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赤い珠

 最初に前置きをしておく。よく聞いてくれ。
 
 俺には相棒がいる。だが俺は、相棒とは違う。奴はただの犯罪者だ。しかし、俺は"美学"を持っている。自らの犯罪に対して、だ。
 
 俺たちがするのはもっぱら空き巣だ。もっとも、人がいれば、強盗になり、殺人にもなれば、強姦にもなる。俺たちはどれもやっている(マルチタスクというやつ?)。しかし、それはただの"おまけ"でしかない。俺たちはあくまでも空き巣を目的にしている。
 
 俺たちがしているのは金を稼ぐ事だ。ただ、それだけ。そう、それは誰しもがやっている事だ。人は俺たちを非難する。不法だとか、違法だとか、道徳違反だとか。しかし、それは奴らが、「楽して稼いでいる」俺たちを羨ましがっているだけだ。実際には、楽でも何でもない。空き巣っていうのも、労苦はある。
 
 世間の連中は道徳だの倫理だの騒いでいるが、実際に「自分だけ」が得をできる立場になったら、それをするに決まっている。要するに、奴らは犯罪者になりそこねた臆病者に過ぎない。捕まったり、死刑になったりするのが怖くて犯罪に走らないだけの話だ。臆病なだけの小市民の癖に、俺たちを下に見やがる。ケッ。
 
 あいつらは、絶対に罰されない事が確定しているのであれば、目の前の金は奪うし、目の前の美しい女は犯すし、目の前の嫌いな奴を殺すだろう。罰されないのであれば、誰しもがそれをやるだろう。だから罰される事のない、かつての君主、王はそれをやってきた。
 
 もしそうなれば、多くの人間がそれをするだろう、と俺は考えている。聖人を除いて。要するに、ほとんどの「正常人」は犯罪者予備軍だ。それは歴史が証明している。動員された大衆はたやすく犯罪者集団となる。
 
 さて、こんな話はもういい。それより、俺と相棒との違いに戻ろう。俺には美学がある。奴にはそれがない。俺は頭がいい。奴は頭が悪い。
 
 俺は自分のしている事を自問する。"こんな事をして何になる?" そう悩む事もある。奴は悩まない。何も、悩まない。したがって、良心の呵責とも関係がない。
 
 俺は自らの中に良心という、複雑な生き物を抱えて生きている。要する俺は複雑な存在なのだ。それに比べて、奴は単細胞だ。奴は根っからの犯罪者。犯罪向きの犯罪者。それと比べて、俺は犯罪を意識的に行っている人間だ。俺は犯罪をしなくても生きていく事ができる。しかし、こんな世の中で犯罪をしない方が馬鹿げているとある時気づいて、この道に転向した。
 
 さて、俺たちの違いはそういうものだ。わかってもらえただろうか?
 
 …では、本論に入ろう。といっても、別にたいした話じゃない。ちょっとピクニックで口笛を吹くような、そんな軽い小話だ。軽い気持ち、実に軽い気持ちで聞いてもらうと、ちょうどいいくらいだ。
 
 ※
 俺は相棒とテレビを見ていた。アジトでだ。アジトと行っても、六畳の狭い部屋で、ベッドとテレビが置いてあるくらい。ボスは、そこに女を連れ込むらしいが、女の方でも嫌がるくらい、汚い部屋だ。ボスがどれくらいケチな人間か、このエピソード一つでわかる。
 
 俺たちはニュースを見ていた。二人でベッドに腰掛けて。俺たちは仕事が終わると、アジトに立ち寄って、物品の仕分けをしていた。仕分けが終わると、二人でタバコを吸いながらテレビを見て、休憩していた。
 
 テレビでは旅客機爆発のニュースがやっていた。なんでも、旅客機が他の旅客機と滑走路でモロにぶつかり、爆発を起こしたらしい。死者は百人以上。片方の旅客機に燃料に火がついて爆発した。
 
