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桜道

「自分がゆっくりと死んでいくのを私は少しずつ噛み締めたい、と思っている。もちろん生きられれば生きたいが…。

 私はもう一年もこの病院のベッドに体を括り付けられている。余命が長くないのも自分でわかっている。自分の中の小さな火が少しずつ消えていくのが自分でもわかる。

 私の病気はガンで、悪性のもので、発見した時にはもう助かる見込みがなかった。私はまだ二十歳で、これから人生が始まるのだと思っていた矢先に、人生の終わりを知らされた。それは滑稽な間違いだった。出番だと思って役者が舞台に上がろうとしたら、もう私の演じるべきところは終わっていた。なんでも代役の俳優が見事にこなしたという。私は、出番を間違えていたのだ。

 そんな風に、私の人生は始まる前から終わっていくのであって…私はこの理不尽をどんな哲学者の言葉も、神学者の、脳科学者の、大衆や天才や偉人の言葉や行為でも解消されないと感じている。もし解消できるのなら、そんな馬鹿げた話をするよりも病気を治して欲しい。ところで、私の病気が治っても、死そのものは癒やされない。ガンで死ぬ代わりに、交通事故で死ぬ事もある。だとしたら議論は堂々巡りではないのか。

 私は、自分が生まれた事に腹を立てている。私の怒りはリア王の怒りのように強く高い。私は私を生んだ自然に腹を立てている。二十歳で死ぬのであれば、生まれない方が良かった。勝手に私を生んだ親に対しても怒っている。何故、私の意志も聞かずに生んだのだ…もちろん、これが馬鹿げた怒りだとは知っているが…。そうして、私の死を、自分の文脈に当てはめて安堵しようとする大衆共が一番吐き気のする存在だ。彼らは、私が例え二十歳で死ぬにしても、生きた事に感謝して、周囲に微笑を漏らして、天使のような笑顔で死んでいくのを期待しているのだ。私が糞尿を漏らし、処理してもらっているというような事態については決して見ようとはしない。彼らは彼らの勝手な幻想によって生きており、私の死すらもその中に当てはめ、希望だの理想だのをそこに見ようとする。彼らは最悪の物語創作者だ。愚物だ。

 まあ、彼らの事を放っておこう、どのみち、私は死ぬのだ。

 私は死に近くなり、死に近い暗黒の淵にいる私にはもはや他人の言葉は何も届かず、(何を言えばいいだろう)と迷っている親戚の顔も胸糞悪く(彼らは病室を出た時、ほっとしているだろう)、もう私には他人達はなんでもなくなった。私は眠っているのか起きているのか次第に判別がつかなくなっている。

 死に近くなっている私の頭に上るのは、不思議にいつもある一つの固定されたイメージで、それは私のこれまでの人生と関わりがある…。それは人生の中でもっとも喜ばしい瞬間で…といっても、凡庸な場面だが、その瞬間だけが私の中で現実以上に、少なくともこの病室よりはくっきりとしたイメージとして浮かぶ…。

 それについて私は弱った体で力の限り描こうと思う。もっとも、そんなに大したイメージでもないのだが…。

 

 頭の中に繰り返されるのは春の、桜の並木道で、私はその真中を歩いている。坂になっていて、ゆっくりと降りていく。

 これは現実にあった事で、私は、高校受験の合格発表の帰り、その道を歩いたのだ。合否の発表は私が通っていた中学で行われて、私はそこで自分の番号があるのを見つけて(高校に受かったんだ)と思い、嬉しくなって帰り道を歩いた。その時の私は、体が五センチほど浮いているかのようだった。それほど、私は嬉しかったのだ。これから何かが始まる、人生が始まるのだという淡い期待を抱いていた。それは満開の桜が象徴しているように思われた。

 ところが、桜はすぐに散るし、期待もすぐに掻き消える。私の入った高校は普通の公立高校で、別になんという事もない凡庸な学校だった。期待はすぐに退屈な日常に転化した。高校受験をしたと言っても、難関高校を受けたわけでもなんでもなく、ただ近くの、学力に見合った公立高校を受けただけだった。だから、高校合格でそんなに嬉しくなったというのも不思議に思われるかも知れない。

 しかし、その後もそれ以前も、高校に合格したと知った時以上の喜びを感じる事はなかった。その後、私は大学を受験し、大学はそれなりに難しくて、私も受験勉強を半年ほど真剣にやった。また、はじめて彼女ができたのが高校の二年生で、その付き合いも、はじめてのキスも、私にあの高校合格のような喜びを味わわせなかった。それは不思議だったが、自分の中で認めなければならない事実だった。

