日中睨みつけ、決まりきった冷凍食品を胃袋に押し込む。
 変化と言えば、時々数字が跳ね上がって報告メールを打つくらいだった。

「島に帰りたい ───」
 こんな夜は、空が一層高くなった。

 母親とともにシンガポールで暮らす私は、生き急ぐように勉強し続けた。
 島から離れて、寂しさが日増しに強くなっていく。
 大都市にいると、孤独が一層色濃く影を落とすものだ。
 耐えられなくなると、夜空を見上げた。
 今日はISSがよく見える。
 様々な観測機を取り付けた、国際宇宙ステーションには人類の夢が詰まっている。
 こうして眺めていると、島のみんなに繋がっているような気がした。

「もしかして、あの人も見ているんじゃないかな ───」
 なぜかそんな気持ちになった。
 母の仕事の都合で引っ越してから、一度も帰っていない。
 外国にいると日本の暮らしと、島の風景が絵葉書のように止まったままになる。
 だれとも連絡先を交換してこなかった。
 あの人とも ───

「出逢いが本物だったら、また会えるはず ───」
 夏の大三角形を辿りながら、つぶやいた。

「今年のお盆は、日本へ帰るよ」
 母が仕事カバンをリビングに置いて、洗面所に向かう。
「えっ」
 母が消えた廊下を見つめたまま、立ちつくした。

 夕食をとりながら、ぽつりぽつりと日本の話をする。
 島のみんなは、今どうしているだろう。
 本当に会えるのかもしれない。
 ひとしきり話してから、もう一度ベランダに出て夜空を見上げた。
 星空は変わっていなかった。
 宇宙開発は進んでいる。
 日本人が月へ行くプロジェクトを、国をあげて進めているそうだ。
 それなのに、あの人はもっと遠くにいる気がしていた。
 宇宙の彼方の星のように ───

 こと座のベガ。
 わし座のアルタイル。
 いつも2つを探していた ───



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