 テレビは、繰り返し爆発の映像を映し出していた。火。閃光。爆発。阿鼻叫喚は聞こえてこない。こんなもので、百人も死ぬのか、と俺は考えた。ペラペラの映像の背後で、百人を越える人間が丸焦げになったり、ぐちゃぐちゃに押し潰されているとは。
 
 「綺麗だな」
 
 隣で相棒が言った。俺は相棒を見た。「綺麗?」
 
 「ああ、綺麗だ。見てみろよ。爆発してるぞ。火が、綺麗だ。美しい。いいなあ、俺もあんな事をしてみたい」
 
 「あんな事だって?」
 
 「ああ、マシンガンで全員撃ち殺しすとかさ。夜中だ。夜中にやるんだ。銃口から火が出て、綺麗だろうな。バタバタと倒れる馬鹿共。さぞ爽快だろうさ」
 
 「そうかよ」
 
 俺は苛つきながら言った。ところが、相棒は話をやめなかった。
 
 「また、やってる。綺麗だな。いいな、こういうのは。俺、昔、戦争のニュースを見た事がある。ミサイルがヒュンヒュン、夜の中を飛んですごく美しかったな。俺はあの時、思ったものさ。『俺には人と違う美的センスがある』ってね。俺以外の奴は誰もそんな事を言わなかったしな。ああ、美しかった。戦争というのは、みんなが思ってるのと違って美しいものなんだな。事故も、美しい。徹底的にひしゃげて、ねじけた自動車なんてのはどこかエロスを感じさせるよな。そこに、ぐちゃぐちゃの死体が絡まってるのも、なかなか乙なもんだよ。そうだな、俺たちも、こういうものを目指さなきゃいけないかもしれんな」
 
 「何を目指すって?」
 
 「こういうものだよ。こ・う・い・う・も・の。こういう、美しい犯罪だな。美しい閃光が舞って、人がバタバタ死んでいくんだ。…いや、案外、俺たちのしている事だって、他人から見たらロマンティックなものに見えているかもしれないな。ほら、世間のクズ共は、猟奇殺人の事件なんて大好きじゃないか? ああいうのだって、世の中の役に立っているんだよ。なにせ、世間の奴らはいつも暇だからな。たまにはバラバラ殺人でもないと、退屈で、隣人の首を絞めるような事になるぜ。だから、「犯罪」は世間に貢献しているんだな。俺は、思うぜ。俺たちも、これからは美しい犯罪をーーいや、犯罪自体がそもそも、美しいものなのかもしれないなあ。美しい」
 
 「そうかい」
 
 俺は、次の刹那には思い切り相棒の顔面を殴っていた。得意の右ストレートだ。俺の拳は奴の目に食い込み、眼球が潰れて、拳が眼球から溢れた液体で濡れたのがわかった。
 
 俺は間髪入れず、殴り続けた。合間に一瞬「おい!」とか「なに!」とか切れ切れに叫ぶのが聞こえたが、俺は顔面を殴り続けた。
 
 殴っても、殴っても、奴は死ななかった。俺の拳は膨れ上がり、奴の顔面は腫れ上がり、鼻と目と口から血が流れ出ても、奴は死なかかった。俺は(こいつは不死身なんじゃないか?)と本気で考えた。
 
 ところが、俺は途中で気づいた。(こいつはもう死んでいる) 死んだ肉体でも、あたかも生きているように体が痙攣したり、動いたりする事はあるものだ。俺はそいつを忘れていた。
 