 それで、頭の中に上るイメージはいつでも、中学三年生の私があの満開の桜の坂道をずうっと降りてくるその映像なのだ。それが、死に近づけば近づくほど、強い印象を与える。暗い淵に近づくほど、そのイメージは鮮烈になってゆく。

 満開の桜の道を歩いていく私の映像は、私の中では奇妙な永遠として存在していた。それは今や、運命が与える皮肉のようにも見えた。私がもはや失った希望を過去の私が持っているから、その映像を脳が繰り返し見せる事に運命の皮肉がある。だがそれは同時に私自身の希望であるようにも思えた。暗い淵の中でどのようなイメージもメロディもない状態でどうやって耐えられるだろうか? 私には桜道を歩く幼い私が一つの希望にも思えた。

 今や…鏡を見ると痩せ細り、死臭を漂わせた私がいる。あの日の私とは大きな違いだ。私はこんな事を書いて何かを伝えたいわけではない。ただ頭の中にはやたらとそのイメージが残る。それだけ書き残しておきたかったのだ。

 …高校の一年の時、親友と話したのを思い出す。夕暮れ時で、部活の帰りだったと思う。親友はおとなしく、真面目な男だった。彼はふいに言った。

 「将来の事、考えてる?」

 何も知らない私はこう答えた。

 「将来? …ああ、将来ね。何も考えてないけど、どうにかなる気がするんだ。ほら、俺って今までもどうにかやってきたし…」

 ああ、若年の日はなんと愚かなのだろう! お前は二十歳で、どんな名医も手を出せない病気で死ぬのだ。その後にお前の身にどんな災厄が降り掛かっているか、それを知っていればお前は…そんなふざけた口は聞けなかっただろうに!

 …だがそんな事を言ってももう遅い。私はもうこの文章を書き終えよう。これだけの文章を書くのにも時間がかかった。私は死に呼ばれている。この文章には何の意味もないだろう。私の中の、死に対する怒り、世に対する怒り、それすらも私の中からは消えようとしている。今はただ穏やかな気持ち…ただ平静な感情だ。あのイメージも次第に影が薄れてきた。私は、あと一ヶ月も持たないだろう。運命はなにものでもなかった。それはただ滑稽で、皮肉なだけの何かだった。自分は特別だと自惚れられる全ての人が私には羨ましい。それは高校生の時の私のようだ。彼らはまだ先を知らないのだ。だからあんな馬鹿げた事をやっていられるのだ。

 ところが、死というものを知った時には、もう時間は残されていない。私はもうすぐに死ぬ。それがわかっている。この文章には意味はない。ただ、私は…あの桜道を歩いた自分を幸福の一瞬としてイメージして死にたいというだけだ。それは平凡な光景だが、私にとっては、特別な光景なのだ。誰になんと言われようと。ああ私は死ぬ。もう書く事はない。人は、私の死についてあれこれ言わないで欲しい。私は私として死にたい。死ねばその本人は他者のイメージに委ねられる。死ねば自分が他人のものになる。それは拒絶したい(無理だろうが)。

 私は私として死にたい。私は死ぬ時も最後まで、そうして死んだ後でも私でいたいのだ! 滑稽で悲惨な存在としての亡骸を抱いて私は死ぬ。もう誰をも羨むまい。私の人生は一個の皮肉だった。ところでそれを笑う者はいない。神は…ああ、もういい。もうすぐ私は死ぬ。もう何も書きたくはない! 私は…ただ幸福だったのだ。誰に何を言われる事もなく、幸福という幻想を抱いたまま死にたいのだ。私が言いたいのはただそれだけだ。ああもう何も言いたくはない。全ては幻であの桜並木だけが眩しい…そう全てが眩しく…眩しくて…もういい、私は死ぬ。さようなら、私の世界よ。この世界は私には一個の重荷だった。ただ、すぐに散る美しい幻しか与えてくれなかった。それだけが全てだった。きっと今も私はあの桜道を歩いているだろう。病んだ頭にはそんなイメージがやってきている。私はきっと永遠に幸福なまま、あの桜道を歩くだろう。それが全て、それが全てなのだ! きっとそうなのだ」

 

 この手記を書いた人物は、これを書き上げた三日後に亡くなりました。

 親族一同


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