 気がついたら、奴は死んでいた。奴はベッドの横で仰向けになり、片目を見開いて死んでいた。もう片方の目はぐちゃぐちゃに潰れて、何を見ているか知れたもんじゃなかった。
 
 俺は立ち上がった。手はヒリヒリしたが、爽快な気持ちだった。俺は奴に向かって唾を吐いた。
 
 「おい、どうだ? 犯罪はちっとも美しくないぞ?」
 
 …俺はむかついていたのだった。こいつが、犯罪の後ろに勝手に「美」を見出すのを。百人の人間が亡くなっているのに、航空機の爆発を「美しい」などと抜かすのを。
 
 いや、それ以前から、俺はこいつの"身勝手"な振る舞いにむかついてきた。稼ぎの一部を自分のものにしているのに、俺は薄々気づいていた。まあ、たいした額じゃなかったが、何にせよ、相棒同士というのは信頼関係が一番だ。それを破るのは、許せない。
 
 はあ、せいせいした。俺は死体を見下した。心のなかで、もう一度同じ事を言った。(どうだ相棒。犯罪は美しくないだろ?) 俺はもう一度唾を吐いた。奴はもう微動だにしなかった。奴は完全に死んだーーそう、完全に死んだらしかった。
 
 俺は体についた血を拭き取った。拭き取れなかった部分は擦っているうちに、黒いシミにしか見えなくなったので、それでいいやとそれ以上は諦めた。それから、自分の取り分が入ったバッグと、奴の取り分が入ったバッグ、二つのバッグを肩にかついだ。

 俺は外に出た。二階建てのアパートの一階だ。通りに出ても、誰も人はいなかった。通りは…寒かった。俺は、コートのボタンを苦労して留めた。
 
 「うう、寒い」
 
 さて、と俺は考えた。もうボスの元では働けない。見つかったら殺される。だが、幸いに金はある。出てくるついでに相棒の財布から金を取っておいたから(当然の報酬だ)、金にはそれほど困らない。しかしボスの目が光るところでは生きていけない。
 
 (九州にでも行くか) 俺は考えた。俺は、どこでだって生きていく事ができる。裏社会で生きる術を知っている。女を抱く方法も、金を稼ぐやり方も知っている。そして、俺は俺が善人でなく、悪人だと知っている。俺は、自らを反省する悪人だから、おそらく、世間の偽善者よりは善人に近いーーそうも思っている。だが、それを言ったら、おしまいという気もする。
 
 相棒に関しては死んで当然の奴だった。奴は人の死について何とも思っちゃいない。だから子供じみた、殺人や強姦も簡単にできた。俺は、強姦や殺人を喜んでやった事は一度もない。俺はあくまでもーー自らの獣性を一時的に収める為に、しょうがなくやっただけだ。そうだ、俺は、自分から望んでした事は一度もない。
 
 俺は、そうだ。俺は、そういう人間だ。俺。俺。俺。
 
 通りは寒かった。"俺"は襟をかきあわせて、駅の方へ歩いていった。
 
 駅に向かっている最中、一人の美しい女とすれ違った。まだ、十代だろう。俺は振り向いた。長い、黒い髪が好みだ。
 
 俺はくるりと右回りして、反対方向に歩き出した。女をつけよう。仮に女が一人暮らしならーーチャンスだ。
 
 …もちろん、俺は好色な方じゃない。ただ単に、そういう時もあるだけという話だ。そういう時。
 
 俺は歩いていった。ふと、次のように考えた。
 
 (やっぱり奴の言った事は正しかったのかもしれないな。犯罪は美であり、美は犯罪である。そうかもな。目の前の女は美しく、女を狙うこの俺もハンターのように美しい。…おそらく、女は、ただの頭が空っぽな馬鹿女であり、また、この俺も本当はただの低劣な犯罪者に過ぎない。だが、女が、自らの命の全てを賭けて、抵抗したり、服従したりするのであれば、それはサバンナの動物の自然な生き死にの姿のように、美しいだろう。そして女を蹂躙するこの俺も、ライオンのように美しいだろう。…女はいつだって、男のそういう美しさに憧れを持っているものだ。女もまた、男が好きなように殺したり、犯したりするのが好きなのだ。そうだ、俺たちと同じだ。俺たち、犯罪者は美しいのだ…)
 
 俺はうっとりと"自分"の考えに見惚れながら、歩いていった。女をつけながら、歩いていった。俺の視界の端に女は映り続けていた。
 
 その時には、俺は"相棒"の事なんかとっくに忘れていた。「死体」の話なんて意味がない。生きた美しい女の話だけを、人はするべきだ。
 
 そうだ、俺は全てを忘れていた。そして"現在(いま)"を生きていた。
 
 そうだ、俺は。
 
 俺は"俺"を生きていた。する事なす事に、俺の中の"俺"はいつも肯定するのだった。
 
 …というのは、"俺"は美しいからだ。
 
 そうだ、"俺"は美しかった。俺は犯罪者であり、一般の、何一つできない、強引にキスもできない腰抜け共と違い、俺には勇気があった。俺には勇気があり、同時に犯罪者であり、同時に"美"そのものだった。
 
 女は、道を右に折れた。俺も、折れようと思った。
 
 俺はそんな事を考えていた。
 
 歩く度に霧が濃くなっていくように感じた。霧? …しかし、そんなものは出ていなかったはずだが。…いや、"霧"は濃くなっていた。
 
 そうだ、この話の最初から霧は出ていた(よく読んでみろ)。俺は霧の中、美しい女を追う一匹のライオンだった。
 
 俺はそんな情景の中を生きていた。
 
 あたかも、俺にとってそれは美しい夢であるかのようだった。航空機の爆発のように。画面だけに映し出された、加工されただけかもしれないビジョンのように…。
 
 だが、それが"夢"であるはずがなかった。なぜなら"俺"がそこに存在していたからだ。
 
 "俺"が生きていたからだ。目の前には"女"が見えていたからだ。だから、それが夢であるはずがなかった。
 
 それら全ては夢ではなく、俺は一匹の美しいライオンだった。女が左に折れるのが見えた。俺も左に折れよう。…ところが、俺は女を見失った。はっきり、目に見えているはずなのに、女を"見失っ"た。
 
 霧の中から一匹のライオンが出てきた。本物のライオンだ。
 
 そいつは何故か、相棒に顔が似ていた。不思議な事もあるものだ。
 
 俺はライオンに近づいた。ライオンが何か喋りたそうにしていからだ。ライオンは俺が近づくごとに、口を大きく開けていった。
 
 俺は歩いたまま、ライオンの口の中に入っていった。ライオンの口の中はひどく広がっていて、俺はどんどんと歩いていく事ができた。
 
 口の中、真っ暗な中で一つだけ光っている赤い珠があった。それに"触れた"時、俺にはわかった。
 
 「ああ、これが"霧"の原因だったのか」
 
 俺は赤い珠をぎゅっと押した。しゅるしゅると、霧が珠に吸い込まれていった。霧は消えた。
 
 霧を吸い込むと、ライオンの口の中はただの真っ暗闇になっていた。俺は闇と完全に同化した。全ては、闇。
 
 全ては闇だった。どこにも、行きようがなかった。(きゅう・しゅう?)
 
 俺はもう何も話す事ができなかった。完全な静寂と闇しかなかったから。
 
 俺はそこで暮らした。…というより、俺には"俺"がわからなかった。
 
 ただ、一つわかったのは、俺が"神"だという事だけだった。俺はずいぶんと古い昔からそうだったのだ。それだけが俺にはわかった。そう、俺は"神"だったのだ。
 
 俺は"神"と暮らした。神である、この俺と。
 
 俺は俺と暮らした。
 
 俺はそうだった。俺。
 
 俺は俺だった。俺。
 
 もう言う事はない。俺は。
 
 俺はー凄い。
 
 そう、俺は凄い。マジで。

 俺は、君より凄い。俺を馬鹿にする"全て"の人間より。
 
 そう、凄い。
 
 凄い、はずだ。
 
 …おそらくは。俺。

 俺、俺

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